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環境ファシズムの足音が聞こえる:あらためて宮下公園のナイキ公園化に反対する

東京都渋谷区は18日、区立宮下公園の命名権(ネーミングライツ)を、スポーツ用品メーカー「ナイキ・ジャパン」(東京・品川)に売却する方針を区議会で明らかにした。ナイキ側の予算で公園改修も進めるという計画だ。(アサヒコムより)

Photo 渋谷区が、ナイキに宮下公園のネーミングライツ(命名権)を売り、「ナイキ宮下公園」化する計画を公式に発表した。ナイキ・ジャパンが費用負担する形で、宮下公園内に新たにスケートボード場(1100平方メートル)、ロッククライミング施設が整備され、夜間は施錠されることになるという。

この計画に対しては、ホームレス支援を行っていたグループが中心となって「みんなの宮下公園をナイキ公園化から守る会」という市民団体が結成され、反対運動も始まっているが、彼らの声が多数意見となるとは考えにくい状況だ。というのも、一般区民の中には、「ナイキ公園になればキレイで明るくなり、ホームレスもいなくなる」と計画に賛同する声が少なからず存在しているからだ。
反対派は「ホームレスの人々が住む場所を奪われる」「宮下公園を集会場所として使えなくなるため市民運動が制限される」という反対論を展開しているが、ホームレスに対しては自立支援を行う、集会場所はどこか他所でやってくれという行政側の「建前論」に対抗できるかどうかは疑わしい。

ホームレスの排除と一体で動いている公園整備

渋谷区側は、今後、ホームレスの問題と公園の整備を切り離して対処する姿勢をとってくるだろうが、この計画の発端から、ホームレス問題と公園整備は一体のものとして動いてきたことを見ておく必要がある。特にこの計画の推進の中心となっている伊藤たけし渋谷区議は、渋谷区からホームレスを排除することを公約し、その一貫として宮下公園の整備を主張してきた人物である。過去の議会においても以下のような質問を行っている。

伊藤:渋谷区でも、公園にホームレスが集中している。ホームレスの居住場所を確保し、公園本来の姿を取り戻すことの必要性を痛感している。「ガイドプラン21」との整合性も踏まえつつ、宮下公園を「フットサルコート計画書」を核としたスポーツ公園へ改良すべきと考えるが。また、改良にあたっては、PFIなど民間活力を導入するのはどうか。

区長:宮下公園は都市公園としての位置づけがされていながらホームレスに占拠されている状況を踏まえ、自立支援センターと平行しながら解決していかなければならないと認識する。「ガイドプラン21」にも方向性が示されているので今後の検討課題としたい。

「ホームレスの居住場所を確保し」と留保を付けているが、伊藤は宮下公園のナイキ公園化が、明らかにホームレス排除の一貫として行われていることを確信犯的に表明している。
この他にも伊藤は、代々木公園で陸上女子実業団チームの女性選手たちが、ホームレスに追いかけられた逸話などを持ち出して、治安上もホームレスは問題であるという趣旨の発言を行っている。世の中には、女性の下着を手鏡で見て喜ぶ大学教授や満員電車の中で痴漢行為に及ぶ裁判官もいる。こうした事件が発生した際に、大学教授や裁判官全体が色情狂扱いされただろうか。代々木公園の出来事も事実かどうかも疑わしいが、伊藤はこの事件から何を根拠にホームレスの人々全体が治安上の問題だと主張しているのだろうか。

きれいな街は、ひとの心もきれいにする?!

渋谷区議には、この伊藤たけしと結託している長谷部健という議員がいる。長谷部はもととも広告代理店のサラリーマンだったが、green bird という環境NPOを立ち上げて、企業からカネを集めて環境活動をはじめたが、2003年に渋谷区議に立候補して議員となった。長谷川たちのNPOがやっていることは、「ゴミ拾い」である。こんなNPOにカネを出す企業も企業だが、「きれいな街は、ひとの心もきれいにする」という、ぞっとするキャッチフレーズを掲げて、全国の市街地でゴミ拾い運動を行っている。最近では、パリにまでのこのこ出かけていってこの「ゴミ拾い」をやったらしい。

アルピニストの野口健のように、富士山のゴミを拾う活動を象徴的に運動化するのは賛同できるが、渋谷や原宿など繁華街で、企業からカネをもらってゴミを拾って「心がきれい」とは「ちゃんちゃらおかしい」としかいいようがない。
伊藤たけしと結託して宮下公園のナイキ化計画を推進してきたこの長谷部健に聞いてみたいのは、「街をきれいにする」というキャッチフレーズの意味には、ホームレスを追い出すことも含まれるのかどうかということだ。もちろん、そんなつもりは無いと否定するだろうが、相棒の伊藤たけしは、この点について確信犯的であるし、それを一見きれいな環境キャッチフレーズでカムフラージュしてやっている分だけ、長谷部健のほうが、もっとあくどいといえるだろう。

ナイキ・ジャパンから支援を受けている長谷部議員

さらに、長谷部健が議員として問題だと考えられるのは、主宰するNPO法人green birdが、今回のプロジェクトの主役であるナイキ・ジャパンから支援を受けていることだ。宮下公園のナイキ化計画に直接の利害を持つナイキ・ジャパンから金品を支援されているとしたら、地方自治体の議員としては大いに問題だろう。ナイキ・ジャパンにとっても、このことは贈賄行為と受けとめられても当然であり、コンプライアンス上、問題視されるべきだ。ナイキという企業は、かつて80年代、製造委託先の東南アジア、インドなどの工場で人権を無視した労働条件のもとで、少年少女なども強制労働させていた実態が告発され、世界中の人権団体やNGOから袋叩きにあったという苦い経験を持つ。ホームレスを追い出してナイキ公園を作るという今回のプロジェクトで同じ轍を踏むのだろうか。

しかし、私にとって最も不愉快なのは、他方で「きれいな街は、ひとの心もきれいにする」というスローガンを何の疑いも持たずに受け入れている人々がいることだ。自分の身のまわり、視野に入ってくる世界はこぎれいにしておきたいが、他の世界で起きていることには無関心。そこには、ホームレスが生まれてくる根本的な問題には目を向けず、渋谷区からとりあえず消えてくれれば良いという小市民エゴがありはしないか。賢明な渋谷区民は、そんな連中ばかりではないと思いたいが、伊藤たけしや長谷部健のような人物が議員に選ばれてくる背景には、ホームレスの居場所を考えることよりクールなナイキのブランドマークを眺めていたいという小市民ブランド主義が透けて見えてくる。

人々の心に巣くう小市民ブランド主義

日本の環境ブームは、「ロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability)」という広告屋がでっちあげた実体のない言葉のまわりでこの島国の中だけでガラパゴズ的に盛り上がってきた。どんな内容か知らないが、この長谷部健という議員もシブヤロハスプロジェクトという環境運動を提案したと得意気に自分のホームページで報告している。ロハスという言葉は、もともと米国からやって来たということになっているが、米国に行ってこんな言葉を叫んでもキョトンとされるだけだから、気をつけたほうがいい。こんな言葉をありがたがっているのは、世界の中でもこの日本だけだ。
そしてロハスブームがたどり着いた果てが、「きれい」という言葉を掲げ、異質なもの、汚いものを排除するホームレス排斥運動であるとすれば、そんな「環境ファシズム」は糞食らえだ。

都市、街というものは、もともと猥雑なものである。ヤクザもいれば、娼婦もいる。世界の富を独り占めする奴がいる限り、貧富の格差やホームレスも決してなくならない。長谷部健や伊藤たけしのように、そんなにロハスやキレイな街がお好きなら、ツアーでも組んでさっさと北朝鮮の平壌にでも行ってしまえばいいのだ。

排除の論理に基づく環境議論はファシズムにつながる

ここであらためて確認するまでもなく、宮下公園のホームレスは、我々と同じ世界の住人であり、日本国民である。彼らが何らかの理由で路上生活を余儀なくされていることは、我々が直面している社会の現実であり、その現実はゴミのようにゴミ箱に捨ててしまえばどこかに消え失せてしまうものではない。ホームレスの人々が目の前で生活している現実とまず向き合うことから始めなければ、全ての環境議論はファシズムに直結してしまうだろう。
かつてのナチスドイツは、健康、清潔であることを国民の義務として、スポーツを奨励した。それと同じように現代のファシズムは、ナイキのようなブランドとともに環境やスポーツの衣をまとって出現してくる。

