キンドル、iPadの上陸で窮地に追い込まれる日本の出版界
<本稿は、日経BP 朝イチメール(2月16日配信)に掲載されたコラムです>
アマゾンのキンドルに対して、アップルがタブレット型のデバイスiPadを3月に発売することを発表して、電子出版に俄然注目が集まってきました。iPodが音楽のiTuneに対応したように、iPadは本のダウンロード販売のプラットフォームとなるとアナウンスされています。スティーブ・ジョブズは、iPodで音楽配信の世界に革命を起こしたように本のコンテンツ流通にも革命を巻き起こすのでしょうか。不況で喘ぐ日本の出版界からは、期待と不安が入り交じった声が聞こえてきます。
電子出版という「黒船」
結論からいえば、不況に呻吟する日本の出版業にとって電子出版は、救世主になるどころか、逆に「黒船」になると考えています。電子出版の時代が到来しても広義のPublishingは形を変えて生き残っていくと思いますが、産業としての出版業の崩壊が加速するでしょう。
新聞、出版業界の不況の原因として若者の活字離れが言われて久しいですが、このことについて誤解してはいけないのは、彼等はテキスト情報そのものから疎遠になったわけでも、情報に対するリテラシーが低下しているわけもないことです。新聞業界には、新聞を買わない若い世代のことを「無読層」と呼ぶ、思い上がったとしか言いようがない悪習がありますが、「無読層」と呼ばれる若者たちは単に新聞や雑誌などを買わないだけで、ネットや携帯からむしろ主体的に取捨選択しながら情報を取り込んでいます。要はお金をかけて新聞や雑誌は買わなくても、膨大な情報の森の中から必要な果実(情報)を遊牧民(ノマド)のようにハンティングする感性とスキルを持ち合わせているということなのです。
出版コンテンツに対する総需要は拡大しない
だから、新聞が電子新聞になろうが、雑誌や本が電子出版に変わろうが、そうした情報空間に棲息するノマドたちには何ら影響を及ぼしません。上から目線の新聞や出版の情報ではなく、検索エンジンやTwitterのつぶやきから自分にとって必要な情報にアクセスしていきます。つまり、出版が電子化したとしても、そのこと自体により活字離れしている層を呼び戻すことができるわけではなく、電子出版によって出版コンテンツに対する総需要は結局のところ拡大しないでしょう。
一方、電子出版の普及は、既存の書籍の価格を破壊します。米国では、既にアマゾンのキンドルを通じた書籍コンテンツの流通が定着していますが、キンドルで流通する書籍コンテンツの価格は、アマゾンが決定権を握っており9.99ドルという標準価格を設定しています。ハードカバーの書籍の平均価格が20~25ドルですから、これは半値以下ということになります。紙や製本、物流費がかからない分だけ安くなるのは当然ですが、書籍の印刷・造本コストというのは、定価の20%程度なので、アマゾンの標準価格には明らかにダンピングが存在しています。
しかも、電子出版ではコンテンツ流通に関わるプレイヤーの力関係が逆転しており、出版社はプラットフォームのホルダー、すなわちキンドルの場合であれば、アマゾンに圧倒的に依存することになり、昔のように本を7掛けで書店(小売り)に卸すなどということはありえません。最近までアマゾンが6.5割、出版社が3.5割というのが、電子書籍のコンテンツ流通の常識になっていました(1月20日、アマゾンは条件付きで出版社7割のオプションも提示)。
電子書籍の流通は、従来の四分の一の条件
つまり、出版社にしてみれば、売価が二分の一になり、なおかつそこからの取り分が従来は7割あったものが3.5割に減じられてしまいます。リアル書籍の売価を仮に100とすれば、出版社の取り分は従来は70であったものが、電子書籍の場合は100×0.5×0.35→17.5となり四分の一になってしまうのです。
こんな条件にもかかわらず、出版社が電子書籍に踏み出さざるを得ないのは、日本の出版流通の世界がとうに崩壊している現実があるからです。日本の出版界には米国とは異なる特殊事情として再販制度の問題があります。本や雑誌が定価で販売される代わりに、書店は買い取りの義務を負わずに、取次会社を通じて売れない本は返本する仕組みになっています。問題はその返本率が、現在、出版業界全体で50%に達しようとしていることです。発行された本の半分が売れないまま出版社に戻され、倉庫に山積みされるか、廃棄処分に回されているのが出版界の現状なのです。
発行した本の半分が売れずに戻ってきて、しかもそれを処分しなくてはならないとすれば、例え売価が二分の一であっても在庫を持たないで済む分だけ出版社にとってはありがたい、取り分が大幅に減じるとしても、電子出版という新しいチャンネルを通じて、ひょっとしたら販売数量も増えて帳尻が合いはしないか、という甘い幻想が生まれているのです。
返本率50%という日本の出版界の現実
そもそも、情報コンテンツはトイレットペーパーや卵のような必需品ではないので、価格を下げることが需要の拡大には繋がりません。本来的にはコンテンツの価値を高め、プレミアム化させることでさらに価格を上げることを考えることがマーケティング上は望ましい選択といえるでしょう。
しかし、このコラムも含め、世の中にはフリーのコンテンツが溢れかえっているために、よほど差別化された内容でない限りプレミアム化は難しいのです。
かくして、既存の出版業は、アマゾンやアップルが仕掛けてくる価格破壊に抵抗するどころかむしろ自ら進んでその流れにコミットしていくしかないでしょう。
口惜しいのは、キンドルやiPadによって本のコンテンツ流通のプラットフォームづくりを仕掛けてきたのが、結局のところアマゾンやアップルであったことです。この間、ソニー、パナソニックといった日本企業も電子出版には取り組んでいましたが、e-bookという狭いカテゴリーの中で競争していただけで、世界に通用する大きな仕掛けを今回も構築することができませんでした。
もっとも、仮にプラットフォームホルダーがアマゾンやアップルでなくソニー、パナソニックになったとしても既存の出版業にとって状況は変わらないでしょう。出版社が供給側の論理で出版ビジネスを展開できた時代は終わってしまったのです。
(カトラー)
日経BP社が配信する朝イチメールの毎週火曜日のコラムを担当しています。以下からぜひご登録ください。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (1)