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検事失格!外国人とヤクザに人権は無いと教えられた元暴言検事が上げた叫び

Sympo_photo

先週の月曜日、明治大学大学院が主催し、私もメンバーとなっている「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」の協力でシンポジウム「検察、世論、冤罪、」が開催された。そのシンポジウムに登壇した元検事、市川寛氏の検察体質批判の発言が大きな波紋を呼んでいる。

市川氏は、現在は弁護士として活動しているが、5年前に佐賀地方検察庁の検事をある事件をきっかけに辞職した。そのきっかけとは、冤罪事件として当時のマスコミにも大きく取り上げられた「佐賀農協背任事件」だ。

この事件は、10年前の2001年、当時の佐賀農協の副島組合長が不正融資を行っているという内報を受けた佐賀検察庁が独自捜査を行い、副島勘三組合長を背任罪容疑で逮捕・起訴するのだが、全く身に覚えの無かった副島組合長は、法廷では一転無罪を主張する。副島組合長は、取り調べを行った検事から「なんだこの野郎!ぶっ殺してやる」などの暴言に脅され、やむなく調書にサインしたこと、検察の主張する犯行時にはアリバイがあったことなどを涙ながらに訴えた。裁判では担当検事が暴言行為を認めたことやそもそもアリバイの確認を行っていないことが明らかとなり、自白調書の任意性が否定され証拠採用されず、結果無罪が言い渡された。検察側は即控訴するが、その後、副島組合長のアリバイ証拠を地検当局が隠匿していたことが明らかとなり、控訴は棄却され2005年無罪が確定した。

元暴言検事が、被疑者の家族を訪ね謝罪

この事件で、副島組合長に「ぶっ殺してやる」等と暴言行為を行ったとされた検事が、市川寛氏である。シンポジウムの前日にテレビ朝日のザ・スクープで検察の一連の冤罪事件を取り上げた特集があったが、この番組の中で、市川氏は副島組合長の長男、健一郎氏のもとを訪れ、土下座をして謝罪する。
副島氏の取り調べにあたりこの事件の主任検事だった市川氏は「暴言検事」としてマスコミから激しいバッシングを受けた。しかし、TBSの番組やシンポジウムでの発言を通じて逆に明らかになったのは、そうした暴言検事へと市川氏を追い込んでいった検察組織の驚くべき実態だった。

詳しくは、テレ朝ザ・スクープの番組シンポジウムの動画がアップされているので是非見てほしいが、市川氏が検事を辞めざるをえなくなったのは、容疑者の人権を無視した暴言を吐いたからでも結果的に裁判に負けたからでもない。検事として自らの暴言行為を認めてしまったからなのだ。

シンポジウムで市川氏は、任官した1年目のとき、先輩検事から「ヤクザと外国人に人権はない」と教えられたことを暴露した。この言葉に激しい違和感を抱いたが逆らうべくもない。佐川農協背任事件についても、実はこの事案を立件しようとしたのは、当時の彼の上司であった佐賀検察庁の次席検事であり、事件のシナリオは全てその次席検事が描いていた。市川氏はほとんど事件の内容もわからぬままに主任検事として担当させられ、副島組合長から無理矢理自白調書を取ることを求めら、そのプレッシャーから暴言行為に及んでしまう。そもそも、副島組合長の自宅や事務所を家宅捜査したものの有罪を立証できるような証拠は一切得られず、市川氏を含め現場の担当官たちは全員が立件は無理と反対したのだが、次席検事の鶴の一声で半ば強引に起訴に持ち込まれてしまう。

次席検事の出世欲が、強行捜査、立件の背景にあった

何故こんな強引な捜査が強行されたかといえば、それは驚いたことに、次席検事の出世欲だった。その次席検事は独自捜査で実績を上げ、東京地検特捜部へ栄転することを狙っていたのだという。そんな些末な一人の検事の我欲が、罪も無い個人を冤罪に陥れ、人生を大きく狂わせた事件の原因だったのかと俄には信じられないくらいだが、市川氏はそれが紛れもない検察組織の実態だという。

市川氏によれば、もちろん検事の中にはそうした理不尽な捜査や立件に対して異議申し立てをおこなう強者もいるが、大多数は先輩検事のいいなりのロボットになるか、市川氏のように内心に大きな疑問を抱きながらも反抗できない「半端者」になってしまうのだという。

