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隠喩としての放射能、ヒロシマ・ナガサキそしてフクシマ

福島第一原発による放射能汚染が止まらない。
関東近県で生産されている野菜類や水道水からも国の暫定基準値を上回る放射性ヨウ素が検出され、首都圏のスーパー、コンビニの店頭、自販機からミネラルウォーターが消え失せ、買い占めパニックが瞬く間に広がった。高濃度の放射能汚染水のダダ漏れ状態が未だに続いており、水産物にも影響が出始めている。

「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」と中途半端な安全宣言をする一方で「念の為に」摂取禁止措置や出荷規制を行うという政府のチグハグな対応もあり、消費者の不安には更に拍車がかかった。テレビ、新聞マスコミには連日、放射能の専門家と称する「識者」たちが登場して、口をそろえて「影響は軽微であり安心していい」と連呼しているが、誰一人としてそんな「安心デマ」を信じていない。

メディアに登場している学者たちが嘘八百を並べているとは必ずしも思わない。それなりの知見に基づいて現在の放射能の「安全性」について解説しているのだろうが、彼らがいくら解説しても人々の恐怖は増すだけだ。なぜなら、人々が恐れているのは、放射性物質としての放射能というより、隠喩としての「放射能」だからだ。

ヒロシマ、ナガサキで死神となった放射能

 日本人にとって放射能との関わりはヒロシマ、ナガサキに始まる。人類史上初めて原爆による大量殺戮を経験し、しかも、その死者の多くは「死の灰」と呼ばれた放射能によるものであったことから、放射能は「死」と分かち難く結びつき、禁忌(タブー)と化した。放射能を浴びた被曝者は、「死神」によって汚(けが)された存在として理由なき差別を受け、陰湿な社会問題まで引き起こした。

高度経済成長の時代になって、「放射能」のことは一見人々の記憶の表舞台からは退場していたかのように見えるが、この時代を表象するシンボルである「ゴジラ」の出自が、南洋の核実験の放射能により突然変異で誕生したとされていたように、放射能の記憶は、人々の心の奥深い場所にトラウマとして刻印されていった。

そして、再び人々の眼前に放射能という言葉が登場してくるのは、オイルショックを機に日本のエネルギー政策が石油依存から大きく転換し、全国各地で原子力発電所の建設ラッシュが始まってからだ。福島第一原発は、正にこの時代に第一世代の原発として建造されたわけだが、「原子力の平和利用」という旗印と原発の絶対安全神話の下、放射能は、人々の目には決して触れない原子炉圧力容器の奥深くに閉じ込められた。日本人は、世界第2位の経済大国、技術先進国となった自信のもとで、原爆のトラウマとしての「死神」放射能を原子力発電所という「神殿」の奥深くに封印することにいったんは成功したのである。

冥界を司る神としての(Pluto)プルトニウム

 しかし、フクシマで、その「死神」の封印は解かれてしまった。日本の国土や海が放射能に汚染され、放射能雲が飛来することに世界中が震撼させられている。特に、第3号機の燃料として使用されているプルトニウムは、もともと自然界には存在しない半減期が2万4千年の放射性物質であり、ほぼ永遠に地球上の水や土や食物、そして人間や動植物の体を汚染し続ける。それを取り込んだ生物が、たとえ命尽きで灰になっても、再び循環しつづけ決して消え去ることはない。そして、そこから発せられる放射線は、数万年もの永きにわたり生き物たちの命を脅かし続けることになる。

原子番号94プルトニウムの命名の元である(Pluto)とは、ローマ神話で冥界を司る神のことを指す、そう死神だ。しかし、その名の意味は最初から意図されたわけではなく、プルトニウムの発見者が、93番元素のネプツニウム(Neptunium)が海王星(Neptune)にちなんで名付けられたことから、94番元素をその外側に位置する冥王星(Pluto)にちなむことにしたためだという。偶然とはいえ、その名(Pluto)は今日の破局的事態を予兆させていたのではないかと考えたくもなる。

 放射能についてこうして書き記しながら、あらためて戦慄を覚えているが、ここで書いていることも、放射能をめぐるひとつの「隠喩」に過ぎない。勝手に「死神」のイメージを付与しているのは人間のほうでしかない。しかし、私も含め人々が恐怖するのは、原子番号94の元素のことではなく、プルトニウムが持つ隠喩や物語の方なのである。

恐らく、今後、隠喩としての放射能に対する恐怖を社会的に克服していくためには、人類は新たな神話、宗教的な物語を必要とするだろう。人間にとってそれぐらい重大な局面に今我々は立ち会っているのであり、3.11フクシマ以降の世界は宗教的なものに引き寄せられ、新たな世界観を提示する宗教的カリスマ、救世主が待望されることになるかもしれない。