ナイキのロゴマーク、スウッシュ(Swoosh)は、トップアスリートたちに巨額の契約料を支払ってクールなブランドイメージを構築し、最も成功したブランドとなった。クール(きれい、かっこいい)とは、「汚い」「かっこわるい」の対極にあるイメージであり、ナチスのブランド「ハーケンクロイツ」がそうであったようにように、異質なものを排斥することでイメージを維持しようとする。最も成功したブランド、ナイキのスウッシュ(Swoosh)には、今、こうした危うさが生まれているとあえて指摘したい。

そこで、ナイキ・ジャパンに提案がある。長谷部健や伊藤たけしのような連中の口車に乗って宮下公園のネーミングライツ(命名権)に無駄金を払うよりも、ホームレスの自立支援に賛同する方が、これからのブランドイメージ向上には余程役立つのではないか。
クールよりも共生(コモンズ)である。ナイキのように独り勝ちしたブランドは、いずれ陳腐化(コモディティ化)のリスクに直面する。どこを見てもナイキで埋め尽くされる状況が生まれるのだからそれは当然の帰結といえる。それを防ぐ唯一の方法は、ブランドを「コモンズ(共有地)」化していくことだ。

「クールからコモンズへ」なかなかいいキャッチフレーズだと思うが・・・

(カトラー)

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コメント

ホームレスの事情も理解出来なくは無いが、公共公園を占領するというのは如何なものか?
一般人からすれば公園でテントを見ると恐怖感を覚え近寄り難いのは確かです。
本来の目的である公共公園としての使用がそんなに悪い事ですか?

投稿: よ | 2009.06.28 21:07

時々宮下公園でフットサルをしている30代のエンジニアです。私自身はホームレスの方に恐怖心は感じませんが、ホームレスの方もそれぞれですし、そこを通る人もそれぞれですので、公園でのホームレスの存在に関して、一概に結論は出せないと思います。(>よさん)

重要なことは、公園でのホームレスの存在ではなく、環境を前面に押し出して、日本の社会全体を見るべき政治家(この場合、渋谷区という都市を見るべき政治家)が部分最適をすることにより、今考えなくてはいけない事象を見えなくしてしまうことだと思います。また、それをナイキという企業が支援してしまう、環境という聞こえの良いフレーズにたなびく人々が支援してしまう現状にあると思います。その点で、ブログのご指摘に非常に共感いたします。

私の所属する製造業は非常に厳しい状況に置かれており、期間労働者の方はホームレスになられることもあります。ですから、宮下公園の方も直接存じ上げませんが、もしかしたら同じ会社であったかもしれません。他人事では済まされない事態になりつつあります。ですから、今、私の職務でできることは事業を創出して雇用を創出することと考え、職務に当たっております。

それ以外にできることは、Katolerさんのように、人々に気付きをあたえることぐらいかもしれません。前述しましたが、環境にたなびく人々(私と友人もしかり)はこの気付きの機会が少ないような気がします。このような建設的で鋭いご指摘を今後も期待しております。

投稿: U1 | 2009.06.28 22:33

はじめまして。いつも勉強させていただいています。

「クールからコモンズへ」というキャッチフレーズ、いいですね!
単に表面的に取り繕ってきれいにすれば良いわけではないですし、政治家には本質的な解決を望みたいところです。

政治家にとっては集票基盤である一般市民にどれだけウケの良い政策をするかが重要なのであって、少数派である社会的弱者にウケることをやっても意味が無いというのが現実なのでしょうか。

企業にできることを考えると、ホームレスの自立支援というのは良いアイデアだと思いました。ただ、これも社会問題を解決するという点では、やはり対処療法ですし、逆にこれ以上のことを企業に求めるのも難しいと思いました。

本質的に取り組むべき問題は、正社員の過剰保護(長期雇用)に繋がっている雇用規制の緩和や、再就職のし易い柔軟な労働市場の創出だと思います。この辺が本来政治家が取り組まなければならない問題だと認識しています。


