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花王エコナのトクホ失効の波紋と「リスクゼロ」という神話

Ecn_oil_00_img_l 花王の食用油「エコナ クッキングオイル」に発ガン物質「グリシドール」に変化する可能性のあるグリシドール脂肪酸エステルが多く含まれることが報告され、社会問題にまで発展した。

花王は、政府の食品安全委員会に対して、エコナのグリシドール脂肪酸エステルの含有量について報告し、エコナおよび関連製品の販売自粛に踏み切る一方で、消費者に対してはエコナの安全性そのものについては問題がないとアナウンスしていた。しかし、発足したばかりの消費者庁がトクホの認可取り消しに向けて再検討に入ったのを見て、花王は自らトクホの失効を申請した。

消費者庁の対応を巡って思い出されるのは、昨年のマンナンライフの「蒟蒻畑」をめぐる問題である。こんにゃくゼリーを喉につまらせ幼児や老人が死亡する事故が相次いだため、国民生活センターは注意勧告を出し、マンナンライフ側もパッケージにリスク表示を掲載するなど対応を進めたが、昨年の7月に幼児が同様の事故で死亡ことを受けて、当時の野田聖子消費者行政担当相は製造元であるマンナンライフを内閣府に呼び、再発防止策の徹底を要請したために、マンナンライフはついに製造中止にまで追い込まれてしまった。

新聞、テレビなど大マスコミは、「安全」を錦の御旗にメーカーにあくまで完璧を求める野田聖子の姿勢に同調した報道を行っていたが、ネットや一般消費者の中には「これはやりすぎ」という声があがり、製造中止に追い込まれたマンナンライフに激励の電話が殺到した。

こんにゃくゼリーバッシングと同じ構図

こんにゃくゼリーの問題については、私も当時の野田聖子消費者行政担当相がとった対応は明らかに行き過ぎだったと考えている。こんにゃくゼリーを喉に詰まらせて不幸にして亡くなられた幼児やご老人には同情の念を禁じ得ないが、同じような事故は、餅など他の一般食品でも多発している。こんにゃくゼリーだけを槍玉にあげるのは、いかにも公正さを欠き、これは安全に名をかりた、有権者への点数稼ぎ、ポピュリズムに過ぎないだろう。

今回のエコナの問題についても、同じ臭いが感じられる。福島瑞穂大臣は、消費者庁発足の最初の手柄にしようとしていたことが見えみえで、スケープゴートにされることを嫌った花王が、先回りしてトクホの失効を申請したというのが本当のところだ。

エコナの問題が発生した背景には、測定機器の精度が飛躍的に向上したという事実がある。問題となったグリシドール脂肪酸エステルは、エコナだけでなく、パーム油など他の一般の食用油にも含まれているが、エコナはそれらに比べ数十倍多いということが問題となった。
しかし、どの程度であれば、健康上問題なのかは、知見があるわけではない。グリシドール脂肪酸エステルが問題であるということであれば、一般の食用油も程度の差こそあれ「発ガンリスクがある」ということになる。

野田聖子大臣は、こんにゃくゼリーよる死亡事故が17件であるのに対し、餅による事故の方が168件も発生していることを問われて「餅は喉に詰まるものだという常識を多くの人が共有しているから」と訳のわからない説明をしていたが、今回のケースでも、逆に、エコナと同じようにグリシドール脂肪酸エステルが含有されている一般の食用油は安全である根拠はどこにあり、放置しておいていいのか?と問われたら、福島瑞穂大臣は何と返答するのだろう。

リスクを完璧に排除したら食べられるものが無くなる?

