« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

小沢vs検察 「国体」との最終戦争の行方

Ozawa_interview 小沢一郎が検察の事情聴取に応じた。その後、行われた記者会見では、陸山会の土地購入に関わる不正資金疑惑についてあらためて否定し、検察との徹底抗戦を宣言するという異様な事態になってきた。

説明責任を未だ果たしていないと批判する声が上がっている一方で、政治資金収支報告書への虚偽記載という形式犯ともいえるような罪状で現職の国会議員まで逮捕に踏み切る検察の捜査手法について、反発の声もあがっている。

そもそも、今回の疑惑は、小沢一郎が野党時代の問題であり、職務権限を行使できる立場になかったことから、過去の疑獄事件とは異なり、仮にゼネコンから資金が流れ込んでいたことが立証されたとしても、贈収賄事件としての立件は不可能である。
既に逮捕された大久保秘書や元秘書だった石川議員にしても小沢一郎の関与を認めることは、ありえない。小沢が「政治資金の管理は秘書に任せていたことであり、自分は関知していなかった」と押し通せば、政治資金規制法違反で立件することも難しいだろう。

小沢一郎の政治的死を企図する検察

それでもなお、検察が小沢一郎周辺の逮捕に踏み切り、贈収賄での立件が不可能であるにもかかわらず、ゼネコン絡みの資金の流れについての立件に執念を燃やしているのは、小沢一郎という政治家の政治的死を企図しているからだ。

別の言い方をすれば、今、起きていることは、検察と小沢一郎との間で繰り広げられている権力闘争なのである。

この権力闘争の根本を理解するためには、この国のガバナンス、権力の本質の問題にまで遡って考えることが必要になる。

明治政府の成立以降、このかた日本の統治機構と権力の中枢は長く官僚組織にあった。
欧米列強から開国を迫られ、近代化に向けて舵を切った小国日本にとって、欧米が既に築き上げていたような国民国家などは望むべくもない。それでも大急ぎで近代国家として体をなしていることを示さなくはならなかったからこそ、生まれてきた国家観が「国体論」であった。
すなわち、日本国民は天皇の臣民、天皇を頂点とする家族とされ、この国は万世一系の単一民族として連綿とした国体を持つという神話が流布された。太古から、日本は単一民族であり、そのことを日本人は誇りとしてきたというのは、たかだか明治時代に急ごしらえででっち上げられた神話(嘘)に過ぎない。そして、太平洋戦争に敗戦するまで、こうした国家権力の有り様は「国体」という言葉に象徴されていた。

国体=天皇であると誤解されがちだが、国体とは実は天皇をも超越した概念である。ポツダム宣言を受諾した昭和天皇の終戦詔書においても、国体を護持するために朕(昭和天皇)は、ポツダム宣言を受諾すると述べているように、天皇も国体なるものの永続性を担う一部であって、それ自体ではない。敗戦時、当時の為政者の考えたことは、国民の生命や財産のことではなく、国体の護持ということだけだった。驚くべきことは、この時の指導者の誰ひとりとして国体の何たるかを定義していなかったことだ。

国体の一部を担っている官僚のエリート意識

国家とは本来人間が作りだしたシステムであるから、為政者の権力意志を表現している。しかし、日本にあっては、それは天皇を頂点とする「国体」という曖昧な言葉で覆われ、誰が権力者なのか、顔の「見えない構造になっている。この「顔の無い統治構造」こそが「国体」の本質であり、日本の高級官僚たちは、その「国体」の一部を担っているという自覚があるから、強烈な使命感とエリート意識を持ってきた。

敗戦によってこの国の全てが灰燼に帰したが、マッカーサーの下で制定された平和憲法では象徴天皇制がとられたために、こうした統治構造とエリート官僚達の意識構造は、戦後になっても基本的には変わることがなかった。米国の占領に当初は怯えていた官僚たちも米国と手を結びさえすれば、「国体」の構造は温存されることを理解して、親米国体主義ともいえる戦後の奇妙な官僚至上主義が形成されていった。