その他、気になった点としましては、「都市はもともと猥雑なものだ」というご意見。現実として理解できる部分はありますが、渋谷の繁華街は汚いと思いますし、「割れ窓理論」を考えると、放置すれば海外の大都市並に治安が悪化する懸念もあると思います。浅はかなホームレスの排斥に繋がらないのであれば、ゴミ拾い自体は良いことだと思いました。

あと「ロハス」という言葉ですが、海外はどうあれ、それで結果的に日本人の環境意識が底上げされるのであれば、それはそれで良いのではないかと思います。「ロハス」が「異質なものの排斥」に結びついているかどうかは、うーん、分からないなーという感じなので、引き続き考えたいと思います。

今後も、このような素晴らしいエントリを期待しております。

投稿: かわうそ | 2009.06.29 00:22

支援団体は、自分達の家にホームレスを招けば良いだけでは? というのは極論にしても、ホームレスを今のまま公園に放置しておいて良いわけがない。

金を出し合って、ホームレスの人間が雨風を凌げる施設を作ればいい。自分達では無理だろうから、役所にもお願いすればいい。

公共公園を占領しても良い言い訳にはならない。


あと、守る会のホームページ見てみたけど、自分達に反対している勢力を思いっきり悪い印象にしようと苦心する様が見えて、気分が悪くなりました。
「19日公園課長聞き込み」について、課長の発言を思いっきり乱暴ば印象で書いてますよね。本当に、こういう言葉遣いだったんですか?

投稿: ATM | 2009.06.29 02:17

この手の手法への嫌悪感は、現状よりも誰もが納得する「ちょっと良い」事を奨励する、その裏側に隠された確実な「悪意」が広がっている事です。

ホームレスの自立化  ○
環境問題への取り組み ○
ゴミを拾う活動    ○
公共財産の運用    ○

もっと端的に言えば、

キレイ・清潔  ○   汚い  ×

誰もが受け入れやすいレトイックの中で、蠢いている排斥的な思想。

世の中を二分的に、○×しながら、「だからこうだよね~」と論理帰着を迫る。

結局、二分法的な思想こそが、排斥や独裁への導入口そのものなので、○×を突き詰めると、「生と死」に行き着いてしまうのではないでしょうか。

これは、殺人的な行為の予兆かもしれないと、思った次第です。   

投稿: あたり前 | 2009.06.29 11:19

宮下公演のホームレスは、日本人すべてにとって他人事ではないのです。カリフォルニアの現状がわかりますので、是非次の動画をみてみてください。
http://www.youtube.com/results?search_query=tent+city+California+&search_type=&aq=f

投稿: tamago gohan | 2009.06.29 17:01

声の小さい善良な市民が集う公園で、ホームレスをするから問題なんであって、

ヤクザ事務所前やパチンコ・サラ金の店舗近くで、ホームレスをすれば一躍拍手喝さいされる存在へと昇華できるのではないでしょうか?

戦後の復興期の混乱に乗じて不法占拠し手に入れた某半島系に対する、良い皮肉になりますし、
公園でホームレスをし、景観を乱し、
悪臭を放つよりも、よほど建設的です。

良い街を造りましょうよ、

私の家の近所にもたくさんのホームレスが住み着いているので、問題公園の近隣住民の心中を察しますよ、

安全なところで声を上げ、ホームレスを支援を叫ぶような偽善行為をするより、やはり、自分の家に招待して、少しでも、近隣住民が受けている実情を知ることから始めてみては、いかがでしょうか?

