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行き場を失った石原批判票と「菜の花革命」の始まり

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今回の東京都知事選では、初めて共産党候補に一票を投じた。

理由は単純で、脱原発を公約で掲げているのが、都知事の候補の中では共産党の小林候補だけだったからだ。渡邊美樹さんは、昔、仕事上の関係でお会いしたことがあり、その頃から経営者としても人間としても優れた方と尊敬し応援もしていたのだが、石原慎太郎に対する差別化戦略を完全に間違え、明確な対抗軸を打ち出すことが結果的にできなかった。
都政に経営マインドを持ち込むという主張は、平時であれば、それなりのメッセージ性を持ちえたと思うが、現在は異常事態の時期、すなわち乱世である。統一地方選挙そのものが、東日本大震災と福島原発問題によって完全にかき消され、背景に押しやられた中にあって、渡辺美樹氏の真面目な主張は、新鮮味を持ち得なかったばかりか、残念ながら現実に対してピントはずれになってしまった。

石原候補に対抗軸を打ち出せなかった渡邊、東国原

東国原候補についても事情は一緒だろう。世の中に平時の退屈感が蔓延しているなら、森田健作やら東国原のようなタレント候補を「退屈しのぎ」に選んで見るという選択も有権者にはありえただろうが、千年に一度の天災に襲われ、放射能の雨が首都圏に降り注いでいるような3.11以降のような状況下では、「退屈しのぎ」はありえない。
災害対策が争点になるという見方が新聞などの下馬評にあったが、それも見当違いだ。これからどんな災害がいつ起きるかもわからない中で、その対策の中味で差別化ができるはずがない。仮にこの問題について少しは気の利いたことが言えたとしても、現職が持ち合わせている情報やリアリズムに対抗できるはずがない。

今回の選挙で石原慎太郎に対して勝てるメッセージが唯一あったとすれば、それは「脱原発」ではなかったかと考えている。
ここ数週間で、福島原発に対する東電、原子力保安院の対応や、政府の情報公開の在り方をめぐって国民の批判は急速に高まっている。事故後1ヶ月が経過したにもかかわらず、依然事態を収束させることができず、放射能汚染は、周辺地域ばかりでなく、首都圏に出荷される野菜、水道水、水産品などへと拡大し、ますます深刻化している。福島原発で発電される電力は全て東京都民が消費するものであるから、このことは実は都民ひとりひとりが問われるべき問題に他ならない。しかも、その東京のための原発事故によって深刻な被害をもたらしているのは地元福島の人々である。この現実をどのように考え、それでもなお原発を選択するのかどうか、今回の選挙の中でそのことを都民に対して問いかけ、争点にすることはできたはずだ。

都民の不安感を変化へと繋げることに失敗

脱原発を争点にすることは、東日本大震災に対する「天罰」発言と原発推進容認を表明する石原慎太郎候補に対して最大の対立軸とすることができたはずだが、何故か渡辺、東国原両候補とも尻込んでしまい、明確なメッセージを出せないままだった。
隣の神奈川県は無風選挙に近いといわれていたものの、黒岩候補は「脱原発」を公約に掲げることで、着実に得票をのばすことができた。一方、東京では、残念ながら、私も含め石原に対する批判票は行き場を失ってバラバラに分散してしまった。

選挙後、渡辺美樹氏は「都民は変化よりも安定を望んだ」とコメントしたが、そうではなくて、都民の間にある不安感を逆に「変化」へと繋げることができなかった選挙戦略のあきらかな失敗である。選挙ポスターの作りもひどかったことを見ると、渡邊氏の選挙陣営にはコミュニケーションの専門家が関与していなかったのではないか。

話をもうひとつのテーマに移そう。
地方統一選挙と同日の昨日、全国で脱原発のデモが行われた。私は高円寺のデモに参加したのだが、このデモを主導しているのが、高円寺でリサイクルショップや古着店などを展開し、活動の拠点を持っている「素人の乱」の人たちであり、5~6年程前からサウンドデモという独特のスタイルで社会運動を行っている。

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5年前にこのグループと出会い、高円寺で行われたデモに参加したことがあるのだが、その時は「家賃をタダにしろ」「セックスのできる広い部屋にすませろ」といったナンセンスな要求プラカードを掲げた酔狂な若者、フリーターたちによる運動だった。もう少し高尚にインテリ風に言うならカルチャー・ジャミングという手法により、固定化した社会システムをゲリラ的に攪乱させるパフォーマンスを意図したものだった。とことんナンセンスな要求を掲げてデモを組織し、機動隊やら警備の警官らが見守る中、ロックやレゲエの音楽を大音響で流しながら街を練り歩き半ば占拠するという、デモというより非日常的なアートパフォーマンスともいえる痛快なイベントだったが、今回の「デモ」にもそのアート精神はしっかりと受け継がれていた。

