<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/">
<title>カトラー：katolerのマーケティング言論</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/</link>
<description></description>
<dc:language>ja-JP</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2009-07-10T01:38:54+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.typepad.com/" />


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/07/post-f5c9.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-d0fc.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-e945.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-7c1e.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-5479.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-2618.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-9604.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-d269.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-b551.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-154e.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-e4c3.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-1274.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/post-d6ad.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/the-maverick-94.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/post-9cf6.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/07/post-f5c9.html">
<title>私は商店街の味方です！大規模ショッピングモールの黄昏と商店街の復活</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/07/post-f5c9.html</link>
<description>わが家には長じた娘が２人いるが、彼女たちがまだ幼かった頃、足立区の商店街のうどん...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=208,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/07/10/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;360&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/07/10/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; わが家には長じた娘が２人いるが、彼女たちがまだ幼かった頃、足立区の商店街のうどん屋（製麺販売）の３階に間借りしていた時期があった。写真は、年賀状用に撮った当時の写真である。「玉うどん」という、うどん屋の看板が、その頃のカトラー家の目印だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;商店街の通りに面した窓を開けると、眼下に向かいの八百屋の軒先が見えた。&lt;br /&gt;とある週末の夕方、娘をその八百屋におつかいに行かせ、その様子を窓から眺めていると、八百屋のおやじが、明日になれば真っ黒に変色してしまうような萎びた椎茸をしきりに娘に売りつけようとしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「おい、おやじ、そんな半端ものうりつけるな！」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と窓から首をだして怒鳴ると、八百屋のおやじは頭上の私の姿に気が付いて、ばつの悪そうな顔をして「お手伝いできる良い子だからおまけしてやろうっていってたんだよなあ、嬢ちゃん」と娘の頭を撫でながら言い訳してみせる。&lt;br /&gt;商店街の人々は、せこい人たちが多かったが、気持ちに裏表のない、気のおけないいい人ばかりだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;全国で急増するシャッター通り商店街&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その商店街が、全国で存亡の危機に立たされているという。中でも地方都市の商店街の衰退、荒廃ぶりは目を覆うばかりである。地方都市に出張した折などに、地元の商店街などを覗いて見るのだが、人もまばらで半分近い店がシャッターを下ろしている所が増えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした状況をもたらしたのは、地方都市の過疎化や郊外型の大規模ショッピングモールやロードサイド店が乱立して、商店街が展開している中心市街地から人がいなくなったことなどが原因とされている。商店街に再び人を呼び戻そうと、アーケード建設や駐車場の整備など様々な対策が講じられたが、一部の建設業者が潤っただけで、ほとんど効果らしい効果をもたらさなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;カトラー家が住んでいた商店街の近くにも、昨年、イトーヨーカドー系のArio（アリオ）という、シネコンなども兼ね備えた大規模ショッピングモールが開店した。&lt;br /&gt;ところで、私はこの手のショッピングモールというやつが大の苦手である。品揃え、客の嗜好や回遊導線、接客マニュアルやクレームの処理まで全てが計算づくで管理されていて、そこに居るだけで自分も商品のひとつにさせられてしまったような気がして息苦しくなってくる。ファミリー層が最大のターゲットだから、家族連れが多いのだが、彼らを見ていると「家族ごっこ」をさせられているような嘘臭さがショッピングモールの空間には充満しているように感じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在の「ファミリー」層にとって、週末に郊外のショッピングモールに車で出かけて行って一緒に消費をすることが、「家族」であることを確かめる唯一の「ハレの時間」になっているのではないか。日頃は携帯電話やゲーム機を覗き込むばかりで、親の言うことなど耳をかさない子供たちをとにかく車に押し込んでショッピングモールに連れていき、たいして欲しがってもいないモノを買い与えて家族ごっこをやっているというのが、今の日本の「ファミリー」の平均像だといったら世のファミリー族から顰蹙をかうだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ファミリー幻想の終着地としての大規模ショッピングモール&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/07/10/photo_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_2&quot; height=&quot;150&quot; alt=&quot;Photo_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/07/10/photo_2.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 「ファミリー」幻想は、長く日本人の消費を牽引する原動力となっていた。ファミリーレストラン、デパート、遊園地、家族旅行といった「ハッピーファミリー（幸せな家族）」のための商品やサービスが日本の消費の中心トレンドをつくってきた。しかし、「ファミリーレストラン」が、「ファミレス」となり、高校生や暇な主婦連中がたむろする場になってしまったように、「ファミリー」という言葉は、今や使うのにも気恥ずかしさが伴う死語になりつつある。そうしてみると、現在、隆盛を極めているといわれる郊外型の大規模ショッピングモールやアウトレットは、日本人が高度成長時代からずっと抱き続けてきた「ファミリー」幻想が行き着いた終着地のようなものに見えてくる。消費者の「ハレの時間」を演出するために、ショッピングモールは際限なく巨大化し、ディズニーランドのような場所に近づいていくだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、私の見立てでは、こうしたショッピングモールの隆盛も既に終わりを迎えている。不動産リートや投資ファンドなどショッピングモールの建設に向かっていた資金も金融危機の影響をもろに被り一気にシュリンクしており、消費の減退も相まって閑古鳥が鳴いているショッピングモールもあちこちで見られるようになった。大規模ショッピングモールが廃墟となり、「ファミリー幻想」の墓標として語られる日がやがてくるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話をもう一度商店街に戻そう。&lt;br /&gt;不況に苦しんでいる商店街の人々には、肥大化したショッピングモールを相手に勝負する必要なんかないといいたい。家族連れで商店街が賑わった高度成長時代を懐かしむ気持ちもわからないではないが、昔に戻ることを夢見たり、逆に商売不振の原因をショッピングモールのせいにしないことだ。大規模ショッピングモールは、買う物がない時代にあって、既に商品やサービスを売っているのではなく、「家族ごっこ」という幻想を売る末期的業態に転換した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;オレオレ詐欺の手口に学ぶ？シニアビジネス成功法&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;商店街は、もっと真っ当なやり方で開拓できる別の客層があると思う。例えば老人層である。老人にとって今のショッピングモールはわずわらしいだけの場所だろう。勝手のわかった商店街こそ、彼らの受け皿になるべきだと思うが、どうやら商店街は、老人はカネを使わず、老人相手の商売（シニアビジネス）は儲からないという固定観念に縛られているようだが、はたしてそうか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近の老人相手の「カネもうけ」で一番の成功？事例を上げるとしたら「オレオレ詐欺」だ。老人達は寂しい暮らしの中で、子供や孫からかかってくる電話を首を長くして待っている。オレオレ詐欺は、そこにつけ込んだ。警察の取り締まりやメディアのキャンペーンにもかかわらず、オレオレ詐欺に代表される「振り込め詐欺」の手口は巧妙化し、被害総額は年間２５０億円にも達している。犯罪の手口から学ぶというのもどうかといわれそうだが、そこには明らかに考えさせられる何かがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;機能性飲料の新たなチャネルとして復活する牛乳宅配ルート&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まともなシニアビジネスの事例として最近興味深いと思っているのは、牛乳宅配の復活である。牛乳販売店は、高度成長時代に全国網が築かれたが、スーパーなどの出店に押されて、その数は、ピーク時に比べると半減、「斜陽ビジネス」の代名詞といわれた時期もあった。ところが、メグミルク（雪印乳業系）の宅配ルートでは、Ｎ―グルコサミンという膝や関節痛を軽減したり予防する機能性素材を添加した商品「グルコサミンパワー」が、日配20万本という大ヒット商品になり、いまや主力であるはずの牛乳の売上げを追い抜いてしまったという。ヒットの要因は、牛乳販売店の店主も高齢化しているので、こうした健康機能をもった商品は、店主が客と同じ目線に立って説明販売できるのが強味になっている。また、宅配ルートの商品は一定期間、習慣的に摂ってもらえるので、グルコサミンパワーのような機能性飲料の場合、効果が体感しやすくリピートに繋がるのだという。牛乳宅配ビジネスは、高齢者向けの新たな販売チャンネルとして復活しつつあるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;商店街が始めた老人向け弁当宅配事業の成功&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;足立区に東和銀座商店街という全国的に知られている商店街がある。アムールトーワという株式会社を商店街として設立して、「地域の仕事は地域でやる」をモットーに給食事業などのコミュニティビジネスを手がけている。その東和銀座商店街が、老人世帯に対する弁当宅配事業も手がけているが、ユニークなのは弁当容器を使い捨てのものではなく塗り物にして、食べ終わったあとの容器をいちいち回収していることだ。訪問して回収するのは確かに手間がかかるが、老人たちと直に顔を合わせる機会が増えることで、メニューに対する要望や老人達の健康状態なども確認することができるのだという。そうしたフェイストゥーフェイスの関係を築いていることが他の弁当販売事業者にはない強味になっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;シニアビジネスに可能性があるといっても、今のままの商店街では、老人達の心をつかむことはできないだろう。オレオレ詐欺のように、手を変え品を変えコミュニケーション手法に工夫を凝らす、あるいは、牛乳宅配のように、同じ目線に立って商品を紹介したり、家まで届けるといった新しいサービス機能を開発することが不可欠だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先日、久しぶりに昔住んでいた商店街を歩いてみた。肉屋のおっさんも、鶏肉屋のおばさんもまだまだ元気で店に出ている。「おじょうちゃん、元気かい？」と八百屋のおっさんが笑いながら声をかけてきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「今日はいい椎茸があるよ、安くしとくからもってきな」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;またかと思わず身構えたが、見ると、ぷりぷりしたいい椎茸だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;color: #3333cc;&quot;&gt;このブログを読んでいただいている皆様にお知らせ：&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日経ＢＰの「朝イチメール」というケータイへのコラム配信サービスが来週からスタートします。その火曜日のコラム「カトラーのマーケティング時評」をブロガーとして担当することになりました。興味をもっていただけるようなら、ぜひ以下から登録してください。（登録は無料です）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://mobile2.nikkeibp.co.jp/p/asaichi/&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #3333cc;&quot;&gt;NikkeiBP mobile ケータイ朝イチメール&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>地域再生・地域通貨</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>
<dc:subject>繁盛店のヒミツ</dc:subject>
<dc:subject>都市再生</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-07-10T01:38:54+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-d0fc.html">
<title>環境ファシズムの足音が聞こえる：あらためて宮下公園のナイキ公園化に反対する</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-d0fc.html</link>
<description>東京都渋谷区は１８日、区立宮下公園の命名権（ネーミングライツ）を、スポーツ用品メ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.asahi.com/national/update/0618/TKY200906180314.html&quot;&gt;東京都渋谷区は１８日、区立宮下公園の命名権（ネーミングライツ）を、スポーツ用品メーカー「ナイキ・ジャパン」（東京・品川）に売却する方針を区議会で明らかにした。ナイキ側の予算で公園改修も進めるという計画だ。（アサヒコムより）&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=150,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/06/28/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;125&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/06/28/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 渋谷区が、ナイキに宮下公園のネーミングライツ（命名権）を売り、「ナイキ宮下公園」化する計画を公式に発表した。ナイキ・ジャパンが費用負担する形で、宮下公園内に新たにスケートボード場（１１００平方メートル）、ロッククライミング施設が整備され、夜間は施錠されることになるという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この計画に対しては、ホームレス支援を行っていたグループが中心となって「&lt;a href=&quot;http://minnanokouenn.blogspot.com/&quot;&gt;みんなの宮下公園をナイキ公園化から守る会&lt;/a&gt;」という市民団体が結成され、反対運動も始まっているが、彼らの声が多数意見となるとは考えにくい状況だ。というのも、一般区民の中には、「ナイキ公園になればキレイで明るくなり、ホームレスもいなくなる」と計画に賛同する声が少なからず存在しているからだ。&lt;br /&gt;反対派は「ホームレスの人々が住む場所を奪われる」「宮下公園を集会場所として使えなくなるため市民運動が制限される」という反対論を展開しているが、ホームレスに対しては自立支援を行う、集会場所はどこか他所でやってくれという行政側の「建前論」に対抗できるかどうかは疑わしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ホームレスの排除と一体で動いている公園整備&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;渋谷区側は、今後、ホームレスの問題と公園の整備を切り離して対処する姿勢をとってくるだろうが、この計画の発端から、ホームレス問題と公園整備は一体のものとして動いてきたことを見ておく必要がある。特にこの計画の推進の中心となっている&lt;a href=&quot;http://www.ito-takeshi.jp/home/home.htm&quot;&gt;伊藤たけし渋谷区議&lt;/a&gt;は、渋谷区から&lt;a href=&quot;http://www.ito-takeshi.jp/yesno2/yesno.htm&quot;&gt;ホームレスを排除することを公約&lt;/a&gt;し、その一貫として宮下公園の整備を主張してきた人物である。過去の議会においても以下のような質問を行っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #000099;&quot;&gt;伊藤：渋谷区でも、公園にホームレスが集中している。ホームレスの居住場所を確保し、公園本来の姿を取り戻すことの必要性を痛感している。「ガイドプラン２１」との整合性も踏まえつつ、宮下公園を「フットサルコート計画書」を核としたスポーツ公園へ改良すべきと考えるが。また、改良にあたっては、ＰＦＩなど民間活力を導入するのはどうか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #000099;&quot;&gt;区長：宮下公園は都市公園としての位置づけがされていながらホームレスに占拠されている状況を踏まえ、自立支援センターと平行しながら解決していかなければならないと認識する。「ガイドプラン２１」にも方向性が示されているので今後の検討課題としたい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ホームレスの居住場所を確保し」と留保を付けているが、伊藤は宮下公園のナイキ公園化が、明らかにホームレス排除の一貫として行われていることを確信犯的に表明している。&lt;br /&gt;この他にも伊藤は、代々木公園で陸上女子実業団チームの女性選手たちが、ホームレスに追いかけられた逸話などを持ち出して、治安上もホームレスは問題であるという趣旨の発言を行っている。世の中には、女性の下着を手鏡で見て喜ぶ大学教授や満員電車の中で痴漢行為に及ぶ裁判官もいる。こうした事件が発生した際に、大学教授や裁判官全体が色情狂扱いされただろうか。代々木公園の出来事も事実かどうかも疑わしいが、伊藤はこの事件から何を根拠にホームレスの人々全体が治安上の問題だと主張しているのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;きれいな街は、ひとの心もきれいにする？！