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「ジャスト・イン・タイムでは遅すぎる」とトヨタがTwitterでつぶやく日

<日経BP朝イチメールより>

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先々週のことになりますが、米国の大手PR会社エデルマンの日本法人が主催するブロガーミーティングに招かれました。そこで取り上げられていたテーマは、企業におけるソーシャル・メディアの活用でした。
特にブログやTwitterを企業が広報活動や市場におけるオピニオンの形成にどのように活用できるのかということが議論の的になりました。

米国に比べると、日本における企業のソーシャル・メディアの活用は、まだまだの感があります。特にTwitterに関しては、日本の大企業での活用例としては、ソフトバンクの孫社長が、従業員全員にTwitterをやるようにと指示を出したというのがニュースになったくらいで、成功事例はまだ出てきていないといってもよいでしょう。

逆のケースはあります。産経新聞がTwitterのアカウントを開設し、記者が持ち回りでつぶやきをアップしていたのですが、昨年、民主党が総選挙で大勝した際に、「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ」というつぶやきをアップしてしまったことから、公平であるべきメディアとしてあるまじき発言と猛批判を浴びました。

産経新聞のつぶやき事件が露呈させたリスク

日本の大企業がTwitterに対して腰が引けているのは、この産経新聞のつぶやき事件のもたらした影響が大きかったのではないかと考えていますが、ソーシャル・メディアというものに、実は大きなリスクが潜んでいるという事実に企業側が気づいてしまったのです。

ブログもTwitterも、個人の発言でありつぶやきです。しかし、それが企業内の個人の立場から発せられた場合、産経新聞のケースのように思わぬ波紋を広げることになります。その発言やつぶやきが企業としての考えや姿勢を表現したものと受けとめられる可能性が生まれてくるからです。

産経新聞のケースでいえば、担当の記者は、気軽に個人的な本音をついつぶやいてしまったのかもしれませんが、その言葉は新聞社としての姿勢と捉えられ、糾弾される結果になりました。そうすると、社員に企業アカウントを使わせTwitterでつぶやかせることはリスクであるという考え方が生まれてきます。

ブロガーミーティングに参加していた某大手自動車メーカーのマーケティング担当者が「Twitterの活用に関心はあるのだが、どういうリスクがあるかと分析していくと結局、踏み出せなくなってしまう」と発言していたのが印象的でした。

Twitterの場合、ブログなどに比べても瞬時の反応が求められます。「つぶやき」ですからああでもないこうでもないと言葉を吟味しているわけにはいかない面があるからです。結果的に、思わぬ本音も飛び出たりして、それがTwitterというメディアの魅力にもなっています。

ヒエラルキー型の企業にはリスクの塊に見えるTwitter

こうしたTwitterの本質は、トップの命令一下、軍隊のように整然と行動するのが染み込んでいるヒエラルキー型の企業にとっては、なかなか馴染まない感覚かもしれません。トップの意志とは関係のないところで、社員が勝手に動き回り、社会や市場と反応してしまうわけですから、Twitterはリスクの塊のように見えてくるでしょう。

トヨタは世界中で最も洗練かつ完成されたヒエラルキー型の企業ではないかと思っています。その整然とした組織活動によって、あの高品質な車が製造できているのです。
あえて図式化すれば、トヨタのような企業に対してTwitterやブログなどソーシャル・メディアを活用できる企業というのは、フラット型の組織構造で顔の見える企業といえるでしょう。「顔が見える」とは、個人のメッセージが伝わってくるということであり、企業トップから見れば、社員が勝手に動き回り、勝手に発言しているような企業です。

組織重視のヒエラルキー型なのか、それとも顔の見えるフラット型なのか、別に両者に優劣があるわけではありません。ただ、今回のトヨタのリコール問題で見られたのは、ヒエラルキー型の企業は、どうしても市場に対しての反応が一歩遅れるということです。

米国議会で開かれた公聴会でトヨタは自社の電子制御システムに問題は無かったと主張しました。たぶんそれはトヨタの言うとおりなのでしょう。しかし、豊田社長も認めているように、巨大な組織に膨張したがゆえに、市場の声に対する反応が遅れ、アクセルペダルの部品の不具合という小さな亀裂が、トヨタの屋台骨を揺るがすような事態にまで発展しました。

市場の声が津波のように襲ってくる

ソーシャル・メディアの時代とは、企業にとっては、市場や消費者の声があっという間に広がり増幅され、津波のように襲ってくる恐ろしい時代です。トヨタが創りだしたカンバン方式は、別名just in time(ジャスト・イン・タイム)生産方式とも呼ばれますが、今や「just in time(ジャスト・イン・タイム)」では遅すぎるということなのです。

