« May 30, 2010 - June 5, 2010 | Main | October 10, 2010 - October 16, 2010 »

記号としての「小沢一郎」に淫する日本政治

Photo

管内閣が発足した。マスコミ各社の世論調査の結果が出てきているが、いずれも内閣支持率が大幅に上昇し、管内閣発足時の60%に迫っている。(右グラフ FNN産経世論調査)

参議院選での敗北から民主党代表選に至るまでの間、政権として何も成し遂げたわけではないのだから、単に、代表選で「小沢一郎に勝った」という、そのことだけで政権を浮揚させたことになる。

田舎プロレスの興行よろしく、小沢一郎というヒール(悪役)をリングに上がらせたことで、主役(管直人)の人気を挽回させることができたのだから、民主党としては万々歳だろう。あらかじめ計算づくで小沢一郎を代表選に担ぎだしたのであれば、民主党の大衆操作戦略も相当高度になったと褒めてやる所だが、実際は、日本の政治状況が、相変わらず「小沢一郎」という記号を軸としてしか動いていないという、この国の政治の貧困さを改めて露呈させたに過ぎない。

記号としての「小沢一郎」に淫するマスコミ

Photo_2小沢一郎を「記号」と評するのは、小沢一郎という政治家の実体を超えて、相も変わらずメディアが、記号としての「小沢一郎」に淫しているからだ。
鳩山、小沢のダブル辞任によって発足した管内閣は、「小沢はずし」を標榜したものであり、今回の代表選後の組閣に関しても、メディアが問題にしていたのも、小沢一郎の息のかかった大臣が誰かという白痴的な言説ばかりだ。仮に「小沢一郎」というキーワードが、ある日突然、日本から消えてしまったら、次の日から新聞やテレビマスコミは、お手上げになってしまうだろう。それくらい日本のマスコミは「小沢一郎」という記号に淫している。しかも、その取り上げ方は、恐ろしくステロタイプ化しており思考停止状態に陥っているといっても過言ではない。

世論調査をすると、どのマスコミでも8割の読者、視聴者が、小沢一郎に対してネガティブ評価を下す状況になっている。別の言い方をすれば、小沢の悪口を書いていれば、8割の読者、視聴者からは共感を得られるということなのである。逆に、小沢擁護の立場で記事を書くことは、大マスコミにとっては、相当リスキーなことになる。

ステロタイプ化した小沢に対するメディアの言説

朝青龍が引退してしまった後、メディア上でこれだけ存在感のあるヒール(悪役)としての記号は「小沢一郎」をおいて他にないだろう。朝青龍がそうであったように、「小沢一郎」というヒール(悪役)記号が存在していることが、メディアや床屋談義をする大衆にとっては好都合なのである。その結果、当然のことながら、その言説はステロタイプ化する。

政治とカネの象徴としての小沢、田中金権政治の申し子としての小沢、表舞台でなく裏に回って糸を引く黒幕としての小沢、等々・・・そうした新聞、テレビが垂れ流す言説のどれもがステロタイプであり、現在の小沢一郎という政治家の実体や本質からは程遠いところに存在している。

あれだけ日本中が大騒ぎした、陸山会の土地購入に伴なう政治資金収支報告書をめぐる問題にしても、水谷建設の虚言癖のある社長のガセネタに飛びついた検察当局が捏造した「疑惑」でしかないことが明らかになってしまった。先週、厚生労働省の元局長に無罪判決が出て、検察捜査のあり方が厳しく糾弾されたが、陸山会の土地購入問題で小沢が起訴されることを一番恐れているのは、当の検察当局だろう。

政治資金収支報告書への虚偽記載で小沢の秘書や元秘書が逮捕された時に、マスコミに登場した検察OBたちは口を揃えて、これは形式犯だがこの奥にもっと大きな山があると大見得を切ってみせたが、結局、何も出てこなかった。だからこそ小沢は不起訴処分となったわけだが、今後予定されている検察審査会で仮に強制起訴ということになれば、検察が描いていた、小沢一郎を標的とした根拠なき筋立てや、それに基づく捜査プロセスの問題が法廷で白日の下に晒され、検察捜査のお粗末さが、さらに露呈されることになるだろう。

権力掌握に対して最も真摯な政治家

つまり、検察も「金権政治家としての小沢」という記号に淫していたのである。
検察が小沢一郎という政治家を執拗に標的にしているのには理由がある。第一に「小沢一郎」という記号を起訴に持ち込めば、大きな手柄になるからだ。そして、もうひとつの理由は、小沢一郎の権力掌握の姿勢に恐れを抱いているからだ。

小沢一郎とは、独裁主義者なのか民主主義者なのか、小さな政府主義者なのか、それとも大きな政府を志向しているのか、時々で立場を異にしており一筋縄ではとらえにくい政治家といわれるが、終始一貫していることがある。それは、権力を掌握するということに対して、日本の政治家の誰よりも真摯であるという点だ。

権力を握る上で最も重要なのは「選挙」である。だから、小沢一郎は、誰よりも選挙戦略を重視し、戦術にも精通している。選挙によって権力を付託された政治家が政治を主導するという考えにおいては、小沢は最も民主主義的な政治家として映るが、その権力を行使するにあたっては強権的である。小沢は官僚による二重権力の行使を決して認めようとしない。中国共産党の習副主席が来日した際に天皇との面会を求めたことから、それを調整しようとした内閣官房に対して、宮内庁が「一ヶ月前事前承認ルール」という明文化されていない役所内の「内規」を持ち出して対立したことがあった。小沢一郎は、その宮内庁の役人を名指しで激しく非難したが、民主主義と政治主導の原則からすれば、小沢一郎の言い分の方が100%正しい。

第二権力を認めないピュアな「民主主義者」か?

宮内庁や検察の官僚連中が、小沢一郎という存在について最も恐れるのは、その真摯な権力掌握の姿勢、言い換えれば、第二権力を認めないピュアな「民主主義者」としての政治姿勢である。

第二次管内閣は、難産の末、船出したが、冒頭に指摘したように、現在の支持率は、悪役小沢一郎の不人気の「ネガ」(陰画)としての人気でしかない。管政権が発足した際の人気も、同様に根拠無きものであったが、菅直人はその支持率を自分に対する期待感と勘違いして、消費税導入の議論を不用意に持ち出し、自ら墓穴を掘ってしまった。

今度はさすがに同じ過ちは繰り返さないだろうが、この数カ月間で政権として目立った得点をあげない限り、民意をつなぎ止め、ねじれ国会を乗り切っていくことは難しいだろう。管直人は、民主党の代表戦を小沢一郎と戦ったが、その間の論戦を通じて、要は、「小沢一郎」という記号の否定形としての自分しか語っていない。
菅直人とは一体何者で、何をするために首相となった政治家なのか、問われているのはそのことである。

(カトラー)

追伸:

健康上の問題、仕事の過密状態から、しばらくブログの更新を休止しておりました。体の方は回復しましたので、そのことも取り上げながら、再び更新していきたいと思います。

ご心配をいただき、ご連絡もいただきました皆様にこの場で御礼申し上げます。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

« May 30, 2010 - June 5, 2010 | Main | October 10, 2010 - October 16, 2010 »