こうしたある種の「暴力」によって組織の構成員を「教育」するシステムは、一般には「体育会系」とかいわれて日本の企業・組織社会の土壌のもとではむしろ推奨される傾向があるが、検察組織の場合は、それが著しく度を越しているばかりか、内向きな組織の論理自体が自己目的化し、先輩検事から受けた暴力が代々受け継がれていくような暴力の連鎖が形成されている。

軍隊やヤクザ組織であってさえも組織の暴力連鎖は、最終的には組織の底辺部の人間がしわ寄せを食うという地点で止まるものだが、検察組織の場合は、それが一般人にまで及んで冤罪をつくりだす分だけ罪深い。

暴言行為ではなく組織の掟をやぶったから辞めさせられた

市川氏は、冤罪事件を契機に検事を辞めるが、それは、暴言行為に対して責任をとらされたからではない。なんとなれば、被疑者に対する暴言や恫喝行為は他の検事たちも日常的に行っているからだ。市川氏が検察組織にいられなくなったのは、そうした暴言行為を行ったことを公の場で認めてしまったから、つまり検察組織の暗黙のルール、掟破りをしてしまったからに他ならない。

「私は、検察庁を離れて5年ほどになりますがようやく夢から覚めました。私は大変な、取り返しのつかない過ちを犯した輩ではありますが、そうであるがゆえに、その償いとして、検事になってはならなかった人間として・・・。私が見てきたこと、聞いてきたこと、経験したことを償いとして伝えていくのが、ひょっとしたら、私に与えられた償いの道であるとともに、役目ではなかろうかと考えています」

シンポジウムでの発言を市川氏はそう言って結んだ。市川氏は検察組織の掟に従えなかった半端者であり、その意味では「検事失格」であったのかも知れない、しかし、そのことは人間として失格であったことを意味しない。逆に人間の顔を忘れた検察組織のあり方こそ糾弾されるべきである。

取り調べの全面可視化が不可欠

「検察のあり方検討会議」の委員でこのシンポジウムにパネリストとして参加していた郷原信郎氏は、市川氏の発言を受けて、取り調べの全面可視化など、検察改革を本気になって進めなくてはならないと訴えた。
村木厚子さんの郵政不正事件での前田元検事による証拠改ざんなどを契機に法務大臣の私的諮問機関として召集された「検察のあり方検討会議」は、数回の討議の上、3月末に早々と提言書を提出した。検討会議の発足当初は、検察批判の世論の後押しを受けて、改革に前向きな議論が展開されていたが、3.11以降は、ガラリと流れが変わってしまったという。世の中の目が震災や福島原発問題に向かう中で、検察・法務官僚の露骨なまでの巻き返しが行われたのだ。取り調べの全面可視化については、江田法務大臣の指示でかろうじて試行的な取り組みが行われることになったが、とても十分とは言いがたい。

そうした状況の中、シンポジウムでの市川氏の告発発言は、当局にとっては、正に寝耳に水のはずで、たったひとりのヤメ検が上げた声に過ぎないかもしれないが、検察組織という巨大なダムを揺るがす一穴、小さな亀裂となりうる可能性を持っている。シンポジウムの模様は岩上安身氏のユーストリームやニコニコ動画でライブ中継されたが反響が殺到している。今回の催しを企画した「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」としても次の手を考えている。

3.11がもたらした神話の破壊と目覚め

シンポジウムの終了後、市川氏と話す機会があり、検事を辞めて5年が経過した今、なぜ改めて検察組織の問題について公の場で話すつもりになったのかと問うてみた。
市川氏は即座に「村木厚子さんの冤罪事件を見て、あまりに自分のケースと同じなので、検察の現状の体質にあらためて危機感をもった。また、3.11を経験して、人間はいつ死ぬかわからないという感を強くもち、今行動しなくてはと思い立った」と答えた。

3.11の衝撃は、確かに世間の目を検察改革からそらしたかも知れないが、他方で、この国を支配していた「神話」を破壊し、今、此処にある真の現実を人々の眼前に顕にさせた。市川氏が声を上げたのも、その神話の「夢から覚めた」からに他ならない。そしてその独りの目覚めは、多くの人々の目覚めにつながり、やがて奔流となってダムの壁を打ち崩すだろう。

このシンポジウムの翌日、24日には布川事件の再審無罪の判決が出た。この事件で無期懲役囚とされていた両被告は、43年ぶりの無罪を勝ち取った。2人の顔は勝利の喜びで晴れ晴れとしていたが、髪には白いものが混じり、その額には深い皺が刻まれていた。もう、二度とこうした冤罪事件を繰り返してはならない。

(カトラー Twitter:  @katoler_genron

参考:

・岩上安身チャンネル(市民の会HPより) 

・ニコニコ動画

・テレビ朝日「ザ・スクープ」

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原発と知識人、墜落した鉄腕アトムたち

福島原発の1~3号機でメルトダウンが発生していたことが大きく報じられている。
東京電力の記者会見で「メルトダウンが起きていることではないのか?」という記者の質問に対して「炉心の核燃料が原型をとどめない形で圧力容器の底に崩れ落ちているという定義がメルトダウンというならその通りだ」と相変わらず木で鼻をくくったような自己韜晦的な言い回しに苛立たしさを覚えるとともに、こうした幼児的な応答しかできない連中にこの国の命運がかかっているのかと空恐ろしくなった。

福島原発の事故が発生して以来、テレビや新聞には、数多くの識者、大学教授といった知識人が登場し、コメントや解説を行っていたが、彼らの誰ひとりとして現在の事態を予測できなかった。むしろその逆で、NHKに出ずっぱりだった東大の関村教授に象徴されるように、「制御棒が既に入っているからチェルノブイリのような事はありえず、過剰な心配には及ばない」と、安心デマを垂れ流し続けた。しかし、現実はその言葉を嘲笑うかのように進展し、水素爆発が連続して起こり、大量の放射性物質による広域の環境、食物汚染が現実のものとなり、未だに収束の見込みさえ立っていないことは周知のとおりだ。

一方、米国やフランスは、電源が喪失され冷却機能が失われた直後から、現在の事態を想定しており、フランスは事故発生1週間後にはチャーター機を早々と日本に派遣して自国民を日本から引き揚げさせた。

地に墜ちた原子力村の威光

その後、大手マスコミに登場して安心デマを流し続けていただけの識者連中に批判が集まり、さらには、彼らがいわゆる「原子力村」の住人であり、東電や電事連の紐付き御用学者であったことが露呈したためにその威光は地に墜ちてしまった。あの関村先生もさすがにNHKも使いづらくなったのか、この頃はとんとテレビ画面に登場しなくなった。
ただし、日本の知識人の名誉のために言っておけば、原発の世界には、御用学者ばかりではなく、原子力村の外で警鐘を鳴らし続け、今日の事態を正確に予測していた人々もいた。
 京都大学原子力実験所の小出裕章助教もその1人だ。大手メディアもようやく最近になって彼のコメントや分析をとりあげ始めているが、事故当初から小出氏は電源喪失を経てメルトダウンに至った可能性が高いことを指摘していた。

小出氏はもともと原子力の平和利用の研究に志し、研究者としてスタートしたが、女川原発の反対運動で地元住民たちと相対するうちに、研究者としても原発の持つ不条理性と危うさに気付き、一転、反対側に立つようになる。助教というのは助教授という意味ではなく、国公立大学が独立法人化された時につくられたポストで、昔でいう「助手」に相当する。かつての助手と違うのは、任期が5年で切られているということで、小出氏もあと数年で退官扱いとなるはずだ。もし、福島原発の事故が起こらなければ、小出氏は、原発に反対する奇矯な原子力研究者として封印されたまま広く世間に知られることにはならなかったかも知れない。

 小出氏は、確かに原発反対論者ではあるが、イデオロギーにこり固まった人ではない。その講演や著作に触れればわかるが、一研究者としての立場と良心を真摯に保ち続けているだけで、名声や権力欲とは無縁の人物であることが良くわかる。

女川原発反対運動で覚醒した小出氏

小出氏は、他の原子力村の御用学者とは何が違っていたのか。インタビューに答えて、「自分の考え方を変えたものは、大学院生だった頃、女川原発の建設に反対する地域住民が発した一言だった」と述べている。当時小出氏は、原子力の研究者として住民を説得する立場にあったが、住民から「そんなに安全なものなら何で都会に作らないで女川に作るのだ?」と問われた。小出氏は、それに回答すべく色々調べるが、その過程を通じて原発技術の脆弱さと抱えるリスクの巨大さに逆に覚醒するようになっていった。

仮に原子力発電の技術が「絶対安全」な技術であれば、論理的にはそれは東京や大都市に建設しても問題ないはずだ。それをあえて女川に作らなければならないのは他の事情が関与しているからに他ならない。原子力の平和利用にバラ色の未来を信じていた若き科学者、小出青年は、住民の素朴な一言から、テクノロジーというものは、社会から切り離されて中立的であることはありえず、常に倫理性や政治性を伴うものだということを学んだのだ。