&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;渋谷区議には、この伊藤たけしと結託している&lt;a href=&quot;http://www.hasebeken.net/index.html&quot;&gt;長谷部健&lt;/a&gt;という議員がいる。長谷部はもととも広告代理店のサラリーマンだったが、&lt;a href=&quot;http://www.hasebeken.net/index.html&quot;&gt;green bird&lt;/a&gt; という環境ＮＰＯを立ち上げて、企業からカネを集めて環境活動をはじめたが、２００３年に渋谷区議に立候補して議員となった。長谷川たちのＮＰＯがやっていることは、「ゴミ拾い」である。こんなＮＰＯにカネを出す企業も企業だが、「きれいな街は、ひとの心もきれいにする」という、ぞっとするキャッチフレーズを掲げて、全国の市街地でゴミ拾い運動を行っている。最近では、パリにまでのこのこ出かけていってこの「ゴミ拾い」をやったらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アルピニストの野口健のように、富士山のゴミを拾う活動を象徴的に運動化するのは賛同できるが、渋谷や原宿など繁華街で、企業からカネをもらってゴミを拾って「心がきれい」とは「ちゃんちゃらおかしい」としかいいようがない。&lt;br /&gt;伊藤たけしと結託して宮下公園のナイキ化計画を推進してきたこの長谷部健に聞いてみたいのは、「街をきれいにする」というキャッチフレーズの意味には、ホームレスを追い出すことも含まれるのかどうかということだ。もちろん、そんなつもりは無いと否定するだろうが、相棒の伊藤たけしは、この点について確信犯的であるし、それを一見きれいな環境キャッチフレーズでカムフラージュしてやっている分だけ、長谷部健のほうが、もっとあくどいといえるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ナイキ・ジャパンから支援を受けている長谷部議員&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに、長谷部健が議員として問題だと考えられるのは、主宰するＮＰＯ法人green birdが、今回のプロジェクトの主役である&lt;a href=&quot;http://www.greenbird.jp/supporter/&quot;&gt;ナイキ・ジャパンから支援を受けていることだ&lt;/a&gt;。宮下公園のナイキ化計画に直接の利害を持つナイキ・ジャパンから金品を支援されているとしたら、地方自治体の議員としては大いに問題だろう。ナイキ・ジャパンにとっても、このことは贈賄行為と受けとめられても当然であり、コンプライアンス上、問題視されるべきだ。ナイキという企業は、かつて８０年代、製造委託先の東南アジア、インドなどの工場で人権を無視した労働条件のもとで、少年少女なども強制労働させていた実態が告発され、世界中の人権団体やＮＧＯから袋叩きにあったという苦い経験を持つ。ホームレスを追い出してナイキ公園を作るという今回のプロジェクトで同じ轍を踏むのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、私にとって最も不愉快なのは、他方で「きれいな街は、ひとの心もきれいにする」というスローガンを何の疑いも持たずに受け入れている人々がいることだ。自分の身のまわり、視野に入ってくる世界はこぎれいにしておきたいが、他の世界で起きていることには無関心。そこには、ホームレスが生まれてくる根本的な問題には目を向けず、渋谷区からとりあえず消えてくれれば良いという小市民エゴがありはしないか。賢明な渋谷区民は、そんな連中ばかりではないと思いたいが、伊藤たけしや長谷部健のような人物が議員に選ばれてくる背景には、ホームレスの居場所を考えることよりクールなナイキのブランドマークを眺めていたいという小市民ブランド主義が透けて見えてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;人々の心に巣くう小市民ブランド主義&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本の環境ブームは、「ロハス（Lifestyles Of Health And Sustainability）」という広告屋がでっちあげた実体のない言葉のまわりでこの島国の中だけでガラパゴズ的に盛り上がってきた。どんな内容か知らないが、この長谷部健という議員もシブヤロハスプロジェクトという環境運動を提案したと得意気に自分のホームページで報告している。ロハスという言葉は、もともと米国からやって来たということになっているが、米国に行ってこんな言葉を叫んでもキョトンとされるだけだから、気をつけたほうがいい。こんな言葉をありがたがっているのは、世界の中でもこの日本だけだ。&lt;br /&gt;そしてロハスブームがたどり着いた果てが、「きれい」という言葉を掲げ、異質なもの、汚いものを排除するホームレス排斥運動であるとすれば、そんな「環境ファシズム」は糞食らえだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;都市、街というものは、もともと猥雑なものである。ヤクザもいれば、娼婦もいる。世界の富を独り占めする奴がいる限り、貧富の格差やホームレスも決してなくならない。長谷部健や伊藤たけしのように、そんなにロハスやキレイな街がお好きなら、ツアーでも組んでさっさと北朝鮮の平壌にでも行ってしまえばいいのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;排除の論理に基づく環境議論はファシズムにつながる&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここであらためて確認するまでもなく、宮下公園のホームレスは、我々と同じ世界の住人であり、日本国民である。彼らが何らかの理由で路上生活を余儀なくされていることは、我々が直面している社会の現実であり、その現実はゴミのようにゴミ箱に捨ててしまえばどこかに消え失せてしまうものではない。ホームレスの人々が目の前で生活している現実とまず向き合うことから始めなければ、全ての環境議論はファシズムに直結してしまうだろう。&lt;br /&gt;かつてのナチスドイツは、健康、清潔であることを国民の義務として、スポーツを奨励した。それと同じように現代のファシズムは、ナイキのようなブランドとともに環境やスポーツの衣をまとって出現してくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ナイキのロゴマーク、スウッシュ（Swoosh）は、トップアスリートたちに巨額の契約料を支払ってクールなブランドイメージを構築し、最も成功したブランドとなった。クール（きれい、かっこいい）とは、「汚い」「かっこわるい」の対極にあるイメージであり、ナチスのブランド「ハーケンクロイツ」がそうであったようにように、異質なものを排斥することでイメージを維持しようとする。最も成功したブランド、ナイキのスウッシュ（Swoosh）には、今、こうした危うさが生まれているとあえて指摘したい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこで、ナイキ・ジャパンに提案がある。長谷部健や伊藤たけしのような連中の口車に乗って宮下公園のネーミングライツ（命名権）に無駄金を払うよりも、ホームレスの自立支援に賛同する方が、これからのブランドイメージ向上には余程役立つのではないか。&lt;br /&gt;クールよりも共生（コモンズ）である。ナイキのように独り勝ちしたブランドは、いずれ陳腐化（コモディティ化）のリスクに直面する。どこを見てもナイキで埋め尽くされる状況が生まれるのだからそれは当然の帰結といえる。それを防ぐ唯一の方法は、ブランドを「コモンズ（共有地）」化していくことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「クールからコモンズへ」なかなかいいキャッチフレーズだと思うが・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>地域再生・地域通貨</dc:subject>
<dc:subject>環境</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-06-28T20:00:29+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-e945.html">
<title>ファシズムの足音が聞こえる：日本政治の劣化と幸福実現党の野心</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-e945.html</link>
<description>鳩山邦夫総務大臣が辞任したゴタゴタで麻生政権の支持率がまた急落している。 カンポ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=223,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/06/18/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;185&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/06/18/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 鳩山邦夫総務大臣が辞任したゴタゴタで麻生政権の支持率がまた急落している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;カンポの宿の売却問題に端を発する今回の騒動は、結局、無益な混乱だけを残しただけに終わった。単に混乱を招いただけではない、落札が決定していたオリックス不動産が購入を辞退して売却計画が白紙撤回されたことで、日本郵政の民営化プロセスも停滞を余儀なくされた。そもそも、バルクセールを前提としていたカンポの宿の売却について、その資産評価方法、入札のプロセス、いずれをとっても何の瑕疵も存在していなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;当初、鳩山は不正を暴き出すと息巻いていたが、埃一つ出てこず、全くの空振りに終わった。マスコミは日本郵政の西川社長に対して、十分な説明責任を果たしていないと批判の矛先を向けていたが、お門違いも甚だしい。正当なプロセスを持って行われた入札という自由な経済行為の結果に対してそれ以上何の説明をしろというのか。要するに事の発端から今回の辞任劇に至るまで、鳩山邦夫の独り相撲に内閣もマスコミも国民も付き合わされ振り回されたことになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「正義は我にあり」捨てぜりふを残して閣外に去った鳩山邦夫&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鳩山邦夫は、麻生太郎の盟友といわれていたようだが、「正義は自分にあり、総理は間違っている」と捨てぜりふを残して閣外に去った。このいきさつを見ると、麻生と鳩山の盟友関係といわれていたものも実は何の実体もなく、結局は坊ちゃん政治家同士のもたれ合いに過ぎなかったことが露呈した。鳩山のような独善的なお坊ちゃんと盟友関係を結べるのは、せいぜいがアルカイダの友達くらいなのだろう。&lt;br /&gt;鳩山は自分の政治行動を「正義」という言葉を持ち出して正当化していたが、法律家や子供番組の着ぐるみヒーローならまだしも、政治家は安易にこんな言葉を振り回すべきではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治とは決して交叉することのない理想と現実の矛盾の間に立って、その矛盾になんとか折り合いをつけようとする不断の行為に他ならない。「正義」を振りかざすことよりも、あえて自分が悪者になってでも最大多数の幸福（政治目標）を達成することを腐心する者こそ「政治家」の名にふさわしい。現在の与党自民党の政治家に蔓延しているのは、こうした意味での「政治家」とは全く正反対の政治ごっこだ。鳩山邦夫も含めて、彼らが二言目にいうことは、「自分は正しいことを言っているが、執行部は言うことを聞かない」というエクスキューズであり、「自分だけは良い子ちゃん症候群」に陥っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;政党の体を成さないまで劣化した自民党&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ようするに自民党は既に政党としての体を成さないほどの劣化をきたしている。西松建設への献金問題で小沢一郎が民主党代表の座を退いたことが自民党の支持につながらず、逆に民主党の支持率の上昇に繋がったのは、自民党の政党としての賞味期間が既に終わってしまったことを有権者は見抜いているからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、一方で民主党に対する支持も実体的なものではない。鳩山由紀夫に党首がすげ変わって民主党が支持率を上げているが、西松建設問題という民主党の否定要素がとりあえず目の前から消えたからに過ぎない。そして、何よりも絶望的になるのは、民主党は、亀井静香らの国民新党との選挙協力を前提に郵政民営化の白紙撤回をマニフェストに盛り込もうとしていることだ。４年前の衆議院選挙で郵政民営化に賛成した大多数の国民は、小泉マジックに騙されただけとでもいいたいのだろうか。だとすれば、何とも国民を愚弄した話である。民営化の是非は、実際に民営化を実現させた上で問われるべきである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自民党はがたがた、民主党もあてにならないとなれば、&lt;a href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-1274.html&quot;&gt;以前のエントリー記事&lt;/a&gt;でも指摘したが、消去法的思考に支配される政治的ニヒリズムがこの国を覆ってしまい、ファシズム前夜といえるような状況が生まれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、通勤電車の中吊り広告で目に付くのが大川隆法の「幸福実現党」のポスターである。幸福の科学は大川教祖のチャネリングにより降臨した「霊言」によって運営されている新興宗教だが、現在の閉塞状況を捉えて政治の表舞台に立とうとしている。&lt;br /&gt;幸福実現党のポスターの中には、大川隆法の著書「国家の気概」が紹介されていて、その内容たるや安倍晋三内閣の主張かと見まがうほどで、反北朝鮮と国家主義的言説がずらりと並んでいる。一見、右翼的な主張ではあるが、かつての国家神道と異なるのは、神格化された天皇の座に自分を置いて、幸福の科学による神権政治の実現を目指している点だろう。ということは、天皇制を廃止させるということなのかと、綱領を読んでみると、どうもそれはなく、天皇制は温存させるということらしい。言っていることは矛盾だらけで、色々な要素をパッチワークのように寄せ集めているだけの空疎な中味だが、現在の時代の雰囲気を代表している面もある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ファシスト演説の定石をふんでいる幸福実現党&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;幸福実現党は大川教祖の夫人、大川きょう子が党代表代行となっているが、先月行われた立党大会での彼女の演説をみると、自分が何者であるかを語るより以前に、既存の政治勢力の否定を徹底して繰り返している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前にも紹介したが、ドラッガーが、その処女著作「経済人の終わり」の中で、ファシズムに特有の症状を以下のように分析している。当時はヨーロッパでナチス・ドイツが台頭しつつあった時代だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;①ファシスト全体主義は積極的理念を欠いており、ただあらゆる伝統的な理想や理念を論難し、排撃し、否定することに終始する&lt;br /&gt;②ファシズムはこれまでの理想をことごとく論難するにとどまらず、政治的・社会的制度が拠って立つ基盤としていたものを否定する&lt;br /&gt;③大衆がファシズムにすがりつくのは、積極的信条にとって替わるべきものとしてのファシズムの約束を信ずるからではなくて、反対に、この約束を信じないからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大川教祖夫人の演説は、セリフやパフォーマンスを丸暗記した大根役者の演技を見るようだが、ドラッガーが指摘していたファシストの特徴が現れていて、一見の価値がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;object width=&quot;560&quot; height=&quot;340&quot;&gt;&lt;param name=&quot;movie&quot; value=&quot;http://www.youtube.com/v/moYX8d3L04g&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;&quot;&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name=&quot;allowFullScreen&quot; value=&quot;true&quot;&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name=&quot;allowscriptaccess&quot; value=&quot;always&quot;&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src=&quot;http://www.youtube.com/v/moYX8d3L04g&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;&quot; type=&quot;application/x-shockwave-flash&quot; allowscriptaccess=&quot;always&quot; allowfullscreen=&quot;true&quot; width=&quot;560&quot; height=&quot;340&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もともと、大川隆法教祖のご託宣がすべての宗教で、体系だった教義も持たないインチキ宗教団体が政治運動を始めただけと片づけることもできるかも知れないが、問題なのは、この宗教団体に自民党の政治家が票欲しさにすり寄っていることだ。&lt;br /&gt;千葉県知事になった森田健作、先の参議院選挙でかろうじて当選ラインに滑り込んだ丸川珠代は、&lt;a href=&quot;http://facta.co.jp/article/200809031.html&quot;&gt;幸福の科学の支援を受けていたと見られている。&lt;/a&gt;衆議院選挙が目前に迫り、苦戦を強いられている自民党の現職議員たちは、なりふりかまわず大川隆法詣でをしているといわれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;森田健作、丸川珠代を当選させた？幸福の科学&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自民党は公明党と与党政権を構成しているわけで、幸福の科学との関係を表沙汰にするわけにはいかない。しかし、自民党内のタカ派議員は、公明党のハト派的傾向や選挙地盤や手足を牛耳られていることにかねてから批判的で、大川隆法は、そうした党内の空気を読み切ってあえてタカ派的言動を表に出しているとも考えられる。幸福の科学は安倍晋三内閣の時代から自民党に接近したといわれているが、その背景には自民党内タカ派を取り込んだ上で次ぎを狙うという大川隆法なりの政権奪取構想が始動していると推察できる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神権政治の実現のためであれば、矛盾を厭わず相手の主張をそのまま取り込んでケロリとしている・・・ひょっとすると幸福の科学の大川隆法は自民党のお坊ちゃん政治家よりよほどしたたかな政治家なのかも知れない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関連記事：&lt;a href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-1274.html&quot;&gt;森田健作の知事選勝利の影で、忍び寄るファシズムの足音&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>移民問題</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-06-18T01:49:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-7c1e.html">
<title>日本をノマド（遊牧民）化せよ！</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/06/post-7c1e.html</link>