習国家副主席の天皇会見問題で露見した国体意識

話をもう一度、今に戻そう。昨年、中国共産党の習国家副主席と天皇の会見のセッティングをめぐり宮内庁と官邸、小沢一郎の間で火花が散った。
「1ヶ月ルールが無視されている」と宮内庁の羽毛田長官が不快感を示したことに対して、小沢一郎は「誰が何の権限を持ってそんなルールを決めたのだ」と激怒した。実は、この出来事にもこの国の統治と国体の問題が影を落としている。

政治のガバナンスの問題として見れば、小沢一郎の言っていることは全く正しい。
宮内庁といっても内閣の指揮下にある役所のひとつであり、その一官僚が政府の方針にたてついて公の場で不快感を示すことなどあってはならぬことだ。しかし、羽毛田長官は、明文化されていない暗黙のルールであるからこそ守られるべきものであり、時の最高権力者の意向に逆らい自分のクビを賭けてでも守るべきものと考えている。天皇の健康問題に絡めて、一ヶ月ルールの重要性を語っていたが、羽毛田の脳裡にあったのは、平成天皇個人の健康問題を超えた、まさに「国体の護持」であり、羽毛田を突き動かしていたものは、天皇の側近として国体を守っているという、官僚としての誇りだったろう。

私は、テレビカメラに向かって顔面を紅潮させて怒っている小沢の顔を見ながら、この問題が、国体を奉じる連中のスイッチを入れてしまうかもしれないという、ある種の危惧を感じていた。というのも、そこに田中角栄の姿がダブって見えてくるからだ。

国体を担う親米エリート官僚との権力闘争

戦後の日本政治の中で権力の掌握を明確に意識して登場してきたのが田中角栄という政治家だった。田中が大蔵省上がりのお坊ちゃん政治家と根本的に違っていたのは、権力とは暴力であり、数の力と金であることを知っていたことだ。田中は、後に「金権政治」として糾弾される利権を軸とした権力構造を力づくで、ほとんど一人の才覚でつくりあげた。その結果、建前の権力構造としての官僚組織と利権を軸とした自民党の権力という二重構造が日本の政治に生まれた。

ロッキード事件とは、つまるところ国体を担う親米エリート官僚集団と「今太閤」といわれた成り上がり政治家、田中との間で繰り広げられた権力闘争だった。
そして、現在、検察と小沢一郎との間で繰り広げられているのは、その変奏曲であることは間違いない。

ただし、田中角栄の時代と違うのは、小沢一郎が政権交代を成し遂げたという自覚をもっていることと、米国の影響力が田中角栄の時代に比べれば格段に弱まっていることだ。小沢一郎は、この戦いに勝算を持っているのかどうかわからないが、自分の政治力、権力が国民から付託されたものというポーズをとることによって、国体勢力に対峙しようとしている。

政権交代後の新しい政治的現実が鍵となる

米国との関係についても、普天間基地の移転の問題、アフガニスタンでの給油活動の中止の問題も日米間の大変な問題になるとのプロパガンダが、親米派の官僚、メディアから流布され、明日にも日米同盟が崩壊するような論評があふれかえったが、政治的現実はそんな所にはなく、要はなるようにしかならないことが露呈しつつある。米国との関係も、数ある外交的な選択の一つであることが、政権交代後の新しい現実として意識されつつある。
自民党による55年体制が、昨年の夏に終焉したのと同様に、外交、経済、それぞれの政治局面で、パラダイムが変わったことをメッセージとして出し続けることができれば、この陣取り合戦にも、ぎりぎりの所で勝てると小沢はふんでいるのではないか。

とすれば、壊し屋、小沢一郎が、政治家として最後の目標に据えているのは、実は、顔の無い統治構造「国体」そのものを壊すことかもしれない。
国体が壊れる時、この国は、千々に乱れて崩壊してしまうのか、それとも成るようにしかならないのか、その答えはまだ見えていない。

(カトラー)

| | コメント (16) | トラックバック (0)

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »