村木厚子さんが上げた静かな声が、検察の「正義の壁」を穿つ日
昨年の師走、24日、最高検が厚生労働省文書偽造事件に関する検証結果報告を公表した。また、私が発起人の1人になっている「健全な法治国家のために声を上げる会」が、本件の中心人物である前田元主任検事を「特別公務員職権濫用罪」で告発していた件に関しては、最高検から「却下する」との正式の通達が、25日、市民の会宛に届いた。会としてはこれを受けて次のアクションに取りかかりつつある。
最高検が公表した検証結果報告は、105ページにも及ぶものだが、その内容は、予想していたとはいえ極めて空疎なものだった。報告書は、事件の原因を結局のところ前田元主任検事の個人プレーおよびその監督責任を持っていた当時の上司、大坪元特捜部長、佐賀元副部長の監督能力の欠如にあったとしている。
しかし、私たちは、今回の事件の本質は、大阪地検特捜部が自分たちが作り上げた事件の「見立て(ストーリー)」に合わせて、村木さんの無罪の証拠をわざわざ改ざんして、強引に有罪に仕立て上げた「組織的なでっちあげ冤罪」であると見ている。そして、そうした冤罪を生み出したのは現在の検察組織そのものの体質にあると考えている。従って、前田元主任検事は、証拠隠滅罪ではなく、特別公務員職権濫用罪で裁かれなければならないと考え、特捜検事を市民が告発するという前代未聞の行動をあえて行ったわけだが、検証報告書においてこうした論点への言及は残念ながら皆無だった。
前田元主任検事の個人プレーによるものと問題を矮小化
報告書では、今回の事件は前田元主任検事ような一部の「不良分子」が行った行為であると問題を矮小化し、後は綱紀粛正やら再発防止策を並べ立てることで世論をかわしたいという、その場しのぎの組織防衛の意図しか見えてこない。そもそも検察が犯した犯罪を当の検察組織が検証することなど土台無理な話だったのだ。
検察当局としては、年末に検証報告書を上げる一方で、私たちの市民の会が行った告発を却下し、心安らかに新年を迎えたかったのだろうが、そこに思わぬカウンターパンチが入ってきた。
村木厚子さんが声を上げたのだ。
今回の事件に勝訴して無罪が確定し、村木さんは、当初、一日も早く職場に復帰し、元の静かな生活に戻りたいと希望していたという。無理からぬことだろう、突然身に覚えのない事件で罪人に仕立てあげられ、検察のリークを垂れ流す広報メディアと化した大新聞・テレビからバッシングされる中、数ヶ月に及ぶ拘留生活を女性の身で耐え抜いてきたのだ。そんな苛酷な体験は誰だって悪い夢を見たとして忘れてしまいたいところだが、27日、検察の犯罪に対して国家賠償を求め、東京地裁に提訴を行ったのだ。
村木さんは、この提訴の中で「不当な逮捕・起訴で精神的苦痛を受けた」として、国と大坪元特捜部長、前田元主任検事、そして取り調べを担当した国井弘樹検事=現法務総合研究所教官の3人に対して計約3600万円の国家賠償を求めた。提訴の相手に前田元主任検事、大坪元特捜部長だけでなく、新たに現職の国井弘樹検事も加えているところが大きなポイントだ。つまり、検察当局が起訴し、報告書の中で描いた、前田元主任検事とそれを監督する立場にあった上司のおこなった犯罪という構図ではなく、現在は何の罪も問われていない、現職の検事も含めた組織ぐるみの犯罪として本件を再び告発することを村木さん自身が決意したのである。
検察組織ぐるみの犯罪として告発することを決意
そのことは、村木さんの最高検の報告書に対するコメントを見れば明らかである。以下、その全文を引用する。
「今回の事件では私の関与はなく、また、そうしたことを示す客観的証拠も全くなかったにもかかわらず、私が関与したとする事実に反する供述調書(特信性が否定されたもののみならず、判決においてその信用性が否定されたもの)が大量に作成されました。検証報告では、逮捕、起訴、公判遂行の各段階における判断の誤りについて率直に認めていただいたものの、そうした取り調べの実態、すなわち、多数の検事により事実と異なる一定のストーリーに沿った調書が大量に作成された過程そのものは検証されませんでした。