<description>アゴラで池田信夫氏が、「ノマドの反乱」というコラムを書いている。その中で「日本人...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=202,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/06/07/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;168&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/06/07/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; アゴラで池田信夫氏が、「&lt;a href=&quot;http://agora-web.jp/archives/625053.html&quot;&gt;ノマドの反乱&lt;/a&gt;」というコラムを書いている。その中で「日本人が極端にリスクを嫌うのは農耕民族だからだという説明がされるが、これは歴史的におかしい」と述べているが、まったく同感である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;池田氏は、網野善彦氏の知見を引きながら、土地に縛られた農民だけを社会の中心に据えて歴史を考えることは、天皇制を支えた律令制度が生み出した農本主義的歴史観に過ぎず、「日本人＝農耕民族」という歴史観自体が、共同体間の交易や「まれびと」とよばれるノマド（移動民）が経済、文化活動において大きな役割を果たしていた事実を隠蔽することによって成立していると指摘している。&lt;br /&gt;同じように、現代の終身雇用制に裏打ちされた正社員中心の農本主義的な社会システムも１９６０年代以降の高度成長経済の下でたまたま成立した擬制に過ぎない。今般の不況下において、経団連、そしてそれと対峙する大企業の労働組合も、口を揃えて「終身雇用の堅持」を叫んでいるが、それは相変わらす正社員のみを前提において論じられていることであり、その意味では、天皇制のもとで「まれびと」たちの歴史を排除したのと寸分違わぬ構造のもとで、過去の農本主義をリフレインしているだけではないのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;根強く残る大企業中心の産業・企業史観&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本の法人の９９％、従業員数でも９割以上を占める中小企業やベンチャー企業においては、会社の存続さえ怪しい状況なのだから、終身雇用、正社員などという言葉自体が、日本の大多数の就労者にとっては既に意味のない絵空事になっている。にもかかわらず、大新聞やテレビマスコミでは、終身雇用、正社員の崩壊が、あたかも日本社会の大転換のようにして取り上げられるのは、メディアの側にも、大企業中心の産業・企業史観が抜きがたく存在しているからではないか。もっといえば、大新聞の記者たち自身が、終身雇用制のもとで庇護されているから、農本主義的な社会システムの崩壊があたかも大転換のように映っているだけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人々が川の流れのように世界中を流動していく・・・そうした流動性のイメージを前提にしか、２１世紀の社会のありようや企業経営というものを想定することは不可能になりつつある。既にわれわれは、ノマド化した世界のただ中に存在しているのであり、いまだに「正史」を担っていると思いこんでいる日本の大企業のサラリーマンやメディアが描いている現実の姿は、どこかお伽噺じみていて、明らかに未来への射程を失っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「農耕民族だから」という言葉に閉じこもる愚かさ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;華僑やユダヤ人のように、国を持たず世界中にちらばり、人的なネットワークだけを頼りに生き延びていく人々に比べれば、確かに日本人は幾分おっとりしているかも知れないが、日本人＝農耕民族として思考停止状態に陥るのは、自分たちの勉強、努力不足を「日本人」という言葉を隠れ蓑にしているだけだ。世界はフラット化し、現代人は否応なくノマド化することが求められている。そうした世界の現実に目を向けない、あるいは、「日本人は農耕民族だから」「島国だから」というような言葉の内側に閉じこもってしまうことは、この国の閉塞感をますます強めることにしかならないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;object width=&quot;560&quot; height=&quot;340&quot;&gt;&lt;param name=&quot;movie&quot; value=&quot;http://www.youtube.com/v/kjQBEtYFZLc&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;&quot;&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name=&quot;allowFullScreen&quot; value=&quot;true&quot;&gt;&lt;/param&gt;&lt;param name=&quot;allowscriptaccess&quot; value=&quot;always&quot;&gt;&lt;/param&gt;&lt;embed src=&quot;http://www.youtube.com/v/kjQBEtYFZLc&amp;hl=ja&amp;fs=1&amp;&quot; type=&quot;application/x-shockwave-flash&quot; allowscriptaccess=&quot;always&quot; allowfullscreen=&quot;true&quot; width=&quot;560&quot; height=&quot;340&quot;&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、このノマドをめぐって、注目すべき議論を展開しているのが、フランスの思想家ジャック・アタリ（写真）である。アタリはミッテラン政権の特別補佐官を務め、東西冷戦崩壊後に設立されたヨーロッパ復興開発銀行の初代総裁を務めた。２００６年に出版された「&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861821959?ie=UTF8&amp;amp;tag=katolesweb-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=4861821959&quot;&gt;21世紀の歴史――未来の人類から見た世界&lt;/a&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=katolesweb-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4861821959&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt; 」という著書がベストセラーになり、サルコジ大統領のもとで「アタリ委員会」が組織され、政権に対して政策アドバイザーにもなっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ジャック・アタリのノマド論&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=203,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/06/07/21.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;21&quot; height=&quot;295&quot; alt=&quot;21&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/06/07/21.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 「２１世紀の歴史」という本については、別の機会に論じたいが、この本の中で、アタリは、１万年ほど前にメソポタミアで＜定住民＞となった人類が、２１世紀において再びノマド（遊牧民）化すると述べている。&lt;br /&gt;アタリは、現代のノマドの分類を行っていて、２１世紀のノマドは、エリートビジネスマン、芸術家、学者、スポーツマンなどの＜超ノマド＞、食糧や水を求めて生き延びるための移動を強いられる＜下層ノマド＞、定住民でありながら超ノマドにあこがれ、下層ノマドになることを恐れてヴァーチャルな世界に浸る＜ヴァーチャル・ノマド＞の三種類に大別されるとしている。&lt;br /&gt;２１世紀のノマドたちは、草原を求めて彷徨したかつての遊牧民のように、富とチャンス、水と食糧を求めて国境を越えて移動する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうしたアタリのノマド論の前提となっているのが、国家という存在が世界史の表舞台から退場しつつあるという認識だ。ヒト、モノ、カネのそれぞれが、国家の枠組みを超えて地球規模で流動化している。今般の世界的な金融危機の発生も早い段階から予測しており、アタリに言わせれば、国家は既に地球規模で動くマネーの膨大なパワーを制御できなくなっており、金融危機は起こるべくして起きたということになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国家の影響力が減退する中にあって、浮かび上がってくるのは、「中心都市」という概念である。世界的なイノベーションの拠点となるような都市には、国境を越えてヒト、モノ、カネが流入し、中心都市となっていく。１９８０年代に東京が中心都市となるチャンスがあったが、構造問題を解決する能力がなく、労働市場の流動化を図ることもできず、世界中から才能を引き寄せることもできなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;２０２５年、衰退に向かう日本の未来シナリオ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２０２５年、ノマド化した世界の中で、日本の占めるポジションについてアタリの予測はかなり手厳しいものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #000099;&quot;&gt;「日本は世界でも有数の経済力を維持しつづけるが、人口の高齢化に歯止めがかからず、国の相対的価値は低下し続ける。１０００万人以上の移民を受け入れるか、出生率を上昇させなければ、既に減少しつつある人口はさらに減少し続ける。日本がロボットやナノテクノロジーをはじめとする将来的なテクノロジーに関して抜きんでているとしても、個人の自由を日本の主要な価値観にすることはできないであろう。また日本を取り巻く状況は、ますます複雑化する。例えば北朝鮮の軍事問題、韓国製品の台頭、中国の直接投資の拡大などである。&lt;br /&gt;こうした状況に対し、日本はさらに自衛的・保護主義的路線をとり、核兵器も含めた軍備を増強させながら、必ず軍事的な解決手段に頼るようになる。こうした戦略は、経済的な多大なコストがかかる。２０２５年、日本の経済力は世界第５位ですらないかもしれない」（ジャック・アタリ「２１世紀の歴史」より）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「軍事的な解決手段に頼るようになる」というアタリの予測は、大方の日本人にとっては、意外に感じられるかもしれないが、現在の日本は、二二六事件を機に農本主義を背景とした天皇至上主義が跋扈し、それを利用して軍部が台頭した時代の前夜にも似た閉塞感に覆われている。&lt;br /&gt;そして、この国が、現在のように内向き志向であり続ける限り、アタリの未来シナリオは、かなりの高率で現実化するのではないかと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、望みはある。今般の世界不況は、日本企業にとって存亡の危機であるのと同時に、内向きな体質から覚醒するチャンスを与えている。新興国市場で第二創業を果たすような強靱な体質をもった企業も着実に生まれている。&lt;br /&gt;２１世紀の企業は、世界規模のテクノロジー開発競争に勝ち抜き、新興国の市場で成長の足場を築いていかねばならない。そのためには、世界に向かって自らを開き、世界中から優秀な人材を集め、国境を越えてノマド化していかざるを得ないだろう。日本企業というアイデンティティを超越すること、捨てることさえ決断することも迫られるかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;思い起こしてみれば、私たちの祖先は、もともと農耕民族でも天皇の臣民でもなかった。かつては大陸と陸続きであったこの土地にシベリア・北東アジアや東南アジアから流れ込んできた狩猟民が寄せ集まって、ひとつのまとまりになっていった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちはもともとはノマドだったのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>移民問題</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-06-07T21:29:18+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-5479.html">
<title>新型インフルと北朝鮮ミサイルに見る、水際症候群という日本の病</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-5479.html</link>
<description>新型インフルエンザ騒ぎで、そこかしこにマスク姿の人々を目にするようになった。 ニ...</description>
<content:encoded>&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=199,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/05/28/photo_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_2&quot; height=&quot;301&quot; alt=&quot;Photo_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/05/28/photo_2.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 新型インフルエンザ騒ぎで、そこかしこにマスク姿の人々を目にするようになった。&lt;br /&gt;ニュースなどで大阪の通勤風景が報じられていて、電車待ちをしているプラットフォーム上のほとんど全ての人々がマスクをつけている様は、異様な感じがする。&lt;br /&gt;高城剛が、ロンドンのヒースロー空港でも日本人だけがマスクをしていて、これは日本人の集団ヒステリー現象に他ならないと自分のブログに書いているが、そのブログ記事がＫＹ（空気読めない）発言だと反発を買っているようだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;ＭＳ 明朝&quot;&gt;日本の状況について高みの見物よろしくＫＹ（空気読めない）な事を言っていると、連れ合いの川尻えりかの芸能活動に影響するぞと脅しまがいのことを書いている&lt;/span&gt;&lt;a href=&quot;http://npn.co.jp/article/detail/04991986/&quot;&gt;&lt;span face=&quot;ＭＳ 明朝&quot;&gt;ゴロツキのようなマスコミ&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span face=&quot;ＭＳ 明朝&quot;&gt;もある。高城のように「外国に比べて・・・・」という言い方で外からの視点を殊更に強調するのもいささか危うさを感じるが、この国の人々が、外からの侵入者というイメージに過剰反応してしまうことは残念ながら事実のようだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;strong&gt;「外からの侵入者」というイメージに過剰反応する日本&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;strong&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;同じ状況がつい最近もあった。北朝鮮が衛星打ち上げと称してミサイルの発射実験をおこなった時だ。政府、マスコミが大騒ぎして、明日にもミサイルが日本のどこかに落とされるかのようなイメージがふりまかれ、迎撃ミサイル「パトリオット」が配備される状況が連日報道された。準備万端だということを示すというならまだしも、北朝鮮がミサイルを撃つ瞬間を今か今かと煽り立てた挙げ句にヒステリー状態に陥って、２度にわたり発射情報を誤認するという前代未聞の失態を招いてしまった。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;北朝鮮のミサイル、新型インフルエンザの上陸の問題に共通しているのは、外から進入してくる外敵あるいは異物を「水際」で撃退できるという幻想が、この国の人々の心の底流に蔓延していることだ。&lt;br /&gt;厚生労働大臣の舛添要一も明らかにミスリードした。今回のインフルエンザ騒ぎで担当大臣としてのリーダーシップを見せつけたいと思ったのだろう、記者会見では、自らが説明役をかってでるなどやたら張り切っていたが、そこで強調されていたのは「この日本にウィルス一匹入れないぞ」とばかりに水際対策を徹底するということだけだった。しかし、潜伏期間のあるインフルエンザのような伝染病の場合、水際対策といっても効果には限界があり、国内感染に移行することが不可避であることは専門家の間では常識であったはずである。だとすれば、国内に患者がいずれ確実に発生するということ、水際対策には限界があることこそ先ず国民に対して言明すべきメッセージだった。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;strong&gt;北朝鮮のミサイル発射に対するヒステリー反応&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;strong&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;北朝鮮のミサイルの問題もインフルエンザ騒ぎで見られたのと全く同じ精神構造のもとで政治家、自治体、メディアが大騒ぎして、発射情報を誤認するという大失態を演じ、自衛隊が、いくら最新鋭の装備を持っていても情報伝達もまともにできない、まるで軍隊の体をなしていない脆弱な組織であることがあからさまになってしまった。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;　　&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;湾岸戦争の時にイラクのフセインが、北朝鮮から購入したポンコツのノドンミサイルをイスラエルに打ち込んだことがあった。当時、イスラエルには、米国から供与された最新鋭のパトリオットミサイルが配備されていたが、飛来してきたミサイルを防ぎきれずにイスラエルの国土にかなりの数が着弾して数多くの死者が出た。事ほど左様に、北朝鮮から飛来してくるミサイルについても悉く迎撃することなど不可能であることは明らかなのに、この国では、政治家もメディアも水際でこのニッポンを守るという姿勢をパフォーマンスして見せることに躍起になっている。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;もし、北朝鮮がミサイルを撃ったら、その何発かは間違いなく着弾して、人も死ぬことになるということこそ言明すべき現実なのに、政治家もメディアも「水際」という幻想の防衛ラインを設定し、そこを守ることしか眼中に無いように見える。要するに、この国では、「水際」に関わることは、どうしたものか全てが儀式化されてしまい、ことごとく現実感を失ってしまうのだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;　　&lt;br /&gt;日本人の多くは誤解しているが、米国から購入しているパトリオットという迎撃ミサイルは、そもそも飛んでくるミサイルを盾やバリアのように防ぐことを目的に開発されたものではない。敵国の戦略核ミサイルの第一撃から自国の反撃能力が壊滅することを防ぐのがこの武器にそもそも期待されている使命なのであって、一定の確率で相手のミサイルを打ち落とせればそれで十分なのだ。その迎撃率は軍事機密として公表されていないが、仮に半分しか迎撃できなくても戦略的には意味を持ちうる。すなわち、パトリオットの存在によって相手の反撃能力が温存されると敵国が考えることで抑止力が発生するからだ。一方、反撃能力を持たない日本の場合は、パトリオットという武器は穴だらけの盾でしかない。いったん戦争が起きても水際で迎撃して無傷でいるなどというのは、全くの幻想でしかないのだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;　　　　　&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;strong&gt;パトリオットミサイルは穴だらけの盾&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;　　　　　&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;一昨日の北朝鮮の再度の核実験を機に「だから敵国の基地に対する反撃能力を持つべきである」という一部の愚かな自民党議員から声が上がっているが、これも形を変えた「水際論」でしかない。北朝鮮が核を持ったということが、何を意味しているのか、政治家もメディアもきちんとした説明を怠っている。ミサイルを撃ち合えば、相手を打ち負かすことができると考えるなど子供じみた戯言にすぎない。北朝鮮の軍隊や装備がいかに時代遅れで張り子の虎のようなものであったとしても、日本に向けて核ミサイルを数発撃ち込みさえすればいい、それでゲームオーバーだ。戦略核を保有することは、そういうことだということを肝に銘じておく必要がある。&lt;br /&gt;パトリオットとは、戦略核を持った者同士が、反撃能力を温存できるかどうかを左右する武器なのであって、非核３原則の下で核による反撃能力を持たない日本にとっては、パトリオットとは、繰り返すが穴だらけの盾でしかない。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;　　　　&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;話をもう一度、インフルエンザの問題に戻そう。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;&gt;薬局で売っている９９．９％ウィルス・花粉をカットと表示されてバカ売れしているユニチャームのマスクをしたら、ウィルスが防げるというのも幻想である。医療用の防護マスクと違って、マスクと顔の間の透き間から空気が入るから、基本的に空気感染するようなウィルスは防げない。市販のマスクでは、自分の飛沫を外に飛ばさないという効果はあるとしても、外から入ってくるウィルスに対しては無力でせいぜい飛沫感染ぐらいしか防げない。市販のマスクは、パトリオットミサイルと同じでインフルエンザウィルスに対しては穴の空いた盾でしかないのだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;今回の新型インフルエンザは弱毒性で季節性インフルエンザと同程度の致死率であることが確認されているが、国の対策は、こうした事実認識に立ったものとはとても思えない。過去にもインフルエンザは何度も流行したことはあったが、市中からマスクが売り切れて消え失せるほど、社会全体が神経質に反応したことがあっただろうか。今の日本は、明らかにヒステリー状態にある。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;こうした状態に陥った原因は明らかである。危機を演出してリーダーシップを印象づけたいと目論んだ舛添のような売名政治家と、それに同調して視聴率を稼ごうと動いたマスコミが、この国の人々の「水際症候群」にスイッチを入れてしまったからだ。インフルエンザの流行によってこの国は病気なのではない、水際で異物を排除さえすれば、自分だけは無傷でいられるという、独りよがりで根拠なき幻想によって病んでいるのだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&amp;nbsp; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;だとすれば、私たちがしなければならないのは、マスクをすることではなくて、マスクをはずすことである。同じように、攻撃ミサイルや戦略核を持つことではなく、武力による問題解決を断念することである。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;マスクを捨てて、街に出でよ！&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;MARGIN: 0mm 0mm 0pt&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY: &#39;ＭＳ 明朝&#39;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century&quot;&gt;&lt;span face=&quot;Century&quot;&gt;（カトラー）&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>リスク社会</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-05-28T22:18:41+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-2618.html">
