映画「アバター」に仕掛けられたキャメロン監督の企み、あるいは「胡蝶の夢」

Avater

ジェームズ・キャメロン監督の3D映画作品「アバター」が世界的な大ヒットになっている。

私は昨年の年末の封切り直後に、近所のシネコンまで見に行ったが、構想14年、製作に4年を費やした3D映画の大作という触れ込みに、見せ物小屋にでも行くような興味が先行していただけで、正直なところ、映画の内容などにはほとんど期待を持っていなかった。が、実際に観て、いっぺんに虜になってしまい、既に2回この作品を観るために映画館に足を運んでいる。

この映画の誕生によって、映画を観るという行為の持つ意味が根本から変えられてしまうだろう。それぐらい、これからの映像表現にとってこの映画は画期的な意味を持つ作品だ。
14年前にアバターという映画の構想の方が先に生まれ、3D映像の技術が後から追いついてきて、その最新技術をブラッシュアップさせながら作品が創り上げられていったそうだ。キャメロン監督は、当初予定されていた公開日程を延期させてまでも、新しい3D技術の採用にこだわったようだが、映画を観てその理由がはっきり理解できた。

反戦、反アメリカ映画として第一級の作品

この映画は様々な観点から評価できるだろうが、私はこの作品が反戦、反アメリカ映画として第一級のものであることを指摘したい。
この映画の映像体験の対極に位置するのが、米軍の圧倒的な軍事テクノロジーのショーとなった1991年の湾岸戦争の映像だ。コンピュータゲームの世界のようにミサイルが海上を渡り、何百㌔も離れた軍事標的を寸分違わない正確さで破壊する映像がCNNを通じて全世界のテレビから繰り返し流された。ただ、それはゲームではなく、今、この現実に起きていることであり、その映像の先にはリアルな人間の死が存在していた。
その最もリアルであるべき人間の死をコンピュータゲームの中で進行している出来事のように感じてしまった後では、全てのイメージ、映像表現は、単なる見せ物になってしまう。

湾岸戦争後、全ての映像作家たちに課せられた十字架は、巡航ミサイルが現実にビルを打ち壊している映像を超えるリアルを誰も表現できなくなってしまったということだ。

キャメロン監督は、その十字架を3Dという魔法を手にしたことで解き放った。
3D映像によって観客は侵略戦争のただ中の空間に引きずり込まれ、圧倒的な力により、一方的に破壊が進行していく様を目の当たりに体験させられる。その体験を通じて観客は、20年前にテレビゲームのように見ていた映像の背後にあった本当の現実を追体験させられるのだ。さらに、この映画を観た人たちは、米国という国家が常に侵略行為と不可分であった歴史の記憶をも呼び醒まされる仕掛けになっている。
この映画に登場する青色の肌をもった異星人ナヴィ族は、自然と感応する霊的能力を持った種族として描かれ、スペイン人ピサロによって滅ぼされたインカの民や白人の西進とともに殺戮され故郷を追われたアメリカインディアンの姿が彷彿とさせられる。

正義のカウボーイの歴史を真っ向から否定

未開の地を切り開き、野蛮な原住民を蹴散らかして西進するというのが、米国のフロンティアスピリットの本質であったとすれば、そうした正義のカウボーイの歴史をこの映画は、真っ向から否定しているといってもよいだろう。
この映画は、日本と同時に米国でも封切られている。ナヴィ族が体現している自然と共生するアニミズム的な世界観への共鳴は、私たち日本人にはむしろ馴染み深いものだが、米国人はこの映画の隠された反カウボーイ、反アメリカメッセージをどのように受けとめているのだろうか。
米国の私の友人によれば、この作品に対して保守派の反発も生まれているが、むしろ、前政権のカウボーイ・ブッシュによって主導された「ブッシュの戦争」で深く傷ついた米国人の自信や心のトラウマを癒している作品としてとらえられるという。