アートパフォーマンスのようなデモ行進

デモの参加者たちは、それぞれが思い思いのメッセージプラカードを掲げ行進し、中には脱原発のメッセージを込めたコスプレを身にまとって参加するパフォーマーも多数いて、さながらハロウィンのパレードのようでもあった。

秀逸だったのは、某都知事の遺影を掲げて黒の喪服姿で参加していた青年(写真)。4年前に参加したサウンドデモでは、たかだか数百人規模だったが、今回は親子連れなど参加層も広がりが見られ、主催者発表で1万5千人が参加する大きな運動へと成長した。ただ、私の知人などで真面目モードで参加した人たちは、このおふざけモードにはかなり違和感を感じたようだ。

デモ行進が始まってしばらくして、参加者に菜の花が配られた。菜の花やひまわりは、チェルノブイリなどで放射能汚染された土壌の浄化などに栽培されたことが知られていて、脱原発の象徴になっている。その黄色い菜の花を手にした人々の行進が、大音響の音楽とともに高円寺の街に延々と連なって続く。

「原発反対!」のシュプレヒコールを上げながら「菜の花革命」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。

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ドイツなどで25万人規模の反原発デモが行われていることに比べれば、ここ東京では、原発推進派の首長の再選を阻止することもできず、動員できたのも、たかだか1万5千人。東電や電事連、当局にとっては、痛くもかゆくも無いレベルの反対デモかもしれない。しかし、これまでの日本の「市民運動」の歴史からすれば、何の組織も存在していない状況下、ツイッターやフェイスブックを介して、縁もゆかりもないこれだけの「素人」たちが自然発生的に集結し、乱を引き起こしていることは、正に「革命」の名に値する。
4.10は、フクシマ以降の永きにわたる脱原発運動の起点になった記念日として人々に記憶され語り継がれていくことは間違いない。

菜の花革命、万歳!

(カトラー Twitter:  @katoler_genron

関連記事:9.16高円寺ニートの乱 ~見えない敵との戦い~

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コメント

私は反原発ではありません。
しかし、可能な限り早く古い(旧い)原発を使用しないようにしなければ、と思っています。

古い原発はそれだけで危険です。
まして、プルサーマルなんてのは、某ワタナベ老人に心臓移植をしてマラソンを走らせるようなもんですから、絶対反対です。

また、高速増殖炉も危険に見合うだけの成果が得られるとは思えません。(即刻やめるべきです)

特に、民主党政権では安全や危険にたいする備え(予算を含む)が削られましたから、なおさらです。

安全基準を強化した新型の原子炉を造って(古いヤツと)交代させていく以外に道はない、と思っています。

反原発を叫ぶのなら、全てを無くせ!というのではなく少しでも少なくしろ、とも言って欲しいものです。(廃炉には数年から十数年かかりますから)

それに、(首長が)原発推進派だからこそ、古い原発は危険だ(だから安全面に力をいれろ)って事に説得力があると思いますよ。

現時点では、それ以外には方法がないと思われます。
もしあるのなら方法を語教授ください。
代案も無しに反対を叫ぶのは、民主党だけでたくさんです。

投稿: みやとん | 2011.04.12 20:01

石原はキャパがあり他を寄せ付けないと仰せだが、そんなキャパはもう出尽くしてる。俺なら老体より新人に掛けたね。反原発を叫ぶくらい誰でもやるよ、行けいけの経済一辺倒の日本が原発なしで通れる訳はない。勿論原発なしでいけるなら言うまでもないが。

投稿: mura | 2011.04.26 08:35

がんばれ石原!!

投稿: | 2011.04.26 09:22

世界は脱原発に向かっている。原発は決してコストは安くない!むしろ、放射能廃棄物処理や事故対応で我々の税金が使われようとしている。石原都知事を選んだ都民は浅はかだったことが身にしみてわかってくるだろう。東京も放射能に徐々に汚染されていくでしょうから。東電、政府、メディアもグルだから本当のことは言いません。みんな目をさませ!マインドコントロールにかけられている。金があっても命がなければなんにもならない。その点、孫さんは今、「自然エネルギー財団」を自費で立ち上げました。将来の子どもたちのために今、エネルギーの転換をしていかなければいけない、と言っています。みんなも立ち上がりましょう!