<title>民主党の代表レースと日本政治の「道徳」</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-2618.html</link>
<description>小沢一郎が辞任し、民主党の代表レースが始まった。 小沢一郎という人物は、今の日本...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=256,height=169,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/05/15/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;198&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/05/15/photo.jpg&quot; width=&quot;300&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 小沢一郎が辞任し、民主党の代表レースが始まった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小沢一郎という人物は、今の日本の中では、権力というものの本質を知っている稀有な政治家だと考えている。権力とは何か、それは、人をひれ伏させる無言の力のことである。&lt;br /&gt;議会制民主主義の世界においては、権力には、常に「根拠」が求められるし、現代のような情報社会においては内閣支持率など、その「根拠」とされるデータがメディアを通じて株価のように日々伝えられてくる。&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そうしたメディアが伝える大衆的な支持や人気投票が、権力の指標であることを否定はしないが、それだけでは権力の本質を説明したことにはならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治的な人間、権力を掌握する権力者に求められる最大の資質とは、暗さだと思う。&lt;br /&gt;「政治とは、最高の道徳（善）である」というアリストテレス言葉があるが、これには２つの意味が隠されている。第一義的には政治は理想を持っていなければならない。しかし、理想と現実は常に乖離するから、現実は常に理想を挫く形で立ちはだかる。そこで、この言葉のもうひとつの意味とは、そうした苛酷な現実と格闘する人間の行動が政治であり、その行動の軌跡にこそ最高の「道徳」が立ち現れてくるということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;同じように「目的のためには手段を選ばない」という「君主論」の中でのマキャベリの有名な言葉は、「手段を選ばない」という部分ばかりが強調されて否定イメージとともに理解されているが、マキャベリが言いたかったことはむしろ逆である。政治的な理想を実現するためには、あらゆる可能性を排除せずに行動するのが、名君主（政治家）だといっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;目的と手段が乖離する地点で行動するのが、政治家の本質であるとすれば、政治家の行動は、倫理的であることとしばしば矛盾をきたす。革命のために爆弾テロを行うことが許されるのかとテロリストが自問するように、政治家も自分の行為の罪深さを常に自覚しながら政治的理想を実現するために行動する宿命にある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治的理想のためには、全てを犠牲にすることを厭わない、その覚悟が政治家に暗さを与える。現代の政治家は、有権者への説明責任が常に問われるが、真の行動者は、自分の行為を説明しながら、行動することはできない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;立花隆の田中角栄、小沢一郎の見方が駄目な理由&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;立花隆の田中角栄や小沢一郎に対する見方が、全然駄目だと思うのは、こうした政治家の本質、「暗さ」を理解できていないからだ。政治よりも倫理を先行させて、聖人君子の高みから政治家の行動を斬り捨てることは至極簡単なことである。しかし、人間は聖人君子でないからこそ政治というものが必要になるのであり、矛盾する利害、殺し合いや憎み合いの中でかろうじて見えてくる曙光、隘路にこそ、かろうじて人間の「道徳」が生まれてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小沢一郎が党首となるまで、民主党は、こうした意味での「道徳」を体現する政治家集団とはとてもいえなかった。政策論議や理想論を語ることにはそこそこ長けているが、単にそれだけで、理想を実現する構想力や突破力は皆無といっても良かっただろう。政治活動ではなく、「サークル活動」と揶揄されたように、民主党のリーダーは、管、鳩山、岡田、前原と持ち回りで部長を担当するサークルのように目まぐるしく脈絡もなく入れ替わった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小沢一郎が民主党のサークルリーダーたちに示したのは、政権交代が民主党のミッションであり、そのためには、参議院選挙、衆議院選挙と勝利することが政党としての最大の存在意義であるということ、そして、その目的達成のためには何でもやる（手段を選ばない）という政治家としての「道徳」であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その小沢一郎が、党首を辞めた。これも「政権交代」という最高の「道徳」のためにとった行為である。問題は、この後、民主党の他のリーダーたちがどのように動くかだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;strong&gt;いいひと」岡田克也の政治家としての危うさ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一般の有権者の中では岡田克也を待望する声が高い。小沢一郎とは対極のクリーンなイメージがあり、民主党の中堅議員からも高い支持を得ているという。しかし、そこには危うさもつきまとっている。&lt;br /&gt;ここ数日のマスコミの報道によれば、「公平無私で人の話にも良く耳を傾け、真面目な政策通である」というのが、岡田の一般的な評価であるようだ。ようするに「いいひと」なのだ。しかし、「いいひと」が優れた政治家であるとは限らない。いや、むしろその逆で、政界の中にあって倫理的といわれた人物は、これまで往々にして政治家としては無能である場合が多かった。&lt;br /&gt;岡田克也という政治家をここ何日間、見ているのだが、真面目さばかりが表に立っていて、その陰影はどこにあるのか、「暗さ」がどうもよく見えてこない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もっとも、麻生太郎などに比べれば１００倍ましである。麻生太郎が総裁選に名乗りを上げた際には、公明党の浜四津敏子のババアが、「明るいイメージの方なのでよいのでは」と持ち上げていたが、もう、麻生のことを誰も「明るい」などといわなくなった。単に「軽くて馬鹿」なだけということが、世界中に知れ渡ってしまったからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一般有権者の声とは裏腹に、民主党内部では、今のところ鳩山由紀夫を推す勢力の方が強いようだ。小沢の下で幹事長職にあったことから、鳩山党首では小沢一郎の影響力が依然として残り、小沢院政がしかれることになるのではという声も上がっている。しかし、仮に小沢の影響力が隠然と存在しているとしても、岡田は、一国のリーダーに本当に登り詰める覚悟ならば、党内の権力闘争ぐらいは最低限勝ち抜くことができなければ、お話にならない。２年間に及ぶ熾烈な大統領選を勝ち抜いてきたオバマや、命がけの権力闘争の中で生き残ってきたロシア、プーチンなどととても伍していくわけにはいかないだろう。もう一方の鳩山由起夫が党首になって、政権交代が実現できるかどうかは別にしてもだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにしても、１６日には、今後の日本の政治の帰趨を左右する民主党の党首が決定する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-05-15T00:39:04+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-9604.html">
<title>ばらまき補正予算の影で進行する日本農業の緩慢なる死</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-9604.html</link>
<description>８月にも想定されている衆議院総選挙に向けて、地方票の取り込みを狙った農家へのばら...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/05/11/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;160&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/05/11/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt;８月にも想定されている衆議院総選挙に向けて、地方票の取り込みを狙った農家へのばらまき・アナウンス合戦が激しさを増している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそもの発端は、先の参議院総選挙で、民主党の小沢一郎代表が農家に対する「戸別所得補償」という政策をぶち上げ、自民党の牙城ともいえる農村票を鷲掴みにして、参議院総選挙に大勝、参議院における与野党、逆転状況を作りだしたことにあった。&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;政権交代を賭けた次回の衆議院総選挙では、自民党は農村部で絶対に負けるわけにいかない、そこで今回の補正予算案において、農業補助のためのさまざまな予算をばらまくことにしたのだ。民主党の農家に対する「所得補償」というのは、ネーミングが良かったので農家の支持を得たが、実際には転作農作物の販売価格が生産費を下回った場合にその赤字を補填する「生産費保証」に近いものだった。これに対して、現在、補正予算で審議中の農業補助は、総額で１兆３０２億円に上り、米粉用、飼料用米への転作支援、農地の貸し出しに対する助成金などのメニューが並ぶ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;農業向け補正、総額１兆３０２億円の大盤振る舞い&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/05/12/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;291&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/05/12/photo.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 国内自給率の向上に繋がる米粉の増産や農地の集約化を後押しすること自体は間違っていないが、問題は単年度では、たいした金額にならないので、わざわざ基金までつくり、補正予算としては禁じ手ともいえる複数年度にわたる助成金としてをばらまこうとしていることだ。民主党の「所得補償」政策に必要とされるのは約１兆円といわれていたから、明らかにその金額に対抗させるために提出された補正予算案である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;問題は、こうした与野党の農家に対するバラマキ合戦で、この国の農業が再生する道筋が果たして見えるのかということだが、残念ながら、与野党ともに農村票を政権奪取のための手段としてしか考えておらず、誰も本気になって農業の再生などをやろうとしていないことが露呈している。&lt;br /&gt;日本の農業の問題は、せんじつめると農地とその担い手の問題に集約される。日本の農地は、周知の通り、マッカサーの占領時代に農地解放が実行され、零細農家が小規模農地を分散化して保有するという現在の状態が生まれた。国際競争力を持った農業事業者を育成するためには、零細農家の土地を流動化させて集約化できるかどうかが根本的な課題と考えていたが、ゴールデンウィーク中に神門善久氏の「&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4757140991?ie=UTF8&amp;amp;tag=katolesweb-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=4757140991&quot;&gt;日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉)&lt;/a&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=katolesweb-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4757140991&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt; 」（ＮＴＴ出版）を読んで、あらためてこれは一筋縄ではいかない問題だと実感させられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;日本の農政の完全なる失敗をもたらしたもの&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自民党、農林水産省そして農協（ＪＡ）が三位一体となって展開されてきた日本の農政は、戦後６０年を経過して、完全な失敗に終わった。そして、今後も失敗しつづけるだろうということをこの本の著者、神門善久氏は明らかにしている。この本の後書きで自身のことを「トラブルメーカー」と自嘲気味に述べているだけのことはあって業界関係者には耳の痛い苦言が並ぶ、しかし、ここに書かれていることは、どれも紛れもない真実である。&lt;br /&gt;神門氏は、規制緩和や法律改正など制度的な事柄をいくら変えても既に意味が無いと言い切る。これまでの猫の目行政のつけの結果、農業分野には膨大な法律、助成制度、省令、条例などが澱のように沈殿しており、それらは農水省のベテラン官僚でも理解不能な迷宮になっている。法律や行政のガバナンスも届かない機能不全状態に陥っているのである。&lt;br /&gt;一例を上げれば、マスコミなどで農業分野での規制緩和がしばしば問題にされるが、実際は、日本の農地利用は無法状態もいいところで、農地がある日突然、道路や宅地に化けたり、工場団地の用地やショッピングセンターなどの建設用地に転用される。そして、そうした「宝くじ」に当たると、それまでほとんどタダのようなコストで保有していた「農地」から莫大な利益が農家に転げ込むことになるから、農地を簡単に手放したり、人に貸したりしないわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「転用」期待で流動化が進まない日本の農地&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;兼業農家のほとんどが、こうした将来の期待利益「宝くじ」として農地を保有しているために日本ではまじめに農業をやろうという事業者が育ってこない。政治の側でも「農業の近代化、集約による効率化」などの目標を表向き掲げてはいるが、効率化によって農家の数が減り、票田としてのうま味が薄れてしまうことを本音の部分では忌避していた面がある。土地成金になることを夢みているような、日本の農家の頽廃、そしてそれを是認し利用してきた、農協（ＪＡ）、農林水産省、そして政治家のもたれ合い「共犯関係」が日本の農業を駄目にしてきた。中には、こうした共犯関係に加担することを嫌って、独自の路線を選択した農業事業者も存在したが、その多くは村八分扱いをされて潰された。この本が静かに告発しているのは、そうしたこの国の農業のどうしようもない現実だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;マスコミで垂れ流されているようなありきたりの農業改革論、すなわち「日本の農家は真面目にやってきたが、農政が駄目だからこんな体たらくになった」というような、農家を弱者として安全地帯に置いていないところが、この本の真骨頂である。日本の農業を駄目にしているのは、農家自身も含めた、行政、農協、政治家たちの農地利権を軸にしたもたれ合い、馴れ合いの構造にあるというのが、この本が示している苛酷な現実認識である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ、それが「苛酷な現実認識」か、といえば、この認識に基づけば、日本の農業は既に当事者たちに問題解決能力が失われていることを意味するからだ。だからこそ、これまで農業問題の現実には蓋がされてきて、国民的な議論の俎上に上げられることもなかった。気がついて見ると食料自給率は４０％まで落ち込み、農業就業者の６割が６５歳以上という崖っぷちに立たされており、あと５年もすれば、日本の農業は間違いなく崩壊する。要するに、日本の農業を乗せた木の葉は、今や滝壺に落ちる寸前の所にあり、しかもその木の葉に乗っている農業関係者、政治家は、この期に及んでもその現実を見て見ぬふりをしているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;農業を開国し外国人労働力を受け入れるしかない&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;農業当事者たちに自らを改革する力がないとすれば、どうすればよいのか。この問に対して、神門氏は、農業の開国を提言する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「まず提唱したいのは、日本農業への外国資本・外国労働者の導入である。残念だが、この視点は、これまでの農業論議で抜け落ちてきた。昨今の規制緩和論でも、企業、ＮＧＯ、脱サラの農業参入がさかんに賞賛されるが、不思議なほどに外国からの参入は考慮の外に置かれている」（「日本の食と農」より）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;農業開国論を主張する神門氏は、それだけ日本の農業が置かれている現実に対する絶望が深いということだ。日本の農業事業者が自ら変革する力を喪失しているのであれば、外の血を輸血するしか救命の方法はない。このブログでも農業の開国について取り上げたことがあるが、既に中国人農業研修生を日本の農村では受け入れが始まっており、その数は全国で２万人にも及ぶともいわれている。中国人労働者に頼らなければ、主食の米さえもまともに作れなくなるというのがこの国の農業の差し迫った現実だとすれば、「研修生」などという姑息な手段を使わずに、移民として受け入れ、腰をすえて日本の農業現場を担ってもらうのが長期的な食料安保上も望ましい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;農業の現場労働に耐えられない日本の若者&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;派遣切りが社会問題化し、職を失った彼らを農村に送り込んだらどうだという「徴農」発想でものを言う連中がいるが、現実がわかっていない。確かに、最近の不況で派遣切りにあって農業現場に飛び込んだ若者はいるが、そのほとんどが定着しないという。肉体労働のきつさと、農繁期には休みもとれないという労働サイクルに耐えられず、やめていってしまう。