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日本をノマド(遊牧民)化せよ!

Photo アゴラで池田信夫氏が、「ノマドの反乱」というコラムを書いている。その中で「日本人が極端にリスクを嫌うのは農耕民族だからだという説明がされるが、これは歴史的におかしい」と述べているが、まったく同感である。

池田氏は、網野善彦氏の知見を引きながら、土地に縛られた農民だけを社会の中心に据えて歴史を考えることは、天皇制を支えた律令制度が生み出した農本主義的歴史観に過ぎず、「日本人=農耕民族」という歴史観自体が、共同体間の交易や「まれびと」とよばれるノマド(移動民)が経済、文化活動において大きな役割を果たしていた事実を隠蔽することによって成立していると指摘している。
同じように、現代の終身雇用制に裏打ちされた正社員中心の農本主義的な社会システムも1960年代以降の高度成長経済の下でたまたま成立した擬制に過ぎない。今般の不況下において、経団連、そしてそれと対峙する大企業の労働組合も、口を揃えて「終身雇用の堅持」を叫んでいるが、それは相変わらす正社員のみを前提において論じられていることであり、その意味では、天皇制のもとで「まれびと」たちの歴史を排除したのと寸分違わぬ構造のもとで、過去の農本主義をリフレインしているだけではないのか。

根強く残る大企業中心の産業・企業史観

日本の法人の99%、従業員数でも9割以上を占める中小企業やベンチャー企業においては、会社の存続さえ怪しい状況なのだから、終身雇用、正社員などという言葉自体が、日本の大多数の就労者にとっては既に意味のない絵空事になっている。にもかかわらず、大新聞やテレビマスコミでは、終身雇用、正社員の崩壊が、あたかも日本社会の大転換のようにして取り上げられるのは、メディアの側にも、大企業中心の産業・企業史観が抜きがたく存在しているからではないか。もっといえば、大新聞の記者たち自身が、終身雇用制のもとで庇護されているから、農本主義的な社会システムの崩壊があたかも大転換のように映っているだけだ。

人々が川の流れのように世界中を流動していく・・・そうした流動性のイメージを前提にしか、21世紀の社会のありようや企業経営というものを想定することは不可能になりつつある。既にわれわれは、ノマド化した世界のただ中に存在しているのであり、いまだに「正史」を担っていると思いこんでいる日本の大企業のサラリーマンやメディアが描いている現実の姿は、どこかお伽噺じみていて、明らかに未来への射程を失っている。

「農耕民族だから」という言葉に閉じこもる愚かさ

華僑やユダヤ人のように、国を持たず世界中にちらばり、人的なネットワークだけを頼りに生き延びていく人々に比べれば、確かに日本人は幾分おっとりしているかも知れないが、日本人=農耕民族として思考停止状態に陥るのは、自分たちの勉強、努力不足を「日本人」という言葉を隠れ蓑にしているだけだ。世界はフラット化し、現代人は否応なくノマド化することが求められている。そうした世界の現実に目を向けない、あるいは、「日本人は農耕民族だから」「島国だから」というような言葉の内側に閉じこもってしまうことは、この国の閉塞感をますます強めることにしかならないだろう。

最近、このノマドをめぐって、注目すべき議論を展開しているのが、フランスの思想家ジャック・アタリ(写真)である。アタリはミッテラン政権の特別補佐官を務め、東西冷戦崩壊後に設立されたヨーロッパ復興開発銀行の初代総裁を務めた。2006年に出版された「21世紀の歴史――未来の人類から見た世界 」という著書がベストセラーになり、サルコジ大統領のもとで「アタリ委員会」が組織され、政権に対して政策アドバイザーにもなっている。

ジャック・アタリのノマド論

21 「21世紀の歴史」という本については、別の機会に論じたいが、この本の中で、アタリは、1万年ほど前にメソポタミアで<定住民>となった人類が、21世紀において再びノマド(遊牧民)化すると述べている。
アタリは、現代のノマドの分類を行っていて、21世紀のノマドは、エリートビジネスマン、芸術家、学者、スポーツマンなどの<超ノマド>、食糧や水を求めて生き延びるための移動を強いられる<下層ノマド>、定住民でありながら超ノマドにあこがれ、下層ノマドになることを恐れてヴァーチャルな世界に浸る<ヴァーチャル・ノマド>の三種類に大別されるとしている。
21世紀のノマドたちは、草原を求めて彷徨したかつての遊牧民のように、富とチャンス、水と食糧を求めて国境を越えて移動する。