物語では、過去の戦闘で負った脊椎損傷で半身不随となった主人公の元海兵隊員ジェイクが、傭兵として、物語の舞台、惑星パンドラにやってくる。ジェイクはアバターとリンクしてナヴィ族にスパイとして潜入するミッションを与えられるが、ナヴィ族との接触を通じて徐々にその世界観を学び、遂にはナヴィ族の一員として受け入れられるまでになる。物語のクライマックスでは、地球人(スカイ・ピープル)の侵略に対して、ナヴィ族の戦士として立ち向かう。

米国の贖罪と新たな再生神話の創造

ネタばれになってしまうが、ラストシーンで主人公のジェイクはナヴィの一員として生まれ変わる。つまり、キャメロン監督が、この作品で明確に意図しているのは、米国のこれまでの侵略や開発至上主義的な自然破壊に対する贖罪と新たな再生神話の創造といえるだろう。

米国でもこの映画が大ヒットしている背景には、アメリカ国民が深く傷つき、新たなアメリカン・ドリーム、希望の物語を欲しているということがあるだろう。ただし、その希望の物語とは、きらびやかな車やプール付きの家やシャンパンで彩られたものではない、
荘子が2300年前に語った「胡蝶の夢」のように、夢の世界で舞うはかない蝶のようなものだ。

アバターと荘子の「胡蝶の夢」

「以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである」

アバターとは、この荘子の説話に登場する胡蝶のようなものといえる。胡蝶の夢の説話と同様にアバターの世界では、夢と現実が混じり合い、その境界が無意味なものとなる。もっとラジカルにいえば、アバターという作品によって提起されたものは、その境界線を無化してしまうことで世界を変えてしまおうという高度な企みなのだ。ジェームズ・キャメロンが、3D映画に見た戦略的な可能性は正にその点にこそ存在しただろう。

この映画を観ながら、3D映画のテクノロジーを使って、等身大のロールプレイゲームをやったらどんな感じだろうと考えていた。パソコンの平面世界のネットゲームでさえ、はまりこんでしまうゲーマーが数多くいるくらいだから、仮に3Dのゲーム空間が登場したら、一生そこから出てこない若者も出てきて社会問題化するかも知れない。アバター的な現実とは、産業的にも大きな広がりを持ってくるだろう。

キャメロン監督の次回作のテーマは「原爆」

昨年の年末、ジェームズ・キャメロン監督は、日本を訪れ、広島の病院で一人の老人を見舞っていた。
その老人は、山口彊(つとむ)さんといい、戦時中は三菱重工の技術者だったが、広島、長崎の両方で被爆するという苛酷な運命を背負った。ずっとその二重被爆という重い体験を誰にも話していなかったが、次男を2005年にガンで亡くしたことをきっかけにその体験を公に向かって語りだした。
山口老人は、オバマ大統領にも手紙を書いたが、ジェームズ・キャメロン監督が、次回作品で「原爆」をテーマにしているという話を聞き、直接会って話したいと希望していたという。

キャメロン監督は山口老人に面会し「あなたのような稀有な経験をした人を後世に伝えるために会いに来た」と語りかけたそうだ。面会後、山口さんは「使命は終わった」と話し、今年の1月4日、93歳で死去した。

ジェームズ・キャメロンは、次の原爆を題材とした作品で、山口老人の体験を全世界の人々に共有させることを企むのだろう。それは、果たして、人類の犯した過ちに対する贖罪と再生の物語になるだろうか。

(カトラー)

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裸になって何が悪い! ~公園で裸になる自由とホームレスする権利~

Photo SMAPの草なぎ剛が、泥酔して全裸で真夜中の赤坂の公園で騒いでいとところを公然猥褻罪で逮捕されたことが大ニュースになっている。

このニュースを出張中の新幹線の中で流れていた文字ニュースのテロップで知ったのだが、全裸というのがユーモラスに感じられて、世間では笑い話になっているのかなと思ったら、テレビ、新聞がトップで取り上げるような大ニュースになっていた。

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空間の魔術師、村野藤吾の”音楽” ~モダニズムを超えて~