取り調べの実態解明には、容疑者や参考人などの関係者から事情を聴く必要があったと思います。私自身も検証への協力は惜しまないつもりでしたが、最高検からの接触は一切なく、事情を説明する機会もなかったことを非常に残念に思っています。検察官からの事情聴取を中心に検証が行われたのであれば、検証が不十分なもの、偏ったものになっているのではないかという疑念をぬぐえません。
また、大坪弘道特捜部長(当時)や前田恒彦検事(同)の仕事の進め方に大きな問題があったことは検証結果からよく分かりましたが、そうした幹部を育ててきた組織の風土・文化、そうした仕事の進め方を許してきた組織の機能の在り方などが十分検証されていないように感じました。こうした点の解明について外部の方々の『検察の在り方検討会議』に大きな期待を寄せています。
また、自らも訴訟という手段を通じこれに関わっていくことを決めました。国民からの信頼を取り戻すための検察のこれからの努力をしっかり見守っていきたいと思います」
村木さんの静かなコメントの中で驚かされたのは、最高検が今回の検証報告作成にあたり、最も中心的な当事者である村木さんに対して聴取を全く行っていない事実が明かされていたことである。最高検が今回の問題の本質解明に及び腰であり、小手先の改善策でお茶を濁そうとしていることはこのことだけをとっても明らかである。
検察の身内の犯罪を当の検察組織が調べられるのか?という声が、今回の検証作業にあたっては、当初から存在していたが、「検察組織は捜査のプロであり、そのプロを調べるのはプロである最高検がやらなければ不可能」というような議論を特捜OBが新聞・テレビマスコミに出てまき散らしていたが、実態はといえば、見てのとおり、村木さんに対する徹底的な事情聴取さえ行われていないという体たらくだ。これで「プロ」とは聞いて呆れる、ちゃんちゃらおかしいとしかいいようがない。
「検察の正義」そのものが問われている
検察、特に特捜部は、過去においてロッキード事件に代表される政治家の疑獄事件を手がけ、この国の「正義」の担い手として国民の喝采を浴びてきた。
しかし、あえていうなら、今問われているのはその「検察の正義」そのものである。
リクルート事件、ライブドア事件、小沢一郎の陸山会政治資金事件など、近年、特捜が主導し捜査・立件した事件を巡り、その強引ともいえる捜査手法や社会の実態とは余りにかけ離れた立件の姿勢に対して批判が巻き起こっている。そうした批判の声は、まだ社会全体の声にはなっていないが、今回の村木さんの厚生労働省文書偽造事件をきっかけに、私たちが行っている運動も含めバラバラだった流れがひとつの奔流となり、現在の状況を根こそぎ変えてしまう力になるだろうと確信している。
この国の人々も何事かあらば水戸黄門のように何処からか正義の味方が現れて巨悪を正してくれるという幻想からは、そろそろ目を覚ました方がいい。というのも、正義とは「○○の正義」というように、誰かの専有物ではなく、市民の絶えざる自問と対話の中からしか生まれてこないからだ。
村木厚子さんが、静かに声を上げたそのことこそが、この国の新たな正義のあり方を模索する第一歩になると信じている。
(カトラー Twitter: @katoler_genron )
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コメント
ブログを見るのをとっても楽しみにしています☆これからも楽しく読ませて頂きますね(*^_^*)
投稿: インターネットマーケティングの戦略を開始 | 2011.01.06 12:26
野中氏が暴露した機密費問題もそうですが、この告発に対しての大手メディアの反応の薄いことといったら。
投稿: それにしても | 2011.01.08 13:01