残念ながら、日本の若者に対して、農民として生きていく覚悟を要求すること自体に無理がある。米国でも、農業に従事しているのは、新参者の移民といわれるヒスパニック系の人々が半数を占めている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「外国資本・外国労働者の導入は、とりわけ低所得国からの外国人労働力の受け入れは、さまざまな効果を持つ。・・・・・最初は雇われ労働者として就農するだろうが、やがて独立して農業経営を始める外国人も出てくるだろう。・・・そういう予想外の考え方との遭遇が、自分たちの欠陥を気づかせてくれるし、新たな工夫や技術を産む」（「日本の食と農」より）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;農業に対して真摯な外国人農業事業者を受け入れることは、農家、農協（ＪＡ）、農水省、政治家によって形成されている馴れ合いの構造を打ち破る起爆剤になりうるのではという神門氏の指摘については全面的に同意する。やる気のある外国人に席を譲るほうが、この国の農業の将来にとって余程健全といえるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;農業の再生ヴィジョンを持っていない政治&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、もう一度、政治の世界に話を戻そう。自民党という政党は、歴史的に農村に軸足を持った政党であり、高度経済成長期には、都市と農村の経済格差を調整する利益再配分の調整弁となることで権力を掌握し続けた。農村は、都市に企業戦士を送り出し、見返りにこの国の外需産業が稼いだ富を補助金、公共事業という形で還流させてきた。自民党の地方選出議員は都市から農村への富の還流構造を支え、地元への利益誘導をはかることで、安定した票田を確保することができた。しかし、そのシステムは、明らかに破綻している。もはや国も地方自治体も公共事業で無駄なハコモノ、道路を建設できるような余力がなくなってしまったし、農村はもう老人ばかりで限界集落や耕作放棄地が急増し、数多くの村が存亡の危機に直面している。公共事業でカネが回せないなら、直接、農家にカネを落として票を確保しようというのが、農業分野でばらまきが行われていることの本質である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;愚かしいことは、様々な名目で農業にカネがばらまかれているが、誰ひとりとして、まともな日本の農業の再生ヴィジョン、プランを持ち合わせていないことだ。当事者の農家にしても、後継ぎを都会に送り出し、自分の代で農業は終わりと思っているわけだから、今更、何か事を起こそうとは考えないだろう。もちろん、一部には現状を憂いて先進的な改革志向の農業に取り組んでいる農家の方々もいる。しかし、そうした農家は、全体からすればほんの一握りでしかなく、大多数はこのまま朽ち果てていくだけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;政治が農業に対して無策なのは、ひょっとすると、こうした現状を全て承知した上で、確信犯的にあえて何もしないということにしているのではないかと勘ぐりたくなる。実際、日本農業の再生は、既に時間切れになっていると指摘する人もいる。というのも、農業という仕事は、標準化された工場労働とは異なり、経験とスキルが不可欠であり、農民として一人前になるには、どうしたって４～５年はかかってしまうからだ。現在の農家の方々が、超高齢化によって、あと５～１０年しか農作業に従事できないことを考えれば、既に手遅れといっても良く、このままでは担い手問題から日本の農業は破綻する可能性が大きい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうしてみると、補正予算の農業へのばらまきは、緩慢な死に向かいつつある日本農業に対する最期のカンフル剤、消え入る花火の最期の輝きにも見えてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>地域再生・地域通貨</dc:subject>
<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>
<dc:subject>東アジア</dc:subject>
<dc:subject>環境</dc:subject>
<dc:subject>移民問題</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>
<dc:subject>農業</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-05-12T00:59:55+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-d269.html">
<title>ヒスパニックの病としての新型インフルエンザと米国の危機</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/05/post-d269.html</link>
<description>新型インフルエンザ（Ｈ１Ｎ１Flu）、通称「豚インフルエンザ」の感染拡大が止まら...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/05/04/b00528_h1n1_flu_blue_med_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;B00528_h1n1_flu_blue_med_2&quot; height=&quot;177&quot; alt=&quot;B00528_h1n1_flu_blue_med_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/05/04/b00528_h1n1_flu_blue_med_2.jpg&quot; width=&quot;150&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 新型インフルエンザ（Ｈ１Ｎ１Flu）、通称「豚インフルエンザ」の感染拡大が止まらない。&lt;br /&gt;ここにきて、発生源と見られているメキシコの保健衛生上の対応に疑問の声が上がっている。これまでも他国に比べて死者の数が飛び抜けて多いことが疑問視されていたのだが、突然、メキシコの保健相が、新型インフルエンザで死亡したことが確実な死者の数を大幅に引き下げる発表を行ったのだ。日本でも感染が疑われる旅行者が入管の簡易チェックに引っかかり大騒ぎになったが、結局、新型ではないと判定された。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そもそも新型インフルエンザ（Ｈ１Ｎ１Flu）によるものかどうか確認するには、遺伝子レベルの照合を行う必要があり、日本でも国立感染症研究所に検体を持ち込まなければ判断がつかないようなものをメキシコではどのように判定していたのか Ｈ１Ｎ１型による死者の認定数を引き下げたことは、危機の度合いが小さくなったことを意味しない、むしろその逆である。メキシコ国内では、保健衛生の知見や現状掌握が十分ではなく、既に感染がコントロールできない状態にあることが露呈してしまった。米国のＣＤＣ（疾病予防センター）も米国内でも感染が広がっており、すでに防止することが難しい段階に入ったと述べている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;既にコントロールできない段階に入った感染爆発&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/05/04/photo_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_2&quot; height=&quot;228&quot; alt=&quot;Photo_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/05/04/photo_2.jpg&quot; width=&quot;350&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 米国ＣＤＣが、こうした見方を示すのには、もうひとつ大きな背景がある。それは、メキシコを感染源とする今回のインフルエンザが、「ヒスパニックの病」という側面を持っており、有効な水際対策が困難だからだ。&lt;br /&gt;日本では、メキシコで新インフルエンザが発生したことを受けて、成田空港での検疫が強化されているが、メキシコと国境線を接する米国ではこうした水際チェックはもともと不可能である。&lt;br /&gt;米国内には、現在、約１１９０万人もの不法移民が居住しているが、その内の８割がヒスパニックであり、メキシコ人は不法移民全体の６割、約７００万人を占めている。&lt;br /&gt;これは米国に在住するメキシコ人移民（１２００万人）全体の６割に達している。つまり、米国に在住しているメキシコ人の半数以上は不法移民というのが米国の現実であり、そもそも米国は不法移民と同様にメキシコからの感染者をコントロールできない状況にある。つまり、メキシコの病は、ヒスパニック移民を介して不可避的に米国の病になるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;メキシコの不法移民の流れと一致する感染発生数&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このことは、&lt;a href=&quot;http://pewhispanic.org/files/reports/107.pdf&quot;&gt;州別の不法移民の分布図&lt;/a&gt;と&lt;a href=&quot;http://www.cdc.gov/h1n1flu/&quot;&gt;新インフルエンザの発生数&lt;/a&gt;（５月３日時点）を重ね合わせてみると一目瞭然となる（上図）。不法移民の多いカリフォルニア、テキサス、ニューヨークの各州で新型インフルエンザも突出して発生していることがわかる。つまり、米国では、不法移民の流れと一致する形で新型インフルエンザが拡大しているのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、米国においてヒスパニックの存在感が増していることは、日本では、あまり知られていない。ヒスパニックとは、特定のエスニックを指すのではなく、メキシコ人などを中心とした中南米のスペイン語圏に属する人々のことを意味しているが、現在では、米国の全人口の約１４．８％、４４００万人を占め、黒人を抜いて、米国で最大のエスニックグループに成長している。政治的にも大きな影響力を発揮しており、民主党の大統領候補指名争いでヒラリー・クリントンの最も強力な支持基盤となった。&lt;br /&gt;米国の人口動態にもヒスパニックが大きな影響を与えている。米国は先進諸国の中で唯一今後も人口増加が見込まれているが、それはヒスパニック層の人口が急増していることが要因だ。米国全体の人口の増加率は１％程度だが、ヒスパニックは、その３倍の３％を越える勢いで人口が増えている。米国では、両親が不法移民であっても、その子供が米国内で生まれれば、子供には市民権が与えられる。こうした事情もヒスパニックの高い出生率の要因になっていると考えられる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ヒスパニック不法移民の低賃金に支えられる米国経済&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/05/04/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;279&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/05/04/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; それにしても、不法移民がヒスパニック系移民の半数以上を占めているというのは、何を物語っているのだろうか。それは、米国で彼らがどのような産業に従事しているかを見れば判明する。&lt;br /&gt;ヒスパニック系の人々が従事している代表的な仕事は、農業と食肉産業であり、両産業におけるヒスパニックの就業比率は実に４割を超える。米国の農業というと大規模化、機械化が進み、省力化されているというイメージが先行しているが、実際は果物や野菜の収穫などは、人手に頼らなければならず、農作業や食肉の解体、加工といった、白人や黒人でさえも嫌がる底辺部分の仕事をヒスパニック系の人々が担っているのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あらためていうまでもないが、こうした仕事に従事するヒスパニック移民の半数以上は、不法移民である。米国の農産品、食肉は世界的に競争力を持った戦略商品だが、その低価格はヒスパニック層、特に不法移民層の低賃金労働によって支えられている。米国の農業、食肉産業は、ヒスパニックの不法移民の貧困を収奪することによって支えられているのが実態といえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;新型インフルエンザ、サブプライムの影にヒスパニック移民&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ヒスパニックのことを考える上でもうひとつ忘れてはならないことがある。それは、今回の世界不況の発端を作ったサブプライムローンの問題である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;サブプライムローンは通常、「信用度の低い低所得者向けローン」と訳され、それが不良債権化したことが全世界を揺るがせている金融恐慌の発生源となったとされている。ここでいわれている「信用度の低い低所得者」というのは、実体的にはヒスパニック移民のことを指す。中南米から移民してきたヒスパニックの人々が米国に生活基盤を持ったことで、クレジットカードなども持てず信用履歴も無かったにも関わらず、住宅価格が値上がりしていたということを背景に住宅ローン（サブプライムローン）を半ば無理矢理、組まさせられたということが、世界的な金融破綻の発端となった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このように、米国におけるヒスパニック層とは、アメリカンドリームを求めて中南米から国境を越えて民族大移動のように流れ込んで来た人々であり、米国の経済、産業は、彼らを低賃金労働層として収奪することで成長を遂げてきた。ヒスパニックの人々は、命がけで国境を越えて米国内に入り込み、米国人の嫌がる仕事に就き、子供を沢山生んで、ウォールマートで旺盛に消費を行って米国のＧＤＰを押し上げてきたのだ。米国はヒスパニックというスペイン語を話す貧しい人々による「新興国」を新たに抱え込むことで経済成長を維持してきたという言い方もできるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;米国の病としての新型インフルエンザ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このように見てくると、メキシコ発の新型インフルエンザとは、実は、サブプライムローンの破綻と同様に、ヒスパニック移民が媒介し色濃く影を落としていることがわかる。二つの問題は、いずれも米国経済がヒスパニック移民を収奪することで成長してきたという共通する構図のもとで発生している危機だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すなわち、現在進行している豚インフルエンザとは、単にメキシコ発の保健衛生上の問題なのではなく、ヒスパニックの貧困を糧としなければ成長できなくなってしまった米国経済の構造問題に深く根ざした「米国の病」なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近の報道によれば、幸いなことに新型インフルエンザは、弱毒性のタイプで、致死率はそれほど高くないと言われている。しかし、感染爆発（パンデミック）が生じれば、その過程において更に毒性の強いウィルスに変異する可能性もあると指摘されている。残念ながら、米国での感染爆発は既に時間の問題であり、米国で更に感染が広がれば、日本への上陸も避けられない。世界は、今後、長きにわたりパンデミックの恐怖と向き合わなければならないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前、このブログで「&lt;a href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2008/01/post_ce78.html&quot;&gt;隠喩としてのパンデミックフルー&lt;/a&gt;」という記事をエントリーしたが、その中でペストや癌といった死病が常に時代の「隠喩」として機能してきたように、新型インフルエンザも何かしら時代を表徴する新たな隠喩を担っていく可能性があると述べた。このことに関連して想起されるのが、一昨年に日本でも公開されたメキシコ出身のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「&lt;a href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2007/05/post_a305.html&quot;&gt;バベル&lt;/a&gt;」（2007年）という作品である。タイトルの「バベル」は、天に達するほど高い塔を建てようとしたことを神が怒り、それまで一つであった人間の言葉を混乱させて互いに通じないようにしたという旧約聖書に登場する「バベルの塔」の物語に由来する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;奇しくもこの作品はメキシコ人の監督が制作し、世界が互いに影響を及ぼし合う繋がりの中にあり、同時に、世界は人間の力ではどうしようもない不条理に直面していることが淡々と描かれている。今回の新型インフルエンザ発生のニュースを聞いた時に、私はこの映画のことが思い出されてならなかった。この映画のメッセージに重ね合わせて私の脳裡に浮かぶのは、次のような問いである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;新型インフルエンザとは、現代のわれわれが築いた砂上の楼閣、経済成長という「バベルの塔」に対する報い、罰ではないのか？&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;映画「バベル」では、ラスト部分で一度はバラバラになった人々の心（言葉）が再び繋ぎ合わされていく「再生の物語」が描かれるのだが、新型インフルエンザに向き合う人類は、果たしてそうした再生の物語を紡ぎ出すことができるだろうか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関連記事：&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;・&lt;a href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2008/01/post_ce78.html&quot;&gt;隠喩としてのパンデミックフルー&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;・&lt;a href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2007/05/post_a305.html&quot;&gt;映画ＢＡＢＥＬと９．１１をつなぐ世界共時視線&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス・マーケティング</dc:subject>
<dc:subject>リスク社会</dc:subject>
<dc:subject>移民問題</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-05-04T11:41:30+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-b551.html">
<title>裸になって何が悪い！　～公園で裸になる自由とホームレスする権利～</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-b551.html</link>