食の安全は重要だが、リスクを完璧に排除していったら、この世の中からそれこそ食べられるものが何も無くなってしまうだろう。しかも、そのリスクは、もともとその食品自体に内在していたものが、測定機器の能力向上やマスコミの報道によって可視化されただけで、本質は何も変わっていないかもしれないのだ。

考えてみれば、太古の人類にとって、食とは、命がけで獲物を捕ってくることであり、常に細菌感染や毒物を回避しなければならず、そもそもが大きなリスクを伴うものだった。それに対して、現代では、食物は安全であることが、当たり前とされ、例えば、食べ物の賞味期限が少しでも過ぎているだけで、ゴミ箱行きだ。私のようにチョット臭いを嗅いでこれは平気だと思えば食ってしまうような人間は、野蛮人扱いされてしまう。

日本人が食の安全性にこだわり、リスクを徹底的に排除しようとするのは、衛生観念が発達し完璧を求める国民性の現れであるというように説明されたりするが、私はそうは思わない。このことは、単に戦後日本人のリスクに対する考え方が幼いことを示しているに過ぎないと考えている。
食の安全を追求することを全て止めろとはいわないが、この世界には、コントロールできないリスクが存在していると考える方が、人間としては余程現実的であろう。こんにゃくゼリーをバッシングしても餅の飲み込み事故は無くならないように、物事のリスクを排除することには限界がある。
そうしたまともな現実感覚、バランス感覚が、この国の人々に欠如しているとすれば、それはリスクに対する感覚がどうしようもなく鈍磨しているからではないか。

あえて極論すれば、この国では戦後60年、戦争やテロで殺された人間がいないからだ。

リスクをゼロにすることよりヘッジすることを考える

華僑の人々は、戦争や政治クーデターなどで一夜にして全てを失うリスクというものと何世代にもわたり向き合ってきたために、リスクをヘッジする感覚や生き方が身に付いている。私の知り合いの華僑中国人は、息子や娘を、米国、日本、ヨーロッパといった世界各地に留学させている。ひとたびどこかの地域で致命的な事態が勃発しても、他の地域の兄弟がその危機から家族を助け出すことができるからだ。ようするに、リスクをゼロにすることではなく、リスクが存在することを認めた上で、そのリスクをヘッジすることを彼等は考えている。

食品の安全性、リスクゼロを追い求めること自体は否定しないが、反面、そうした内向きな議論ばかりをやっていることが、食に関するもっと大きなリスクを隠蔽することにつながっているのではないかと危惧している。例えば、それは、食糧危機のリスクだ。

Shibusawa_data2 世界の一人あたりの耕作可能な農地の面積は一貫して減り続けており、限界値といわれる10アールにまで減少している。農学者によれば、10アールの耕地が一人の人間が生きていくのに最低限必要な面積であり、これまで、何とかやってこられたのは、単位面積あたりの収量が農業・栽培技術の進歩などにより、一貫して伸びてきたからだという。しかし、現在では、ひとたび凶作などが世界のどこかで発生すると、食糧危機が全世界に広がるという状況下にあることは、ほとんど知られていない。

食料危機の巨大なリスクの下にある世界

食糧危機という巨大なリスクがあるから、食品の安全性のリスクには目をつぶってもいいなどと言うつもりはない。リスクをゼロにすることに血道をあげるより、リスクをヘッジすることに知恵を使う方が余程賢いといいたいだけだ。

花王エコナの問題が顕在化してから、トクホや機能性食品そのものを否定するような論調も出始めている。トクホの管轄が厚生労働省から消費者庁に移されたことで、トクホの認定が全く進まない状態になっており、業界から悲鳴が上がっている。

トクホの認定は、厚生労働省時代には専門家による委員会で検討されていたが、消費者庁に移管されてからは、消費者代表から成る消費者委員会に託され、結果的に果てしのない安全性論争が繰り広げられているという。彼等は至極まじめな信念の持ち主なのだろうが、リスクゼロをいうことは、宗教的信仰と何ら変わるところがない。
私自身は、自分が食べるもののリスクは、自分で判断したい。その判断材料は示してほしいと考えるが、消費者保護の名をかりて彼等の「宗教的信念」を押しつけてほしくない。
エコナの問題に即していえば、エコナをどれだけがぶ飲みすれば、ガンのリスクが生じるのか、そのデータを示してさえくれればいい。そうしたデータが無いのなら、無いということだけ言ってもらえばいい。

(カトラー)

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