今の土地に留まるほか選択肢の無い現実

 しかし、残念ながら私のような俗物は宗教的にはとてもなれそうもない。こうして放射能のことについて偉そうに書いているが、実際は、いつプルトニウムが飛んでくるかとびくびくしている小心者だ。私のような愚かな衆生たちは、一体、どうすれば良いのだろうか。

個人的には先ずは原発の建設・稼働には反対し、自然代替エネルギーの活用を推進することを支持しようと心に決めている。が、その他のことでは放射能への対応について何も選択肢が無いというのが現実だ。

今の仕事は東京でしか続けられないし、自宅には他人にはなつかない人見知りの激しいネコ2匹と老いた肉親も居るので地方に疎開するわけにもいかず、これまで通りの暮らしを淡々と続けていくしか無い。もっとも、現在のような非常時の日本にあって、これまでの暮らしを続けられること自体が極めて恵まれたことといえるのだが・・・
政府が発表しているように現状レベルの放射能で「直ちに影響が無い」のだとすれば、今後、数十年の余生の中でガンになるリスクが数パーセント上がることを甘んじて受け入れるしかないと思っている。ただし、将来、出産する可能性のある娘たちには、このままの状況が続くなら、東京から逃げ出せといっている。

 「日本がひとつになってこの難局をのりきろう」「日本人は強い」「被災地の人々の気持ちになろう」といったメッセージがメディアや政治家からも垂れ流されてくるが、「放射能」と対峙するということは、そんな薄っぺらなヒューマニズムで片が付く話ではない。国の避難指示や放射能の安全基準に従っていれば、何とかなるものではない。今般の輪番停電ファシズムを経験してわかったように、日本国民といわれる人々が平等に救われることなどはあり得ない。安心・デマゴーク情報をまき散らしているだけの国や御用学者やメディアなどはあてにせず、それぞれが、それぞれの立場で考えて生き延びるしかないのだ。

「メメント・モリ(Memento mori)」(死を想え)の教えの意味

 放射能の下で生きることを強いられる「3.11フクシマ」以降の世界において、いったいどんな光景が広がるのだろうか。

福島原発の避難指示地域から移動することを拒否する住民がいる。放射能で汚染された町、土地であっても、あえてそこに留まることを選択する人間が、私も含めこれからはたくさん出てくるだろう。人々は、線量計で日々放射能を計測しつつ自分がどれくらい死に近づいたのかを確認しながら生きていく、そうした姿は確かに異常かもしれないが、よくよく考えれば、放射能で死なずとも、死(Pluto)は、いずれ、老若男女、金持ち貧乏に関わらず、等しく訪れる。

そして、誰もが等しく放射能に晒される、3.11以降の世界では、我々の生が常に死とともにあり、放射能が毎日蓄積されていくように、少しづつ死にゆく存在であることが常に意識させられることになる。

「メメント・モリ(Memento mori)」(ラテン語で「死を想え」)が、「放射能」が持つもうひとつの隠喩だ。

「死を想え」などというと、暗すぎるといわれそうだが、中世ヨーロッパで「メメント・モリ」という言葉が広がったのは、逆にcarpe diem(今を楽しめ)ということで、我々は「明日死ぬから」今を精一杯生きようではないかという教えであった。
イベント、パーティーはもちろん花見までダメなどと言っている、今の東京で蔓延している「自粛ファシズム」のような程度の低い社会キャンペーンとは全く違うということをいっておこう。

パンドーラの箱の底に残されたもの

隠喩としての放射能に関して、もうひとつの寓話を紹介しよう。

ギリシア神話に登場するプロメテウスは、火の神として知られているが、天界から火を盗み人類に与えたことでゼウスの怒りをかう。ゼウスはプロメテウスを罰する一方で、人類に災いを与えるために「女」というものを作るように神々に命令し、泥から「パンドーラ」という女性を作り、人間界に送る。神々はパンドーラを遣わす際に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて「箱」を持たせるが、ある日パンドーラは好奇心に負けてその箱を開けてしまう。すると、そこから疫病や犯罪、貧乏や悲しみといった、ありとあらゆる災いが飛び出してきて、世界には災厄が満ち、人々は苦しみの世界を彷徨うことになった。

深い後悔と絶望に打ちひしがれたパンドーラが箱の底を見ると、そこにはエルビス(ελπις)が残されていたという。

全ての災厄が飛び出した後に残されたエルビスとは一体何を意味していたのかについては、実は諸説あるようだが、この寓話を引用する後世の人々は、しばしばそれを「希望」と読み替えている。

原子力という「火」を与えられた人類が開けてしまったパンドーラの箱が、今日の福島第一原発であったとしたら、その底に残されているのは、この寓話にいうエルビスなのだろうか、そしてそれは人類にとって希望とよべるものなのだろうか。

(カトラー Twitter:  @katoler_genron

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