投稿: | 2009.06.29 18:57

カトラーさんにはいつも教えられます。思い起こせば、かの郵政選挙、また選挙がめぐってまいりましたね。ま、それはともかく………。
むかし福沢諭吉の伝記を読みまして、諭吉の母親はいつも女乞食さんを家によせ、握り飯をやったり、髪を手入れしてやったり、シラミをとってあげたり、それを諭吉はじめ子供たちに手伝わせていたそうですね。彼はそれが当時いやでいやでたまらなかった、と述懐していましたが、どうも武士階級にはそういうことは、さして珍しいことでもなかったようです。あるいは中津という土地柄でしょうか?先日もインドの上流の子弟のいくある学校ではまず、生徒に「乞食」体験をさせる、というのを聞きました。自らが、まず「裸の自分」を知るべき、ということらしい。翻って、福沢といえば、独立自尊、を思い起こします。福沢の独立自尊とは、案外、深いものがあるのかな、といまさら思います。皆様のご議論、よしなしごとで、お邪魔してすみません。

投稿: 北村隆男 | 2009.06.29 22:11

ちょっと一言。
守る会に参加しています。
かわうそさんのコメントに
>「19日公園課長聞き込み」について、課長の発言を思いっきり乱暴ば印象で書いてますよね。本当に、こういう言葉遣いだったんですか?
とあります。渋谷区の小澤公園課長は、とても役人とも思えない口調で、これは悪意の誇張はなく、むしろ控え目なくらいだと思います。なぜか、べらんめぇ調の人です。~だろ!、~ねーよ、~じゃねぇか、という感じで始めは驚きました。ある意味の親しみを感じさせるタイプではありますが、人によっては強圧的な印象を持たされることもありそう。相手によって使い分けているのだろうから、公平な対応ではないですね。

カトラーさんの意見の環境ファシズムという部分は特に共感します。息苦しさは、ソフトな面持ちでやってくる倫理や管理からもたらされている、というのが今の状況だと思います。

投稿: 小川 | 2009.10.23 18:29

昔埼玉でホームレスが場所を占拠しているなら、僕等子供や若者も自分たちの遊び場を自分たちで作ろうと言ってBMXライダーやスケートボーダーが公共の土地にスケートパークを作ったことがありました。

katoler さんはnikeの作ったパークは反対するけど、不法占拠してスケーターが自主的に作ったパークであれば存続に賛成してくださるのですか?

ちなみにそのパークは1年ほどであえなく撤去されました。

私はホームレス排斥には反対ですが、合法的にパークを作ろうというNikeの運動自体は賞賛されるべきだと思います。

投稿: digig | 2010.03.22 23:09

確かに環境という言葉を使ってビジネスをする現代の風潮は好きではありません。
しかし、それ以上にホームレスが公園を占拠することのほうが好きではありません。
彼らの中の大半は静かに暮らしており、悪意は無いように見えます。だが、彼らの周りはどうでしょう。臭いや雑菌、もしかしたら病原菌も存在しているかも知れません。そんな状況で区民は宮下公園を憩いの場として使用できるのでしょうか。
ナイキ宮下公園がだめなら、ホームレス宮下公園はほんとに良いのでしょうか。


疑問を感じてしまいます。

投稿: よっと | 2010.05.15 04:39

色々わからない点があったので第3者的な見地から書こうと思ったが、反対している団体は結局ホームレスを建前に市民運動という名の左巻き運動ができなくなる事を懸念してるだけなのね。
まぁ、ナイキに関しても確かにうーんと思う部分もあるとは思うが、
到底ホームレスを餌にし続けるのは無理があると思うよ。だって、それならナイキで無く区に居住スペース(アパート等)の建設や確保をお願いするとか訴えるとかすべきなわけだもん。
ホームレスの人権や生存権を差別するつもりはないが
公園が誰かの居住空間として認可されているわけでもないし、反対する会の基本点にもその件に関しては全く触れてないもんね。

投稿: ??? | 2010.09.16 16:33

コモンズってもう少し難しいんじゃないかな。

”コモンズ化”にするなら、「ホームレス」の方々は、公園に対し、まちに対し、どんな貢献・責務を負うのですか?って疑問が出てきてしまいますよね。
ただ各々がやりたいようにやったら「コモンズの悲劇」ですよね。

共生はただ同じ土地に居合わせることではないと思います。心がかよっていてほしい気がします。少し理想論すぎるかもしれませんが。
たとえ理解しあえないという結果になっても、そういう結果に至る話し合う機会は必要な気がします。

今回の件はそのチャンスである気がします。
なので強制代執行となりますが、それで落着させないでほしいですよね。
まちの人、「ホームレス」の方々の意思を引き出せる場づくりが必要ですよね、きっと。