実際、今回の米国におけるトヨタのリコール問題ではTwitterやネット上でトヨタ車のブレーキに対する不安の声が増幅され、そうした声に後押しされる形で議員が動き出しました。もし、米国トヨタの全社員がTwitterをやっていたら今回のリコール問題は違う展開を見せていたかもしれないと思っています。
問題が発生した初期の段階で不安を感じた消費者とトヨタの社員とのコミュニケーションが成立していれば、米国市場の消費者の不安感はもっと早く本社に伝えられていたでしょう。また、きちんとした裏付けのあるデータをもとに、トヨタの社員がネット上でスポークスマンをやれば、ネット世論の流れも変わっていたかもしれません。

トヨタが、今回の問題を教訓に顔の見える企業に変身し、「ジャスト・イン・タイムでは遅すぎる」とTwitterでつぶやく日がくることを期待したいと思います。

(カトラー)

本稿は日経BP朝イチメールのコラムに掲載したものです

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「韓国負け」する日本、何故日本は韓国に負け続けるのか?

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バンクーバ五輪が昨日で幕を閉じた。

前回のトリノでは、荒川静香の金メダルだけだったことに比べれば、メダルの数こそ増えたが、金メダルはひとつも取れずに終わった。
対照的だったのが韓国だ。スピードスケートでの長島、加藤の銀、銅メダルには日本中が沸いたが、金メダルをとったのは、韓国選手だった。前評判通りの圧倒的な強さを見せたキム・ヨナをはじめ、韓国は、今回のオリンピックで金メダル6個を含む計14個のメダルを獲得し、参加国中5番目という好成績を残した。

オリンピック開催の1週間前、サッカーの日韓戦でも日本は韓国に完敗した。
シュートの技術的精度といい、選手の気持ちの強さといい、全ての面で韓国は、日本チームを上回っていた。試合終了後、日本のサポーターからは日本のイレブンに対してブーイングが飛び、「岡田監督辞めろ!」というプラカードが掲出されたほどで、ワールドカップが半年先でなかったら、確実に岡田監督の更迭論に火が付いただろう。

政治、経済の面でも韓国負けする日本

スポーツばかりではない、経済の面でも韓国が、政治とカネの問題でゴタゴタが続く日本を尻目に、4~5%という回復軌道に乗り始めた。
リーマンショック後の世界経済危機の中で、外需依存率が高い韓国は、日本よりも大きなマイナスを被った。しかし、その後は、例えば米国の自動車市場で、日本車が軒並み売上げを落とし続けた中にあって、現代(ヒュンダイ)だけがシェアを伸ばしている。家電の世界でも、薄型テレビの米国市場で一番の売れ筋のトップブランドは、今やSONYやPanasonicではなくSUMSUNだ。
韓国の工業製品が世界市場で躍進している背景にはウォン安が進んだこともあるが、製品開発力やマーケティング力が日本企業と互角以上になりつつあることが根本要因だ。

政治の世界では、もっと明暗がはっきりする。
就任当初、逆風を受けて、支持率が急降下した李明博大統領だったが、ここにきて強力なリーダーシップで実績をあげ、支持率をV字回復させている。

アラブ首長国連邦の原子力発電プロジェクトを落札

アラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電プロジェクトを日本、フランスを向こうに回して韓国が落札したことには、世界中が驚いた。国内で原子力発電所を稼働させているとはいえ、技術的に日仏に優っているわけでもなく、海外での原子力プラントの建設実績もなかったからだ。
韓国の「快挙」に対して、李明博大統領が直接セールスしたからとか、価格面でダンピングをしたからと表面的な報道が日本のメディアを通じて垂れ流されたが、日本が負けた理由はそんなことではない。

韓国は、海外での原子力発電所建設・運営ビジネスを自国の成長戦略の柱に位置づけ、全面的なバックアップを行っていた。今回の入札に関しても原子炉メーカーだけでなく韓国電力公社を中心としたコンソーシアムを組んで対応しており、日本が原子炉は日立、運営はGEにという形で丸投げして対応していたのとは対照的だった。
UAEのような原子力発電所の運用経験の無い国にとって、必要なのは高価で技術スペックの高い原子炉ではなく、それを確実にオペレーションしてくれるパートナーの存在だ。

とすれば、日本の負けは入札段階から既に決まっていたともいえる。韓国がダンピングしたからでも、李明博大統領が皇太子に電話をして直接セールスしたからでもない、負けるべくして、負けたのだ。