小出氏は反原発に転じるまでの自分を「鉄腕アトム」の世界に憧れをもって科学者となったと表現しているが、それは他の御用学者も同じことであったろう。原子力開発は、他の国においては、核兵器開発と直結した最も政治性の高い科学分野だが、世界中でこの日本においてだけ「鉄腕アトム」に象徴される夢の技術分野であり得たのである。

原子力技術とは人類にとって夢の技術なのだろうか?こういう問いが生まれてくること自体、この国の特殊事情に起因している。つまり、他の欧米諸国にとって原子力開発とは、核兵器の主要原料プルトニウムの生産と表裏一体のものであり、原発が持っているリスクを勘案しても、核抑止力を保有する必要があるという明確なバランスシートが存在している。他方、日本においては、原子力エネルギーの「平和利用」のみの片肺飛行であるために、原子力技術は「絶対安全」でなければならず、いわゆる「安全神話」を形成するしかなかった。

核武装の隠れ蓑としての原子力平和利用

本当は日本においても原子力が国策となっていく過程では、中曽根康弘がその中心的役割を担っていたことからもわかるように、日本のエネルギー供給を安定化させるという国際社会に対する表向きの理由とは別に、核武装の能力を担保するという極めて政治的な裏の意図が存在した。その密かな意図を隠蔽するためにも、原子力開発の技術者は「技術オタク」に徹すること、あわせて「原子力安全神話」を護る神官としての役割のみが求められたのである。

今いわれている「原子力村」とは、核兵器による武装を放棄しているこの国において、原子力技術を開発すべく必然的に形成された政治的装置であり、去勢された宦官組織に他ならない。石原慎太郎や安部晋三、甘利明といった自民党のタカ派議員がこの期に及んでなお原発推進を唱えていると報じられているが、どのマスコミも彼らが何故原発推進を言っているのかについては明確に解説していない。すなわち、もともと原子力平和利用とは、核保有のための隠れ蓑であったからこそ、連中はその旗を簡単に降ろすわけにはいかないのだ。

オタク化した原発知識人

かくして、原子力の平和利用、原発開発に関わる知識人、科学者たちは、現実世界とは切り離された「鉄腕アトム」の世界の住人として際限なく幼児化することとなり、政治的、社会的文脈から切り離されて、特殊な技術用語だけが行き交う「オタク世界」が形成されていったのである。今回のメルトダウンに関する東電の会見や原子力保安院の対応を見ていると、全人的な判断が求められるはずの国難の真っ直中においてさえ、技術用語や手続き論ををこねくり回す救いようのない幼児性が露呈する。

「オタク」の世界が個人の趣味のことであればむしろ結構だが、原子力は一国どころか世界の存立にも関わる巨大リスクを孕んでいる。こんな現実とかけ離れた言葉遊びをやられている間に、原子炉は空だきされメルトダウンが発生してしまったのではないかと、世界中がこの原子力村の幼児性に恐怖とフラストレーションを募らせている。
国内からも「もう、東電や原子力村のオタク連中に任せておけない、米国やフランスの分別のある奴らに全てを任せて事態を収拾してもらおう」というような声さえ上がり始めている。

しかし、私にいわせれば、困った時の外国頼みというのも、この国の知識人の幼児性の現れに他ならない。人類が経験したことのない未曾有の事態に発展している今回の原発事故の対応に解決策を持っている者などこの世界中のどこにもいないのだ。
もっと、いってしまえば、既に事態の収拾に、知識人の果たす役割は相対的に低下してしまっている。知識や知恵は、何かの事態が発生する前にこそ役立てられるべきで、物事が起きてしまってからでは遅すぎる。福島原発の問題でいえば、東電本社や原子力保安院のオタク連中やIQの高い連中がいくら頭をひねったところで、魔法の杖などあるわけがなく、既に解決オプションはどうしようもなく限られていて、問題はそれをどう実行できるかどうかだけだ。

先日、元住友金属工業の技術者だった山田恭暉氏が呼びかけ人となって「福島原発暴発阻止プロジェクト」というグループが立ち上げられた。60歳以上の退役技術者が志願して福島原発の現場作業を担おうと呼びかけている。現代版「肉弾三勇士」と揶揄する向きもあるが、福島原発事故収束に向けた対応は、こうした人々の犠牲的行動を必要とするぐらい逼迫している。小出裕章氏も志願しているという。身一つで現場に飛び込む覚悟のできている知識人が存在していること、これが絶望的としかいいようがない今後の原発対応を考えた時、かすかな希望でもある。

(カトラー Twitter:  @katoler_genron

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