第三者の「~の会」が代弁を逸脱せず、うまく意思を引き出してくれたらと願います。

こういった場を提供してくださりありがとうございます。興味深い意見たくさんありました。
これからも楽しみにしています。

投稿: | 2010.09.24 09:32

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投稿: Bobiosislople | 2010.09.25 19:09

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投稿: Bobiosislople | 2010.10.13 07:40

割れ窓理論ですね。
ちょっとでも割れマドがある地区は
そこを発端にどんどん治安が悪化していくという・・・

街のゴミ拾いはただ美化をするだけでなく
治安の向上にも役立つのですよ。

投稿: | 2010.10.14 15:38

ホームレスが固定化されないようにしてほしいです。ホームレスには高齢者も多く、厳しい季節には当然屋根のついた施設に入所してもらうべきで、衛生健康面を考えても、いつまでも路上に生活してもらうべきではありません。

パークの整備とともに、ホームレスの人たちが雨露をしのげる場所の整備がなされているのなら、個人的には異議はありません。

投稿: Aki | 2010.10.14 23:34

毎日、駐輪場を利用してます。
今年になって上の人達が降りてきて住む様になり、駐輪場は汚くなりました。
ホームレスの人達はそこら中に小便をします。数十メートルの所に公衆トイレがあるのにです。 

迷惑です。

投稿: | 2010.10.15 01:10

反対派がホームレスの生活にどういう展望を描いているのか紹介されているサイトがあれば教えてください

見つけられたのは反対のための反対論理ばかりでまったく建設的でありませんでした

個人的に落としどころは、1700万円をホームレスの自立支援に使えと要求することだと思うのですが

ナイキが撤退すれば、何も残りません

ホームレスの生活も気遣われるべきですが、納税者の利益が損なわれることがあってはならないと思います

投稿: | 2010.10.15 02:22

ホームレスが、うようよしている公園が、
みんなの公園って言えるのか?

そんなところで、
小さい子供を連れた母親や、小学生、老人なんかが、
安心して時間を過ごせるのか?

疲れたサラリーマンやOLが、つかの間の休憩ができるのか?

おかしいだろ。

投稿: 通行人A | 2010.10.31 15:29

日本人の職を奪っている、“外国人労働者”こそ悪の根元。
犯罪外国人 不逞支那・朝鮮人を日本から叩き出そう。

投稿: 在日特権根絶 | 2011.03.03 05:52

胡散臭い在日連中(不穏分子)に“優遇”は不要。“排斥”あるのみ。
ナチ政権下を見習い、法で不穏外国人から人権剥奪するべきだ。

投稿: 在日特権根絶 | 2011.03.03 06:02

ホームレスを公園に済み続けさせろ!

行政はホームレスを公園に居住させよ!

ということですか、、、、

反対派がホームレス支援を何か具体的に始めていなければ、意図は別なところにあるのでしょうね、

ネーミングライツが資本との癒着だ!との主張は、まさに左系体質の色目眼鏡で、ファシズムの足音は幻聴でしょうね、
ファッショなどという言葉を安易に使う者こそファシスト的体質を持っているものです。

民主主義を否定し渋谷区民の公園を違法に占拠し物を置くなどするファシスト達から、やっと公園を解放したというところでしょう!