<description>ＳＭＡＰの草なぎ剛が、泥酔して全裸で真夜中の赤坂の公園で騒いでいとところを公然猥...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/26/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;309&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/26/photo.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; ＳＭＡＰの草なぎ剛が、泥酔して全裸で真夜中の赤坂の公園で騒いでいとところを公然猥褻罪で逮捕されたことが大ニュースになっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このニュースを出張中の新幹線の中で流れていた文字ニュースのテロップで知ったのだが、全裸というのがユーモラスに感じられて、世間では笑い話になっているのかなと思ったら、テレビ、新聞がトップで取り上げるような大ニュースになっていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;憔悴しきって警察の車に乗り込む草なぎの横顔（写真）が各紙に掲載され、日本でも指折りの人気者だった草なぎ剛が、一夜明けてみれば、「犯罪者」扱いされていた。&lt;br /&gt;メディアの対応もさることながら、違和感を感じたのは、草なぎが「公然猥褻罪」で現行犯逮捕されたということだ。一体、誰が誰に対して猥褻だったのかというのか？報道などから判断する限り、草なぎは、知人たちの飲んだ後、赤坂の檜町公園に行き、そこで一人で裸になって、何事かを騒いでいたということだ。夜中に公園で酔っぱらいがわめいていると近隣の住人が警察に通報したことで事件になった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;明らかに過剰捜査だった家宅捜査&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;泥酔して全裸で喚くというのは、日本を代表するトップスターに相応しい性癖とはとてもいえないが、誰もいない真夜中の公園でのことであり、そうした行為に、どのような犯罪性が存在したというのか、好きにやらせておけばいいのではないかというのが率直な感想だ。覚醒剤など薬物使用も疑ったということもあるのだろうが、尿検査をすれば、一発でわかることであり、家宅捜査までやっているのは、明らかに過剰捜査である。&lt;br /&gt;放っておいたら、周りに迷惑がかかり、危険ということだったら、保護してやれば良かった。昔の警察は街中の酔っぱらいを収容するのが仕事の一つで、酔っぱらいを留置所にぶちこんでいたことから「トラ箱」という言葉もあったくらいだが、今や、そうした牧歌的な言葉は、死語になり、今回のように何かしらの理由をつけて即逮捕という無粋な世の中になってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;鳩山総務大臣「・・・最低の人間としか思えない」&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;草なぎが地デジのキャンペーンのキャラクターにもなっていたことから、鳩山邦夫総務大臣が「めちゃくちゃな怒りを感じる。・・・最低の人間としか思えない」と激怒したという話も伝わってきたが、「最低の人間」とは聞いて呆れる、お友達の中川元外務大臣が、泥酔して、メロメロの記者会見を行って、世界中に赤恥を晒した時には、同じことをいわなかったのは、同じお坊ちゃん二世議員同士の武士の情けというわけか。国家に与えたマイナスということでいえば、１００倍も中川大臣の醜態の方が甚大であり、死刑推進論者の鳩山であれば、中川に対して「万死に値する！」くらいのことはいうべきだったのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回の「事件」があった公園は、コンクリートジャングルの中のオアシスにも見える場所だ。公園とは、本来、都市の中における共有地（コモンズ）のような存在で、誰が何をしてもいいという開かれた空間であったはずだが、見えない管理がその空間を浸食し始めている。例えば、皇居前広場で裸になったら、あっという間にあっちこっちから警官が飛んできて、それこそ逮捕されてしまうことだろう。そうした、息苦しい空間が、この東京や日本の中でだんだん増殖しているのだ。&lt;br /&gt;その息苦しさを測る上で、良い指標となるのが、ホームレスの人々の受容度、ビニールの青テントの数だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ホームレスの有無が社会の息苦しさの指標&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;同じ公園でも、上野公園や井の頭公園には、ホームレスの人々が居住する段ボールとビニールで作った青テントが立ち並んでいて、取り澄ました感じがない。ホームレスの人たちの存在が黙認されているような、受容度を持った場所こそがコモンス（共有地）としての「公園」に相応しいと考えるが、どうも、そうした場所はどんどん消え失せているようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;渋谷駅の近くに宮下公園という青テントが建ち並ぶ細長い土地の公園があるが、ここにも「管理」の波が及んできている。&lt;br /&gt;渋谷区が主導する形で、宮下公園の命名権（ネーミングライツ）をスポーツ用品の世界企業ナイキに売却し「ナイキ公園」とする「宮下公園のナイキ公園化計画」というのが進行しているのである。渋谷区は、ナイキに命名権を売却して得る資金で有料のスケートボード場などを新たに整備するという。ただし、夜間は施錠されてしまうので、結果的にホームレスの人々は追い出されてしまうことになる。広告屋上がりの一部の区議が、区長と結託してナイキにこの計画を提案し先導しているようだ。問題なのは、事業全体がナイキの提供資金によって運営され、区の予算を執行しないために、この計画自体が区議会でまともに議論も承認もされたことがないことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;宮下公園がナイキ公園化される？&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした動きに「&lt;a href=&quot;http://minnanokouenn.blogspot.com/&quot;&gt;みんなの宮下公園をナイキ公園化計画から守る会&lt;/a&gt;」という団体が反対運動の声を上げ、署名活動や定期的なデモ行進などを行っている。&lt;br /&gt;彼らが主張しているように、人間の生きる私的な空間や共有地として開かれた場所を、企業の名前や広告で埋め尽くしてしまうことには、まっぴらごめんだ。&lt;br /&gt;宮下公園のナイキ公園化に反対する人々は、このプロジェクトの推進者である渋谷区とナイキジャパンに対して反対活動を展開しているが、本当の敵は、宮下公園が小綺麗に整備されてホームレスの人々が追い出されることを内心喜んでいるような連中である。&lt;br /&gt;彼らの中には、ホームレスがいることで治安が悪くなると主張している輩までいると聞く。&lt;br /&gt;そうした連中は、鳩山邦夫が草なぎのことを評したのと同様に、ホームレスの人々を「最低の人間」と思っているのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ホームレスの人々の生きる権利に思いが及ばない歪んだ「住民意識」と頽廃した「小市民意識」が真綿で首を絞めるように、この世界を息苦しくさせている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/26/photo_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_2&quot; height=&quot;267&quot; alt=&quot;Photo_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/26/photo_2.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 草なぎ剛の今回の「事件」は、そうした息苦しい「管理」に汚染された現在の社会のありようを暴いてみせた。惜しむらくは、草なぎ自身は泥酔していたために自分が行ったパフォーマンスのことを全く覚えていないことだ。&lt;br /&gt;草なぎは駆けつけた警官に向かって「裸になって何が悪い」と叫び、抵抗したそうだが、しらふで同じ事をやれば、草なぎのやったことは立派な「抵抗アート」になっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;草なぎの所属するジャニーズ事務所は、当面、草なぎを謹慎させて芸能活動を自粛させるといっている。少し気が早いかも知れないが、芸能界復帰のプランを提案したい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、ズバリ草なぎ剛のヌード写真集の出版である。場所は、当然、今回の事件があった檜町公園だ。アラーキー氏あたりが写真をとれば芸術性も話題性も十分だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このアート活動に対して警察当はが同じことをやったとして再び「公然猥褻罪」で草なぎを逮捕することになるのか、これは見ものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「公園で裸になって何が悪い」というのが、写真集のタイトルとなるが、もし実現すれば、宮沢リエの「サンタフェ」以来の大ヒット間違いなし！？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>リスク社会</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-04-26T01:27:50+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-154e.html">
<title>爆走する中国の電気自転車ブームの行方</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-154e.html</link>
<description>最近、上海や北京に行った人が印象に残ったこととして必ずあげるのが、電動自転車が街...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/21/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;163&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/21/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 最近、上海や北京に行った人が印象に残ったこととして必ずあげるのが、電動自転車が街のあちこちを走り回っている光景である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一昔前の日本のメディアが、中国を描く際に、必ずといっていいほど取り上げるステレオタイプ化された映像があった。それは、人民服を着た膨大な数の中国人労働者が自転車に乗って一斉に職場に出勤するシーンだ。自転車に乗った人々が蟻の大群のように街のそこかしこから溢れ出て行進する姿は、中国という国の貧しさ、そして同時にその膨大な潜在力を象徴していた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その光景が、現在の中国の発展を示すように、自転車から電動自転車へとスイッチされようとしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;電動自転車といっても、日本でも流行っているヤマハのパッソルのようなアシスト機能の備わった高級自転車ではない。自転車に電池とモータをくっつけた、日本で言えば原付自転車の原動機部分がガソリンエンジンではなく、「電池＋モータ」になったものといえば想像がつくだろう。この電動自転車が、２００７年には上海では１６０万台、中国全土では２１００万台も生産されているという。中国で電動自転車の市場が立ち上がったのは、１９９７年といわれているので、この１０年間で文字通り爆発的に普及したことになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;中国全土で年間２１００万台も生産された電動自転車&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/21/photo_3.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_3&quot; height=&quot;239&quot; alt=&quot;Photo_3&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/21/photo_3.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; もともと中国は年間８０００万台もの自転車を生産している世界一の自転車大国であり、北京や上海などの大都市の道路には、車道、歩道、そして自転車専用車線が整備されている。日本では、完全に動力だけで走る「自転車」は「原動機付き自転車」に分類され、免許の取得が前提となるが、中国では、自転車専用線が整備されていることもあり、「原付」のようなタイプであっても免許を必要としない。また、大都市の排気ガス汚染や渋滞が社会問題化したために、ナンバープレート規制が行われ、実質的に自動車の保有が困難になったことも電動自転車の普及に拍車をかけた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中国で普及している一般的な電動自転車のスペックを見てみると、最高時速は２０㎞以下、１回の充電で可能な走行距離は４０～６０㎞、一部でニッケル水素電池も使われているが大部分は重い鉛電池（１０㌔程度）を積んでいて、価格は２０００～３０００元（３～４．５万円）というのが相場のようだ。電池のパワーを上げていけば、当然のことながら、バイクやスクーター、そして電気自動車までほぼ同じ技術で対応できる。重要なことは、電気自転車が、一般化したことで、「電池＋モータ」の組み合わせで移動体（ヴィークル）を製品化することが、極めて容易になり、これまでの自動車、バイク、自転車というような区分をすることが無意味になりつつあることだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;失われる日本のバイクメーカーの優位性&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中国における電気自転車の爆発的な普及によって脅威にさらされているのが、日本のバイクメーカーである。世界のバイク市場は、これまで日本の二輪メーカー、ホンダとヤマハの独擅場にあった。一時期、価格の安い中国製のコピーバイクが、東南アジアなどでシェアをとったが、すぐに故障するということで、あっという間に日本製バイクが返り咲いた。中国全土にバイクメーカーは１００社以上もあり、それらが皆、価格競争に走っているために研究開発投資ができない、また、個々の部品のレベルが低いので、故障が頻繁に発生するという問題があった。ガソリンを燃料とする複雑な内燃エンジンを搭載したバイクの場合は、日本メーカーの技術力とこれまでの蓄積がものをいったのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところが、電動自転車、あるいは電動バイクになったとたんに、そのアドバーンテジは消え失せてしまう。メカニックの構造が単純となり、故障も激減する。中国のバイクメーカーは、こぞって電動自転車の市場に参入し、高出力のニッケル電池を搭載したバイクなどの製品化も始めている。日本と欧州にパッソルを投入し、電動自転車の市場を開拓したヤマハ発動機は、当然のことながら、中国市場への進出も検討したが、技術的な差別化が難しく価格競争に巻き込まれるだけという判断から、中国の電動自転車市場への進出を見送った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;２次電池の覇権競争でも主導権を握る中国&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうした電動自転車市場の爆発的な成長が意味しているのは、次世代の２次電池の覇権争いでも中国が確実に主導権を握るだろうということだ。&lt;br /&gt;現在、世界中が注目している「ＢＹＤ（比亜迪）」という中国の電池メーカーがある。著名な米国の投資家ウォーレンバフェットが巨額の投資を行ったことでＢＹＤは一気に世界で知られることになったが、パソコン用のリチウムイオン電池、携帯電話の２次電池などの製造を手がけ、リチウムイオン電池では、世界シェアの１５％、携帯電話の２次電池では４０％という圧倒的なシェアを持っている。&lt;br /&gt;このＢＹＤが最も注力しているのが、電気自動車向けの２次電池の開発である。傘下に自動車メーカー「ＢＹＤオート」を設立して、北京自動車ショーでは、試作車「Ｆｅ３」も発表し衆目を集めた。&lt;br /&gt;ＢＹＤのトップの王伝福は、この５年のうちに、中国でトップの自動車メーカーになると、豪語しているが、電動自転車の２次電池市場が既に離陸していることが、こうした自信を裏打ちしているのだ。&lt;br /&gt;日本の電池メーカーは、この中国ＢＹＤに対して、まだ技術的な面では優位性を保っているといわれるものの、その差も急速に縮まっている。何よりも、日本の電池メーカーは、移動体向けの電池市場の開拓をこれから行わなければならないのに対し、中国では既に目の前に市場が出来上がっていることが大きい。市場を押さえていることで、標準化や規格化の面で優位に立つことができ、巨額の投資もしやすくなる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/21/photo_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_2&quot; height=&quot;272&quot; alt=&quot;Photo_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/21/photo_2.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 実はＢＹＤは、既に日本市場にも上陸している。イタリアの電気自動車の輸入販売などを手がける&lt;a href=&quot;http://www.auto-ev-japan.com/&quot;&gt;オートイーブィージャパン&lt;/a&gt;が、電動スクーター（写真）の販売を始めたが、これに搭載されているのがＢＹＤのリチウムイオン電池である。家庭用電源で1―2時間充電すると、45―85キロメートルの走行が可能で、価格は原付き一種に相当するタイプで34万6500円。1キロメートル当たりの 電気代は0.5円と、一般的なガソリンスクーターに比べ約5分の1で済む。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本でも電動自転車（スクーター、バイク）の爆走が始まる予感がする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ビジネス・マーケティング</dc:subject>
<dc:subject>東アジア</dc:subject>
<dc:subject>環境</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-04-22T01:49:45+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-e4c3.html">
<title>ＧＭの連邦破産適用と自動車産業の終わりのはじまり</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-e4c3.html</link>
<description>‘Surgical’ Bankruptcy Possible for G.M. ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href=&quot;http://www.nytimes.com/2009/04/13/business/13gm.html?_r=1&amp;amp;scp=3&amp;amp;sq=GM&amp;amp;st=cse&quot;&gt;‘Surgical’ Bankruptcy Possible for G.M. &lt;/a&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;By MICHELINE MAYNARD and MICHAEL J. de la MERCED&lt;br /&gt;Published: April 12, 2009 &lt;br /&gt;DETROIT — The Treasury Department is directing General Motors to lay the groundwork for a bankruptcy filing by a June 1 deadline, despite G.M.’s public contention that it could still reorganize outside court, people with knowledge of the plans said during the weekend.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/14/gm_segway540.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Gm_segway540&quot; height=&quot;180&quot; alt=&quot;Gm_segway540&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/14/gm_segway540.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; ゼネラル・モーターズ（ＧＭ）の破綻が秒読みの段階に入った。&lt;br /&gt;ニューヨークタイムズのネット版が、１２日、関係筋からの情報として、米国財務省が６月１日までに外科的な破産（米連邦破産法：Chapter11）の適用申請を準備するよう命じたと伝えている。&lt;br /&gt;数週間前から、こうしたＧＭの再建を巡るリーク情報が流れてくる。手厚すぎると槍玉に上がっている従業員の年金制度のリストラや債務の大幅圧縮が自力再建の最低条件とされているが、その交渉が困難を極めていることをメディアが報じている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;これは、交渉過程にあるＧＭ労働組合に対する「牽制」とも考えられるが、チャプター１１（米連邦破産法）適用に向けた露払いとの見方が強まっている。破産法適用の可能性を事前にある程度アナウンスすることで市場の混乱を最小限にするのが当局のねらいだ。経営再建計画の提出のタイムリミットは６月１日とされているが、もっと早い段階でチャプター１１の申請がされる可能性も出てきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;米国で始動する電気自動車シフト&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自動車産業は米国にとって必要だというメッセージをオバマ政権は繰り返し述べてはきたが、自動車産業を単に温存させるのではなく、新たな産業として再生させるもうひとつの戦略が動き始めている。端的にいえば、電気自動車へのシフトである。&lt;br /&gt;ＧＭの経営破綻問題の影に隠れて、日本ではほとんど報道されていないが、この４月７日にＧＭは米国のベンチャー企業、セグウェイ（Segway）社と共同開発した２人乗り二輪電気自動車「ＰＵＭＡ」の試作モデルを発表した（写真）。日本から見ると、会社自体が沈没しそうな時に、呑気にＳＦチックな未来自動車をお披露目してどういうつもり？ということになりそうだが、実は、これこそＧＭの生き残り戦略を象徴的に表したコンセプトモデルなのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このことを理解するためには、オバマのグリーンニューディール政策の中核をなす、「スマートグリッド構想」のことを知る必要がある。