Photo_2 村野藤吾という建築家を知っているだろうか。
建築を少しでもかじったことのある人なら、「東(東京)の丹下、西(関西)の村野」といわれ、丹下健三と並ぶ、日本が生んだ偉大な建築家であることは誰でも知っているのだが、一般人の間では、丹下健三のような知名度は無い。しかし、日比谷の日生劇場や大阪そごう百貨店を設計した建築家であるといえば、村野の名前は知らなくても建物が放っている独特のオーラと印象がきっと記憶に深く刻まれているはずだ。

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NHK「サラリーマンNEO」賛歌 ~サラリーマンへのレクイエム~

Photo 最近はテレビ番組をほとんど見ない。特に小利口ぶったお笑いタレントやジャリタレが騒いでいるだけの情報バラエティ番組というのが大嫌いで、テレビをつけると、この手合いの弛緩した番組ばかりなので、反射的にスイッチを切ってしまうことになる。

それゆえ、欠かさず視聴しているといえる番組もないのだが、唯一の例外が、NHKが放送している「サラリーマンNEO」というコント・バラエティ番組だ。

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チベットの声を聞け ~もうひとつの聖なるリレー~

Nagano1 長野の聖火リレーが終わった。
テレビや新聞など日本のマスコミは、長野の街で中国人留学生とチベットを支持する人々とのぶつかりあう様を映し出し、センセーショナルに報道したが、終わってみると、祭りの後の虚しさと6人の逮捕者だけが残った。

聖火リレーの朝、長野駅から善光寺に続く参道は、中国の真紅の五星紅旗で埋め尽くされていた。早朝から中国人留学生らが団体バスで続々と乗りつけ、聖火リレーが予定されている沿道に流れていく。

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私を靖国神社に連れてって!~靖国アミューズメントパーク化計画~

Yasukuni_top 中国人監督リ・イン氏が10年間かけて撮影、制作した映画「靖国」の公開をめぐって、論議が巻き起こっている。
事の発端は、週刊新潮がこの映画の内容が反日的であると報じ、それを問題視した衆議院議員、稲田朋美ら「伝統と創造の会」のメンバーが、配給元に対して、公開前に試写を要求したことに始まる。

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無差別殺人の時代、ノーカントリーな日本を生き延びろ!

No_country コーエン兄弟の「ノーカントリー」を地元のシネコンで見たのは、土浦の駅頭で24歳の男が無差別殺人を引き起こす一週間前だった。

もし、事件が起きた後だったら、スーパーの袋をぶら下げた主婦が行き交い、土浦と同じような日常風景の中にあるシネコンで、こんな映画はとても見る気にならなかっただろう。

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ダライ・ラマと毛沢東 ~その光と闇~

Dalai_lama_and_mou_takutou チベット暴動が起きてから、「ダライ・ラマ自伝」をもう一度読み返してみた。
現在のチベット問題やダライ・ラマという稀有な精神を理解する上で、また、中国共産党政府の本質を知る上で大変得るところが多い本だ。

特に印象的なのは、ダライ・ラマと毛沢東が交錯する場面である。

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チベット暴動、胡錦涛の恐れとダライ・ラマのメッセージ

Tibet_lasa_riot チベットのラサの暴動が四川にも広がりを見せている。この数日間、チベットの情勢から目が離せない。
1989年のラサ暴動以来、チベットの人々に間に燻り続けている中国共産党政府の支配および同化政策に対する不満が再び爆発した。中国政府当局が厳しい報道管制をしいているので、暴動が勃発した直接の原因や経緯、現在の状況がどのようになっているのかは、正確にはわからない。

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隠喩としてのパンデミック・フルー(新型インフルエンザ)

Spain_flu2 病は時代を映す鏡であるといわれる。結核、癌、エイズといった死に至る病は、人々をして、その苦痛を耐え忍ぶために、様々な神話や空想を紡ぎ出させ、それぞれの時代の文学や芸術に色濃く影を落としてきた。

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