ホームレス問題は別な問題という事です。

投稿: 69D74 | 2011.04.29 16:04

ホームレスを追い出してはいけない。
理由は以下のとおり。


サラ金だって、「ご利用は計画的に」というのに、計画経済ではなくてなぜ自由主義市場経済は可能なのか。
神の見えざる手という有名な言葉があって、経済は市場の自由な運動に任せておけば需要と供給の関係でおのずから最適な位置に落ち着くのだということのようですが、でも供給と需要は全然別のものじゃないか、おコメを百俵作った人がそれを売りに出したがそのコメを必要とする人には金がなくて、コメは売れ残り人は餓死するでは最適な状態とは言えないのではないか、というと、そういうことではなくて、セーの法則、もしくは販路の法則というのがあって、供給それ自体が需要を生み出す、のだそうです。これは経済学上ではあたかも物理学におけるエネルギー保存の法則といえるものなのだそうで、どういうことかというと…
ある樵が山林地主に一万円をはらって木を切り出し、二万円で材木屋に売った。それを家具職人が三万円で買い、テーブルを作って四万円で売りに出した。各人の収入はそれぞれ一万円で、四人の収入の総計は四万円である。左側には四万円の収入があり、右側には四万円の商品がある。
 もし樵の取り分が五千円であれば三万五千円の総収入に対して三万五千円の商品になり、材木屋が自分の収入を一万五千円にすれば四万五千円の総収入が四万五千円の総商品に対することになる。さらに一人の商人が現れてそのテーブルを買い五万円で売るとしても同じで一方に五万円の総収入があり反対側には五万円の商品がある。全世界の収入の総額と商品の総額は常に等しい。この二つは違うことができない。だから収入のすべてが支出されればすべての商品が売り切れる。
 これは非常に優れたシステムで、もし商品が売れ残るとすればそれはその商品が市場にとって不要なものだったからであり、必要な商品である限り必ずそれが売り切れるだけの収入がおのずからもたらされていることになる。
 ただしここで肝腎なのは「収入のすべてが支出される」ということで、(マルクスとケインズが批判したのもここですが)
このとき、収入の一部が支出されずに貯蓄に回されるとするとその分の商品が売れ残ることになり、その商品が売れればもたらされるはずの収入が実現しないことになる。そこに発生する貧困の量は貯蓄の量と等しい。使われずに残った貯蓄は世界の反対側に自分と等しい量の「実現しなかった収入」・貧困を生み出す。
一方で、貯蓄するということはもう消費に金は使わない、消費財はいらない、と市場がいっているわけなのだからそれだけ資本財、生産財に資源を振り向ける余裕を手に入れたのだともいえる。
資本主義の初期においてはブルジョワジーという偉大な種族がいて利潤をすべて投資に次ぐ投資に振り向け資本財、生産財を拡充し世界を豊かにしたというふうに昔習った記憶があるのですが、今の日本はカネ余りとか言って産業育成のための投資に振り向けられずに漫然と溜め込まれたままになっているのだそうで(というよりは投機目的で溜め込まれている)、するとその巨大な貯蓄の分だけ消費が不足し、実現されない収入・巨大な貧困が生まれる。
自由主義市場経済で完全雇用が実現するのは貯蓄がゼロのときで、貯蓄が存在するときは貯蓄と同じ大きさの投資をしなければ失業と貧困が発生する。

もはや投資に次ぐ投資で事業を拡大した偉大な種族が滅びてしまった現在、国づくりがあらかた終わってしまったといわれる現在では、この巨大な貯蓄を何とかするには、貯蓄している人に何とかものを買ってもらうとか、軽いインフレ状態にして今使わなければ損をするぞと脅かすとか、貯蓄分は税金で没収するぞといって強制的に支出させるとか、それでも使わなければ本当に没収して国が代わりに使ってやるとか、もしくは安い金利で借り上げて国づくりに使うとか、多く貯蓄する富裕層からあまり貯蓄のできない貧困層に所得を移転するとか、または、使わないで貯めこむだけの人がいるなら、貯めないで使う人がいればいいわけだから誰かが巨大な赤字を出して借金経営の事業をするとか、とはいってもそれだけの赤字に耐えられるのは民間にはいないだろうから国が赤字財政で何かをするとか、またはそもそもカネがしまいこまれてしまっているのだからその不足分のカネを印刷するとか、が必要になる。
投資しきれないほどの貯蓄が眠っているということはそれだけのお金を持つ資格と能力のない人の手にお金が集まっているということであり、一方にはお金がなくて失業、ホームレス、餓死、自殺が発生しているということは現在の貯蓄のシステムが重大な欠陥を抱えていということだ。失業、ホームレス、餓死、貧困…は自己責任ではない。

投稿: shn | 2011.05.06 19:04

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渋谷駅の東側にある宮下公園の問題について、全国に多くの読者をもつ有名ブロガーのカ [続きを読む]

受信: 2009.06.29 13:15

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