スマートグリッド構想とは、&lt;a href=&quot;http://www.matternetwork.com/2008/10/obama-smart-grids-plug-hybrids.cfm&quot;&gt;オバマが大統領選の最中から目玉の政策として主張&lt;/a&gt;していたもので、エネルギー（主に電気）の送電ネットワークをインターネット網のようにグリッド化し、エネルギーの利用を偏在させることなく、ネットワーク上で最適効率化していくという構想だ。そして、その構想の中で重要な役割を占めるのが、ネットワークの中でサーバーのような役割を果たす「２次電池（バッテリー）」の存在である。風力や太陽電池などで取り込まれた自然エネルギーをネットワークの中の「２次電池（バッテリー）」にいったん蓄電し、夜間など必要になった時に取り出して使うというものだ。ちょうど電話や通信網がインターネットに置き換えられていったように、電力エネルギーのインフラそのものを抜本的に作りかえていくという壮大な構想だが、オバマは、これを実現することが「アルカイダのようなテログループが米国を経済的に攻撃することを困難にする」とテロ対策に有効であると説明している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;オバマ政権のスマートグリッド構想とＥＶ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;すなわち、テロリストが米国経済を麻痺させることを目的に発電所や送電所などを攻撃しても、インターネット網がそうであるように、送電ネットワークがグリッド単位で自立的であることで、システム全体がダウンすることを回避することができる。そして、こうしたスマートグリッドを構築する上で正に要の役割を果たすのが、ネットワーク中に偏在する「２次電池（バッテリー）」すなわち電気自動車（ＥＶ）ということになる。&lt;br /&gt;電気自動車のユーザーは、クルマの電池をネットワークに接続させ、昼間は太陽光発電などから取り込んだ電気エネルギーを自動車の電池に蓄電し、夜間にはネットワーク（グリッド）に対して売電することができる。このことをＶ２Ｇ（vehicle-to-grid）という。&lt;br /&gt;Ｖ２Ｇを担う電気自動車へのシフトは、インターネット革命がそうであったように、まず国防上の必要性から構想され、次に技術的なイノベーションを先導することによって米国主導のビジネスモデルに自動車産業それ自体を組み換えてしまうという、周到に構想された米国の国家戦略なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このことは、自動車産業にとってはどのような意味を持つだろうか。&lt;br /&gt;端的にいえば、ＧＭがセグウェイ社との共同開発で見せたように、自動車メーカーは自動車メーカーである必要がなくなるということである。電気自動車は、モーターと蓄電池を組み合わせたプラモデルのようなものなので、極端にいえば誰でも作れる。部品点数はガソリン車に比べて３割も減り、その分だけ故障も減る。ハイブリッド車のような高度な制御技術や故障の少ないものづくりの技術も必要とされなくなってしまう。トヨタを始めとした日本の自動車メーカーが保有している「ものづくり」技術の強みは、そこではほとんど意味をなさなくなってしまうといってよい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;日本の自動車メーカーの強みが失われる！？&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現状の電気自動車は、技術的にはまだまだ発展途上段階のものであり、この夏、三菱自動車工業の軽車格の「iMiEV」が、２０００台余り国内市場に量産投入されるに過ぎない。３０分の充電で１５０㎞ほど走れるまでに電池の性能は向上しているが、米国など国土が広い地域では、走行距離がまだまだ足りない。当面は、日本メーカーが製造するハイブリッド車などが市場を牽引していくだろう。電気自動車がガソリン車並に普及するには、リチウムなど２次電池に必要とされるレアメタルの製造量もボトルネック要因になる。しかし、これまでのテクノロジーのイノベーションの歴史が教えるように、そうした壁は必ず何らかの手段で乗り越えられてきた。今後、既存の２次電池の性能も飛躍的に向上していくだろうし、レアメタルに依存しない新たな電池材料の開発も急ピッチで進んでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、ＧＭの経営破綻の問題に話を戻そう。ＧＭやクライスラーに連邦破産法が適用されるような事態となったら、どうなるだろう。&lt;br /&gt;米国の自動車メーカーが沈む分だけ、トヨタを始めとした日本車メーカーが相対的に浮かびあがり、そのポジションは一見強まるようにも見えるが、既存の自動車産業の枠組みを前提にそのコップの中での浮沈を議論してもほとんど意味をもたない。というのも、これまで見てきたように、その根底ではもっと大きなパラダイムシフトが進行しているからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;２０世紀型自動車産業の終焉とＧＭの再生&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今のところ見えているのは、自動車産業が巨大な電池産業の中に溶け込んでいき、徐々にその産業としての輪郭を失っていく可能性である。ＧＭ，セグウェイ社が共同開発したＰＵＭＡに象徴されるように、これからの都市の移動手段は、目的やシーンに応じて多様化がすすむだろう。４年おきにモデルチェンジをして、大量製造、大量販売していくという２０世紀型のビジネスモデルが、自動車産業においてもついに終わりを迎えることになることは間違いない。&lt;br /&gt;新たな市場創造機会が生まれているということになれば、当然リスクテイクに積極的なベンチャーの出番である。実際、米国では、かつてのＩＴベンチャーブームの時のように、ＥＶベンチャーが続々と誕生しつつある。インテルのアンドリュー・グローブ元会長が、新たなベンチャー事業として、電気自動車用の電池事業に進出することをインテル社に対して促しているというし、米国の名だたる投資家ウォーレン・パフェットもＢＹＤという中国の電池メーカーに投資したことで話題を呼んだ。自動車産業という巨大な恐竜が正に末期の悲鳴を上げている最中に、進化した「生物」、次世代産業の芽が米国では着実に成長しつつある。&lt;br /&gt;とすれば、現在の自動車産業が直面している苦況は、米国の金融破綻に端を発するものの、重要なのは、今直面しているのが終わりの始まりだということを認識することだ。このトンネルを抜けた後は、元の世界に戻るのではなく、新世界が待っていると認識できるかどうかで全てが変わってくる。米国政府当局や、ＧＭの現経営陣は、このことを明確に意識して、ＧＭという企業の外科手術を果敢に行うだろう。その場合の視点は、まぎれもなく、米国の自動車産業をオバマのグリーンニューディール政策のもとで、エネルギーシステムとの戦略的連携を構築していくことになる。破産法の適用によって、２０世紀型産業のしがらみを全て整理させ、環境・エネルギーと自動車を架け橋する２１世紀型の企業としてＧＭは再生する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;脳死状態、判断停止状態の日本&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、残念ながら、この国においては、あのトヨタが終わりになるなどとは、誰も考えたくないようであり、自動車産業のパラダイムシフトという議論は一向にどこからも聞こえてこない。要するに口では「１００年に一度の」と言っているにも関わらず、どこまでも、今日の延長上に明日があると思いこみたいのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;麻生政権は、１５兆円にも達する補正予算案を作成した。その中でもエコ・カーの普及支援が目玉の政策のひとつになっている。その政策自体が駄目だとはいわないが、「１００年に一度の」という枕詞をひんまがった口であれだけ連発するなら、１００年単位のヴィジョンをひとつでも良いから見せてみろといいたくなる。&lt;br /&gt;無脳宰相にとっては、「１００年に一度の危機だから」と言うことは、赤字国債を乱発し、目先の選挙をにらんでばらまき政策を行うことの体の良い免罪符になっているだけだ。&lt;br /&gt;一刻も早く、こんな脳死状態の政権は終わりにさせないと、トヨタや自動車産業が沈むだけではない、この国が滅びてしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;関連記事：&lt;a href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2008/12/post-7026.html&quot;&gt;死んだふり？ビッグスリーが電気自動車で復活する日&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>環境</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-04-14T11:05:34+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-1274.html">
<title>森田健作の知事選勝利の影で、忍び寄るファシズムの足音</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/04/post-1274.html</link>
<description>この顔をクローズアップでまたテレビ画面で見せられることになるとは思ってもいなかっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/07/morita_kennsaku3_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Morita_kennsaku3_2&quot; height=&quot;174&quot; alt=&quot;Morita_kennsaku3_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/07/morita_kennsaku3_2.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; この顔をクローズアップでまたテレビ画面で見せられることになるとは思ってもいなかった。千葉県知事となった森田健作の顔である。&lt;br /&gt;千葉県の知事選などは関心がなかったこともあり、森田健作が立候補していることすら知らなかったし、森田のような一昔前のタレント候補が一体どうすれば当選できたのかと訝しく感じた。しかも、投票結果を見ると、民主党などの推薦を受けた吉田候補に圧倒的な差をつけての堂々たる圧勝である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;森田健作の勝利が物語っているのは、日本の政治が、消去法だけに動かされるダッチロール状態に入ってしまったことだ。つまり、こいつも駄目、あいつも駄目とバッテンをしていった挙げ句に、残ったものだけが浮かび上がるという政治状況が生まれている。&lt;br /&gt;麻生太郎が宰相として全く不適格なことは、与野党も国民も認識しているが、自民党内に代わる候補がいないためにゾンビのように政権に居座っている。麻生が自民党内の消去法の帰結として政権に留まっているのだとすれば、民主党への一時の支持の高まりも、麻生政権や自民党に対する失望の裏返しに過ぎない。だから、小沢一郎党首の公設第一秘書が逮捕されるというスキャンダルが発覚して、そうした消去法の延長上にあった民主党人気も一気に熱が冷めた。千葉県知事選挙では、自民党だけでなく民主党も駄目というムードが醸成され、その消去法の結果、無党派イメージを振りまいた森田健作に勝利が転がり込んだのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;否定の連鎖、消去法に動かされる政治状況&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/04/07/morita_kennsaku.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Morita_kennsaku&quot; height=&quot;281&quot; alt=&quot;Morita_kennsaku&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/04/07/morita_kennsaku.jpg&quot; width=&quot;200&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 森田健作は、４０代以上の有権者には、青春ドラマに出演していた頃のイメージが残っているかも知れないが、それはもう大昔のことで、人気も知名度もお世辞にも高いとはいえない。要するに、森田健作の人気が当選を呼び込んだのではなく、自民党も民主党も駄目だが森田健作を知事にしたら広告塔ぐらいにはなってくれるかもしれないという、消去法の気分が働いて得票に結びついた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;森田健作や千葉県知事選に対しては、もともと何の関心も無いのでこれ以上何もいうことはないが、問題にしたいのは、現在の政治の世界に蔓延している消去法的な気分、政治的ニヒリズムのことである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人々が既存の政治権力に対する期待を放棄してニヒリズムに陥ることをP・Fドラッカーは、その処女著作「経済人の終わり」で「大衆の絶望」と表現し、この「大衆の絶望」こそがファシズムを招来させる下地になったと指摘している。&lt;br /&gt;「経済人の終わり」は、ドラッカーが３０歳だった１９３９年に出版された処女作だが、当時のヨーロッパは世界恐慌の荒波に覆われ、イタリア、ドイツではファシズムの嵐が吹き荒れていた。若き学徒であったドラッカーは、ナチズムの本質をこの本で徹底的に批判した。驚かされるのは、この本が出版されて既に７０年余が経過しているにも関わらず、ドラッカーが述べている当時の状況は驚くほど２００９年の日本の状況に酷似していることだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ファシズムが吹き荒れた１９３０年代に酷似する状況&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「経済人の終わり」というこの本のタイトルだが、当時のブルジョア資本主義、そしてそのアンチテーゼとして登場してきたマルクス主義のいずれにおいてもアプリオリに前提とされていた「経済人（ホモ・エコノミカス）」という概念、すなわち経済合理性に基づいて利己的に行動する近代の人間のことを意味している。ドラッカーは、この経済人というヴィジョンが破綻したことがファシズムを招来したと主張する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「概念としての経済人は、文献上アダム・スミスとその流れをくむひとびとのホモ・エコノミカス としてあらわれたのが最初である。彼らの経済人は、きわめて狡猾で無遠慮な、また、いつも自分の最大利益をめあてに行動するばかりか、その目的を遂げる方法も知ってるという擬制的存在である」（ドラッカー全集Ⅰ「経済人の終わり」）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アダム・スミスがいった「神の見えざる手」が働き、経済人が、利己的に行動しさえすれば、全体としては自然と均衡点が見つかりバランスする。すなわち、経済人とは、この世界の「合理性」を根底から支える理念でもあった。ところが、大恐慌によってそうした前提が全て崩壊してしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「経済人という考え方がくずれたために、人はその社会秩序を失い、その世界は合理的なあり方を奪われた。・・・・個人が社会において持つ役割は、まったく非合理なもの、無意義なものになってしまった。人は巨大な機械のなかに孤立している。・・・社会は共通の目的で結ばれた個人の集団ではなくなり、目的のない孤立した原子の混沌たるわいわい騒ぎになってしまった」（ドラッカー全集Ⅰ「経済人の終わり」）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう書かれている当時の状況は、そのまま今日の世界の状況を表しているといってもよいくらいだ。そして、「目的のない孤立した原子の混沌たるわいわい騒ぎ」が生み出す権力の真空地帯に嫌日植物のように増殖してくるのがファシズムなのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ファシズムに特有の３症状（ドラッカー）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ドラッカーは、ファシズムに特有の症状を以下の３点に集約してみせる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;①ファシスト全体主義は積極的な理念を欠いており、ただあらゆる伝統的な理想や理念を論難し、排撃し、否定することに終始する&lt;br /&gt;②ファシズムはこれまでの理想をことごとく論難するにとどまらず、政治的・社会的制度が拠って立つ基盤としていたものを否定する&lt;br /&gt;③大衆がファシズムにすがりつくのは、積極的信条にとって替わるべきものとしてのファシズムの約束を信ずるからではなくて、反対に、この約束を信じないからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ファシズムとは、今日一般に思われているように、狂気に満ちた独裁者が、圧政と暴力によって無理矢理人々を支配することで成立するのではなく、人々の方が独裁者を喝采を持って迎え入れるのである。全ての権力、権威を否定した挙げ句に、その宙ぶらりんの状況に耐えられず、逆に支配されることを渇望して、独裁者に自分たちの自由を差し出してしまう。そうした人間心理の闇の部分からファシズムは増殖してくることを若きドラッカーは天才的な直感で見事につかんでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ファシズムには、積極的信条がないかわりに、その埋め合わせとして、とにかくおびただしい否定がある。自由主義に反対すると同時に保守主義に反対する。宗教に反対すると同時に無神論に反対する。・・・・私はナチ扇動者が農民の集会で次のようにいって熱狂的な喝采を受けるのを見たことがある『われわれは安いパンの値段を望まない。高いパンの値段も望まない。変わらないパンの値段も望まない。われわれが望むのは国民社会主義的なパンの値段である』」（ドラッカー全集Ⅰ「経済人の終わり」）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ドラッカーのいうファシズム、３つの症状のうち、この３点目が示唆的である。人々がファシズムに取り込まれるのは、ファシストの言っていることを信じるからではなく、むしろ信じていないからである。全ての約束が信じられなくなっている人々にとっては、ファシストの言っている荒唐無稽な世迷い言が、あたかも奇跡のように聞こえてくる、つまりは不合理だからこそ信じられるという背理が生じるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;荒唐無稽な不合理なことだから信じられる？&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年の日本を覆っているのは、まさにファシズム招来につながるニヒリズムであり、ドラッカーが指摘した「大衆の絶望」である。&lt;br /&gt;自民党も民主党も駄目、天下りする官僚も駄目なら、国策捜査を繰り返す検察も駄目というように、おびただしい否定が並び、政治と社会に対する絶望感が、ドラッカーの時代と同じようにこの国には蔓延している。権力は断片化され、誰がリーダーなのかも見えなくなってしまっている。&lt;br /&gt;つい、最近まで「政権交代」という言葉が、閉塞状況から脱出する出口のように感じられていたが、その政権交代への期待も後退しているように見える。このままゾンビ宰相が政権に居座り、政権交代もままならない状況に陥ったら、人々はさらに絶望の彼岸にまで足を踏み入れ、「奇跡」を期待するようになるだろう。それは、人々の心が乾いた槇のようになってしまったことを意味する。ファシズムの炎にその身を焼かれるのは、もう時間の問題だ。ファシズムの足音に警戒せよ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-04-07T01:32:40+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/post-d6ad.html">
<title>漂流する検察と私刑（リンチ）化する「国策捜査」</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/post-d6ad.html</link>