世界の農地の確保に乗り出した韓国

2月11日にオンエアされたNHKスペシャル「ランドラッシュ」では、世界的な食料危機を見こした外国企業がアフリカやウクライナの肥沃な農地の争奪戦を展開していることが報告されていた。
韓国も2年前の世界的な穀物価格の急騰に教訓を得て、国内の食糧需要の四分の一を海外農地の確保によって賄うことを国策と位置づけ、世界中で農地の獲得を進めている。番組では、ロシアの沿海州の農地を売却する話が、いったんは日本企業に持ち込まれたが、結局、国策を受けて動いている韓国の現代工業に持っていかれてしまった経緯がレポートされていた。

韓国南部の全羅北道には、現在、国家食品バイオクラスターが建設されつつあり、機能性食品の研究開発拠点、製造工場、そして商品パッケージなどをデザインするデザイン・マーケティングセンターなども整備され、日本の食品メーカーなどに対しても投資、進出を呼びかけている。

こうしたひとつひとつの事実を線で結んでいけば、そこからは韓国の周到な食糧戦略が浮かび上がってくる。
すなわち、まず、海外の肥沃な農地を低コストで確保し、そこで生産された大豆などの農産物を加工、商品化する産業拠点を全羅北道において育成する。次いで、その商品をアジアの物流ハブとなった釜山港、仁川空港を通じて全世界に輸出していくという構想だ。

日本は、何故、韓国に負け続けるのか?

私はその根本原因は、日本の政治、企業、メディアそして国民が内向きで、外を見ようとしていないことにあると考えている。もちろん、社会、経済の全体として見れば、日本の方がまだ韓国に優っている点が多い。しかし、国内に大きな市場を持っていることが逆に世界市場に目を向けさせ、そこで真剣勝負することの足枷になっている。

外を見ようとしない内向きな日本

例えば、薄型テレビの基本部材である液晶パネルの生産で、世界市場でトップシェアを持っているのは、いずれも、サムスン(25.7%)、LG(20.3%)、AUO(17.0%)といった韓国や台湾企業で、日本のメーカーでは、シャープだけだ。そのシャープのシェアもわずか8.4%という水準であり、日本の消費者は、この数字を聞くと誰もがホント?という顔をする。世界中のテレビを日本の家電メーカーが製造しているという過去の栄光のイメージから醒めていないからだ。

国内的には大成功している(といわれる)シャープのような日本企業が、世界市場の競争の舞台では、いつのまにか後塵を拝しているという事実、これと同じような現象が、日本の政治、経済、社会のいたるところで進行しているのではないか。

国内に耳障りの良いことしか書かないマスコミ

メディアもこうした現象の片棒を担いできた。というのも日本のマスコミは、基本的には国内市場だけを相手にしてきたからだ。今回のオリンピックでも、長島、加藤の銀、銅メダルのことは騒ぎ立てるが、韓国選手が金メダルをとったことはほとんど報じない。国内の人間にとって耳障りの良いことしか書き立てないのだ。

逆に韓国の強さは、国内市場が日本に比べると格段に小さいため、常に外に向かうことを強いられている点だ。日本のように、内需か外需かという問題の立て方そのものが成立しない。外で勝てなければ、それはそのまま野垂れ死にすることを意味する。
日本経済も本当は韓国と同じではないかと思っている。外需ではなく内需主導云々というのは、政治的キャッチフレーズとしてはありえても実体としては幻想に過ぎない。食糧の国内自給率を上げれば、島国の中で日本人は幸せに暮らしていけるなどというのは所詮お伽噺だ。

話をもう一度オリンピックに戻そう。
女子フィギュアスケートの決勝で、韓国のキム・ヨナが完璧な演技を見せ、歴史に残る高得点をたたき出し、金メダルを獲得した。

浅田真央が流した涙の意味

試合後の浅田真央のインタビューが、私にとっては最も印象的だった。
キム・ヨナが前評判通りの圧倒的な強さを目の当たりにすれば、浅田は、現在の実力の差を理解して、むしろさばさばしているのではないかと思っていたが、予想に反して子供のように泣きじゃくっていた。

よほど悔しく、金メダルが欲しかったのだろう。技術、表現力の面での完成度からいえば、数段、キム・ヨナが優っていて、そのことを浅田が一番わかっていたはずだが、それでもなお浅田が心の底から金メダルを獲ろうと決意していたことが伝わってきた。例によって日本のメディアは、「トリプルアクセルを史上初めて2度飛んだ」とか、本当にくだらないヘドが出るようなフォローを行っていたが、日本のメディアや観客が、どう思っているかなどは関係なく、浅田真央は、金メダルだけが欲しかったからこそ泣きじゃくっていたのだ。

この純粋さこそが、浅田真央という選手の強さの本質であり、少し大げさにいえば、こうした若者が登場してきたことがこれからの日本の「希望」かも知れない。

彼女は、今回、キム・ヨナに負けた。しかし、彼女の目には明らかにその先に広がっている「世界」が見えていたはずだ。

(カトラー)

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