こうしたアタリのノマド論の前提となっているのが、国家という存在が世界史の表舞台から退場しつつあるという認識だ。ヒト、モノ、カネのそれぞれが、国家の枠組みを超えて地球規模で流動化している。今般の世界的な金融危機の発生も早い段階から予測しており、アタリに言わせれば、国家は既に地球規模で動くマネーの膨大なパワーを制御できなくなっており、金融危機は起こるべくして起きたということになる。

国家の影響力が減退する中にあって、浮かび上がってくるのは、「中心都市」という概念である。世界的なイノベーションの拠点となるような都市には、国境を越えてヒト、モノ、カネが流入し、中心都市となっていく。1980年代に東京が中心都市となるチャンスがあったが、構造問題を解決する能力がなく、労働市場の流動化を図ることもできず、世界中から才能を引き寄せることもできなかった。

2025年、衰退に向かう日本の未来シナリオ

2025年、ノマド化した世界の中で、日本の占めるポジションについてアタリの予測はかなり手厳しいものだ。

「日本は世界でも有数の経済力を維持しつづけるが、人口の高齢化に歯止めがかからず、国の相対的価値は低下し続ける。1000万人以上の移民を受け入れるか、出生率を上昇させなければ、既に減少しつつある人口はさらに減少し続ける。日本がロボットやナノテクノロジーをはじめとする将来的なテクノロジーに関して抜きんでているとしても、個人の自由を日本の主要な価値観にすることはできないであろう。また日本を取り巻く状況は、ますます複雑化する。例えば北朝鮮の軍事問題、韓国製品の台頭、中国の直接投資の拡大などである。
こうした状況に対し、日本はさらに自衛的・保護主義的路線をとり、核兵器も含めた軍備を増強させながら、必ず軍事的な解決手段に頼るようになる。こうした戦略は、経済的な多大なコストがかかる。2025年、日本の経済力は世界第5位ですらないかもしれない」(ジャック・アタリ「21世紀の歴史」より)

「軍事的な解決手段に頼るようになる」というアタリの予測は、大方の日本人にとっては、意外に感じられるかもしれないが、現在の日本は、二二六事件を機に農本主義を背景とした天皇至上主義が跋扈し、それを利用して軍部が台頭した時代の前夜にも似た閉塞感に覆われている。
そして、この国が、現在のように内向き志向であり続ける限り、アタリの未来シナリオは、かなりの高率で現実化するのではないかと思う。

しかし、望みはある。今般の世界不況は、日本企業にとって存亡の危機であるのと同時に、内向きな体質から覚醒するチャンスを与えている。新興国市場で第二創業を果たすような強靱な体質をもった企業も着実に生まれている。
21世紀の企業は、世界規模のテクノロジー開発競争に勝ち抜き、新興国の市場で成長の足場を築いていかねばならない。そのためには、世界に向かって自らを開き、世界中から優秀な人材を集め、国境を越えてノマド化していかざるを得ないだろう。日本企業というアイデンティティを超越すること、捨てることさえ決断することも迫られるかもしれない。

思い起こしてみれば、私たちの祖先は、もともと農耕民族でも天皇の臣民でもなかった。かつては大陸と陸続きであったこの土地にシベリア・北東アジアや東南アジアから流れ込んできた狩猟民が寄せ集まって、ひとつのまとまりになっていった。

私たちはもともとはノマドだったのだ。

(カトラー)

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Comments

まったく同感です。

蛇足ではありますが、徳川家康の祖先、松平家の初めも三河の豪農の後家さんをこましてしまった、ノマドな放浪坊主だったらしいですから、日本のノマドの歴史も由緒正しい(?)ものです。

正民、流民という区別は、中央政権の方便にすぎません。実際正規社員の方が税金の搾取がしやすいですからね。

Posted by: Yute | 2009.06.08 at 07:30 AM

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