投稿: 菜の花大好き。 | 2011.04.26 10:10

もし、大阪で石原が出馬しても当選はしないだろう。
大阪人はああいうタイプが一番嫌いだから。
あと「ご高齢」やし。

東京の方は石原の「まやかし」に騙されているだけ。

投稿: | 2011.04.26 10:41

代替エネルギー今たくさん出てきてますよ。将来、原発の無い日本を子供たち、またその子供たち、またその子供たちに渡していきましょうよ。それが今ここにいる日本人の義務だと思います。

投稿: loveyou | 2011.04.26 11:42

将来使用済み燃料棒をどうやって始末するか、アテもなしに乱立を許しガンガン稼働している時点であきれかえっていた。
今日は大事故が起き、それを終息させられるかどうかも分からないのに、未だに原発LOVEな人々が居る。
人間は機械じゃないんだから、電気や石油をメチャクチャに使わなくたって、ちゃんと生きていけます。

投稿: | 2011.04.26 11:51

脱原発。言うのは簡単、でも出来ないから困る。
脱というよりは、縮小論が出るべきだと思うが・・・大惨事が起きたからすぐ止め、ろくな人じゃないから次の選挙で替える、とか先のない考えで国会議員やらを選んだ功罪を忘れてるのか、バカなのか。先にちゃんと論じないからダメだと思う。
代替えエネルギーだって、確かにあるけど実用性はまだ低い。普及しないのはその所為じゃないのか?
常時ネットが出来て、便利この上ない時代をばっさり捨てて、不自由な暮らしを出来る人だけが、脱原発を叫ぶ権利があると思う。
石原さんの当選の是非が問われる時点で終わってることに気付いたらどうか?

投稿: 通りすがり | 2011.04.26 12:23

揚げ足取りではないのですが、放射能というのは放射性物質が放射線を出す「能力」のことなので、当然降り注いだり、漏れたり、拡散したり汚染するというものではありませんね。細かい事ですが、正確な文章を使わないと極端な話、小学生が「放射能が感染する」といじめられたような誤解がうまれる場合があるかもしれません。「放射性物質」なら落とせますが「放射能汚染」などと言われると、まるで伝染病に罹患したようなイメージになるのでしょうか。漏れるのは「放射性物質」か「放射線」なので、おのずと対応策は見えてきますが、放射能と言われると得体の知れないものになってしまう気がします。テレビなどでも専門家といわれる先生が平気で誤用されていますが、意図を持って使われているのかと勘ぐりたくなります。ミース・ファンデル・ローエではありませんが神は細部に宿るのです。ちなみに私は石原氏個人は別に悪くないと思います。あの人の個性ですから。しかし問題はこういった人物を為政者として選ぶ東京都民です。石原氏を選んだ東京都民はそれなりの覚悟が必要でしょう。

投稿: bomby | 2011.05.24 06:58

すいません。間違い。ミース・「ファンデル」・ローエではなく、正しくは(ルートヴィヒ)・ミース・「ファン・デル」・ローエ。思い込みシュミマシェン…神は細部にやどるんですよね…反省。

投稿: bomby | 2011.05.24 07:11

私は脱原発に賛成です。どちらでもありませんが、と言いながら、賛成に票を投ずるような、工作員のような姿勢は取りません。
代替エネルギーはあります。LNG火力発電です。原発よりも倍も熱効率が高く、長い送電線のロスもない。原発は全て置き換え可能です。しかも、現在でさえ、実は電気は余っている。原発が無ければ日本はどうするんだと書いている人は、もう一度一から勉強し直しましょうね。電力会社の生き残りキャンペーンに協力するのはやめましょう。
企業より、経済より、まずは人の命です。基本をおろそかにしちゃいけない。しかも、電力会社や官僚や政府の流す、原子力発電がないとやっていけないキャンペーン(嘘)をそのまま垂れ流すのはもってのほか。
そのロジックはとっくに破綻しました。原発はすぐに止められます。
たとえは悪いが、ぼくらひとりひとりが津波になって立ち上がりましょう。町に出ましょう。ひたひたと脱原発の水位を高めて、原発村の住民をみんな押し流してしまいましょう。

投稿: 脱原発 | 2011.05.27 18:45

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