<description>「国策捜査」が漂流している。 前回のエントリー記事でとりあげた、小沢一郎の公設第...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/03/30/photo_2.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_2&quot; height=&quot;183&quot; alt=&quot;Photo_2&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/03/30/photo_2.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 「国策捜査」が漂流している。&lt;br /&gt;前回のエントリー記事でとりあげた、小沢一郎の公設第一秘書が逮捕、起訴された問題に関して、民主党、小沢一郎代表の政治的責任問題とは別に、検察の国策捜査のありかたを巡って批判の声が広がり始めている。&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「国策捜査」という言葉は、もともと検察の内部用語で、国家の意志・政策、あるいは世論の動向に基づいて訴追ありきという形で捜査をすすめることを意味していた。しかし、この言葉が、マスコミや一般国民にも知られるようになったのは、鈴木宗男事件で逮捕、起訴された元外務官僚、佐藤優氏の「&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101331715?ie=UTF8&amp;amp;tag=katolesweb-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=4101331715&quot;&gt;国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)&lt;/a&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=katolesweb-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4101331715&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt; 」が出版され、ベストセラーになってからだろう。&lt;br /&gt;この本の中で佐藤氏は、「国策捜査」というもののありようと、その「罠」にはまった時の個人の無力さを自身の体験をもとに赤裸々に報告している。この本が出て以来、「国策捜査」という言葉は、検察に対する批判的な意味を伴って使われるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;暴力装置としての国家が行使する国策捜査&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;司法の独立、中立性という理念からすると「国策捜査」というもの自体が、あってはならないものという声をよく聞くが、こうした批判は的はずれだ。レーニンが「国家と革命」の中で指摘したように、国家という存在の非情な本質とは、それが軍隊と警察力を行使できる暴力装置であることであり、「国家の意志」を国民に対して強制することで、国家は国家として成立している。こうした国家の本質を前提とするならば、その秩序を守る使命を持った検察組織は、「国策捜査」をやることが当たり前であり、これを担当する検察エリートたちは自分たちが指揮する「国策捜査」こそが、この国の形を決めているという強烈な自負と矜持を持っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;問題はその国策捜査がどのよう行われるかだ。&lt;br /&gt;最近、ライブドア事件の被告人になっている堀江貴文が「&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4087805182?ie=UTF8&amp;amp;tag=katolesweb-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=4087805182&quot;&gt;徹底抗戦&lt;/a&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=katolesweb-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4087805182&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt; 　堀江貴文」という本を上梓した。この本の中で、２００５年、ライブドアが、ニッポン放送株を取得して、フジテレビの買収に動いたいわゆる「ニッポン放送、フジテレビ買収騒動」のこと、そしてその半年後の夏、小泉政権のもとで広島６区から亀井静香に対する「刺客」候補として政界に立候補したいきさつ、そして翌年の２００６年に証券取引法違反の疑いで、突然、東京地検特捜部の家宅捜査が入り、他の取締役ともども逮捕、起訴された顛末が当事者である堀江貴文の立場から語られている。&lt;br /&gt;このライブドア事件も「国策捜査」の典型といえるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;国策捜査の典型、ライブドア事件&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/03/30/photo_4.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_4&quot; height=&quot;225&quot; alt=&quot;Photo_4&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/03/30/photo_4.jpg&quot; width=&quot;150&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 堀江貴文を含む当時のライブドアの経営陣が逮捕、起訴されたのは、証券取引法違反の疑いによるとされているが、当時から専門家の間でも起訴された事実が、そもそも逮捕、起訴に値するような事柄か？と疑問視されていた。堀江被告もこの本の中で以下のように述べ検察を批判している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「通常、捜査のメスが入る企業というのは、架空取引などで大量の隠れ負債を抱えていて、それが表面化したような企業であったり、破綻したような会社である。つまり、捜査以前に社会に悪影響を与え、血税が投入されたり、株主が損害を被ったことに対して制裁を与えるために、捜査が行われるというのが特徴である。・・・・（中略）・・・よく、私やライブドアが『事件を起こした』などといわれるが、その表現には違和感を覚える。なぜなら事件はわたしたちが『起こした』のではなく、特捜部が『起こした』と考えるからだ」（「徹底抗戦　堀江貴文」より）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ライブドアの当時の業績は好調であり、この事件の起訴の根拠となった利益の記載方法や架空取引が指摘された子会社の経理操作にしても、ライブドア本体の経営や株主に甚大な被害を及ぼすような「違法行為」ではない。むしろ、ライブドアの株主が甚大な被害を被ったのは、検察の捜査が入り、そのことによってライブドアの株価が暴落したことによってである。&lt;br /&gt;堀江被告がいうように、中味がボロボロの会社に捜査のメスが入るのは当然としても、ライブドアのような順調な経営状態にあった会社が突然「国策捜査」の対象になるということは何故なのか。堀江被告もこの点については、「目立ち過ぎたから」という言い方をして、慎重に言葉を選んでいるが、真実は、この本にも書かれている「ニッポン放送株の買収」と「広島６区における選挙戦への立候補」に隠されている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ホリエモンが踏んでしまった虎の尾とは？&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;広島６区の衆議院選に立候補した際に、堀江は、小泉政権の郵政民営化に賛同していたことから当初は自民党から出ることになっていた。しかし、ここで虎の尾を踏んでしまう。街頭演説で日本は大統領制をしくべきだと、天皇制の否定につながるような主張をおこなってしまったからだ。この発言に国粋右翼が反応し、自民党内部の右派からも反発の声が上がり、自民党の公認、推薦は見送られてしまう。&lt;br /&gt;ニッポン放送、フジテレビの買収に動いたことも、経済界や政界のエスタブリッシュメント層を形成する右翼連中を刺激したということが、この本でも暗に語られている。&lt;br /&gt;天皇制を信奉し、国粋的な考え方をするエスタブリッシュメント層は、一般国民の目にはなかなか見えないが、政界、経済界、そして法曹界の中核部分で強い影響力を持っている。&lt;br /&gt;秘密結社ではないが、彼らは同調して動いている部分があり、天皇制に関わる言説には特に敏感に動く。堀江はこの連中の尾を踏んでしまったのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;冒頭の「国策捜査」の定義に話を戻すと、「国策捜査」とは、本来、国家の意志を反映したものである。しかし、小泉政権以降の反新自由主義的な動きは、政権、国家の意志というよりは、むしろ権力の空白、あるいは不在によって、検察当局が独自の意志を持って動いていると見るべきだろう。ライブドアの本社に家宅捜査が入り立件された時は、小泉政権の末期にあたる。その権力の空白期から、検察は、特定の世界観あるいは先入観をもって動きはじめた。彼らの世界観とは、六本木ヒルズ族と呼ばれた新興企業群は、マネーゲームでこの国の企業文化を破壊し害悪を及ぼしているという魔女狩り的思想である。&lt;br /&gt;小泉純一郎が政権の座を去ると、新自由主義的な改革路線は、一気に逆風を受けることになった。堀江の逮捕に続いて村上ファンドの主宰者、村上世影氏が証券取引法違反で逮捕、起訴された。村上ファンドに事件については、ライブドアの経営陣を逮捕したものの、そもそも大した容疑で立件できないことに焦りを感じた検察が、矛先を村上に向けた結果ともいわれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;国家意志なき国策捜査が進行している&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回の小沢一郎の第一秘書をめぐる西松建設の不法献金問題についてはどうだろうか。&lt;br /&gt;漆間官房副長官の「今回の捜査は、自民党には及ばない」というオフレコ発言によって、あたかも麻生政権が小沢追い落としと民主党へのダメージを狙って仕掛けた「国策捜査」のようにいわれたが、麻生政権が何かを仕掛けたわけではないというのが本当の所だろう。というのも、官僚機構も、検察機構も、この無脳宰相と官邸のことを心底バカにしているからだ。権力の不在のもとで展開されているのが、現在の国家意志なき「国策捜査」の実態なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国策捜査が漂流している。&lt;br /&gt;テレビ朝日のサンデープロジェクトに元検事の郷原信朗　桐蔭横浜大学法科大学院教授が出演して、今回の政治資金規正法をめぐる検察捜査が明らかに破綻しており、大山鳴動させて、公設秘書１人の立件に終わる公算が強く、無理をして二階堂経産大臣など自民党政治家にまで捜査範囲を広げるとさらに墓穴を掘ることになると述べていた。郷原氏の指摘が正しいとすると、検察の信用失墜につながる由々しき事態である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先週、「大久保秘書が、罪を認める供述を始めた」というニュースがＮＨＫや大新聞を通じて一斉に流れたことに違和感を持ったが、これもリークによる誤報だったようだ。当局が、メディアを使って、既成事実をフレームアップしていく手法が、またもやあからさまになってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;漂流する権力、官僚、検察&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;検察による情報操作が、どうして常態化しているかといえば、日本の検察、特に特捜という組織が捜査、逮捕、起訴まで一貫して行えるということが関係している。こうした外部からのチェックシステムを持たない検察組織は先進国では日本にしかなく、自分たちが捜査した案件を空振りに終わらせず、必ず起訴に持ち込んで見せるというメンツやエリート意識がどうしても働いてしまう。本来、チェックシステムとして機能すべきメディアも当局から垂れ流されるリーク情報をもとに記事を書いているという情けない状況だ。&lt;br /&gt;検察の暴走を「検察ファッショだ」と批判する声も上がりつつあるが、暴走というよりは「漂流している」というべきだろう。根本的な問題は、この国の政権がずっと脳死状態で権力の所在が、ひどく曖昧になっていることにある。この国を牛耳っているのは、政治家ではなく官僚であるとよくいわれるが、その官僚たちも先の見えない混迷の時代にあって行き場を見失って漂流している。国が漂流しているのだ。&lt;br /&gt;そして、国家意志なき中で展開される「国策捜査」は、社会正義を振りかざす検察官とメディアによる「私刑（リンチ）」に限りなく近づく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-03-31T01:00:44+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/the-maverick-94.html">
<title>一匹狼（The Maverick）　小沢一郎の危うい賭け</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/the-maverick-94.html</link>
<description>西松建設の違法献金疑惑の渦中にあって、進退が取りざたされている小沢一郎が、TIM...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/03/24/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;329&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/03/24/photo.jpg&quot; width=&quot;250&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 西松建設の違法献金疑惑の渦中にあって、進退が取りざたされている小沢一郎が、&lt;a href=&quot;http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1884678-1,00.html&quot;&gt;TIMEアジア版2009年3月26日号の表紙を飾っている&lt;/a&gt;。&lt;br /&gt;政権与党の麻生太郎首相ではなく、野党の党首である小沢が登場しているということは、この国の宰相の存在感が世界的にいかに稀薄かということの証左でもあるが、日本の政治が、結局、小沢一郎という政治家を焦点に動いていくということを暗示している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;西松建設の小沢一郎の政治資金管理団体「陸山会」への献金を巡って、政治資金規制法違反の疑いで公設第一秘書が逮捕され、窮地に立たされた小沢一郎は賭けに出た。党執行部に対して、企業献金を全面的に禁止することも含めて対応策の検討を指示したのだ。これに対して、自民党の幹部連中が猛烈に反発した。&lt;br /&gt;「盗人たけだけしいとはこのことだ」 町村（町村派会長）「政官業癒着の象徴みたいな人がそんなことを言っても始まらない」 山崎拓（山崎派会長）&lt;br /&gt;小沢一郎にとって、こうした自民党の間抜けな幹部連中の反応は、それがマスコミを通じて喧伝されることも含めて全て織り込み済みだったろう。今回の問題が拡大して企業献金の全面禁止が次の総選挙の争点になるようなことがあれば、民主党にとっても大きな影響が出るものの自民党にとってはそれこそ死活問題につながる。麻生太郎も記者団に「企業献金が悪という考えにはくみしない。企業献金の正当性に関しては最高裁判決もきちんと出ている」と火消しにやっきになった。&lt;br /&gt;こうしたドタバタ劇を演じる自民党の姿から浮かび上がってくるものは、小沢一郎のことを政官癒着といって唾したつもりが、結局、全て自分の顔に降りかかってきてしまうという構図だ。&lt;br /&gt;２０日になって、東京地検特捜部が、小沢一郎に対する事情聴取を当面見送る方向で検討に入ったというニュースが流れてきた。逮捕された大久保秘書が容疑を全面否認している中で小沢一郎に直接事情聴取しても実効が上がらないことなどが表向きの理由になっているようだが、事情聴取すること自体が政局の材料にされ、翻って検察に対しては国策捜査という批判の声がこれ以上拡大することを嫌ったためだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;これ以上の深追いをためらう検察&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大久保秘書の突然の逮捕で神風が吹いたとばかりに舞い上がった自民党だったが、政治とカネの問題には所詮腰が引けているということを露呈させたことで、検察に現段階でこれ以上深追いすることをためらわせた。小沢一郎の事情聴取に踏み切れば、大久保秘書の起訴だけで今回の問題にピリオドを打つことは難しくなるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;数年前なら、検察は強引に小沢一郎の首を取りにいったかも知れないが、今回は事情が違う。漆間官房副長官がオフレコの新聞記者との懇談で、今回の捜査が自民党には及ばないだろうという見方を示したために、「国策捜査だ」という声が一気に広がった。&lt;br /&gt;このことは、官邸とメディアとの信頼関係が崩壊していることを暗に示している。以前であれば、官房副長官のオフレコ発言が筒抜けで外部に流出することなどありえなかった。&lt;br /&gt;検察サイドは、大久保秘書の逮捕を起点に、小沢一郎事務所と西松建設の関係に関する周辺情報を新聞にリークして一大疑獄事件に仕立て上げ、鈴木宗男や堀江貴文の時のようにメディアに「不正義」を大合唱させて一気に追いつめるつもりだったが、そうした従来の勝ちパターンに持ち込むことはできなくなった。問題発覚後、大新聞の数紙は小沢一郎と西松建設に関する記事を書き始めたが、結局、検察のリーク情報をもとに権力のお先棒を担いでキャンペーンを張っているだけだろうという眼でしか見られなくなった。権力と大新聞のもたれ合いの構造があからさまにされてしまったことでメディアの論調もピークダウンしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;権力の不在状態にある政権中枢&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;田中角栄の金脈問題が発覚した際には、当時の三木内閣の稲葉法務大臣が指揮権を発動しないことを表明し、検察の動きに暗黙の了解を与えた。その背景には、田中角栄の影響力、権力を削ぐことを画策した三木武夫首相の思惑があった。この時の三木、田中の権力闘争のような凄味は、今回の西松建設問題には全く感じられない。麻生首相自体が、身内の自民党閣僚に捜査が及ぶことや政治とカネの問題に斬り込むことに及び腰であることが露呈しただけでなく、漆間官房副長官のオフレコ発言が外部に漏れ出てしまったように、現在の政権中枢が、権力の不在状態にあり、メディアや閣僚に対して全くグリップが効いていないことがあからさまになってしまった。歴史上の独裁者や現在のロシアのプーチンなどを見れば自明なように、権力というものは常に嫌日性で暗く無言の場所を好むものであり、麻生のような、無駄口をたたくだけの間抜けで無能（無脳というべきか）宰相の下、権力不在の状態の中では、とても小沢一郎の首をとるような戦いはリスクが大きくてできないというのが、検察の本音だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２４日に大久保秘書は、起訴される見通しだが、小沢一郎は、民主党代表にとどまるだろう。一見、強気の対応にもみえるが、民主党にとっては、危うい賭けでもある。しかし、小沢に代わる権力者が存在しないというのも民主党の限界である。民主党においても権力の不在が問題なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;小沢一郎のパラドクス&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;TIMEは、小沢一郎を「The Maverick」（一匹狼）と評した。日本の新聞の政治記者もこのくらいの記事は書けよといいたいぐらいだが、正確に小沢一郎という政治家の日本の政治状況におけるポジションを見抜いている。TIMEは小沢のParadox（パラドクス）を次のように指摘している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「The Ozawa Paradox &lt;br /&gt;For all ozawa&#39;s support in the polls when compared with Japan&#39;s Prime Minister Taro Aso — the third lackluster holder of that office since Junichiro Koizumi resigned in 2006 — the dim view taken of his alleged role in the Nishimatsu scandal illuminates the paradox of Ozawa&#39;s place in Japanese politics. He is at one and the same time the single most radical critic of the Japanese postwar political establishment (it was his decision to bolt the LDP in 1993 that led to its only period out of office) and a supreme exemplar of it.&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（小泉純一郎が２００６年に辞任して以来、3人目の印象の薄い日本の首相麻生太郎よりも小沢は多くの支持率を得ている。西松建設スキャンダルでの小沢に嫌疑がかかったことによって小沢の支持率は落ち、小沢の政治的立場のパラドックスに光があたっている。彼は、戦後の政治体制の最も急進的な批判者の一人であり（1993年に自民党から離脱するという彼の決定が、自民党が政権を失った唯一の期間をもたらした）、同時に、その体制を体現する頂点にもいた。）」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ＴIMEが、この記事で日本の政治家に「The Maverick」（一匹狼）の称号を与えているのは、小泉純一郎と小沢一郎だけである。小泉以降の、安倍、福田、麻生は、lackluster holder（印象の薄い人物）と斬り捨てている。&lt;br /&gt;そして、小沢一郎のParadox（パラドクス）とは、田中角栄の薫陶を受け、若くして権力中枢のポストを駆け上がり経世会的政治手法にどっぷり浸りながらも、そうした従来の日本的政治の枠組みを破壊する「壊し屋」、すなわち旧来政治に対するアウトサイダーとして生き延びてきた政治家としての「二面性」を意味する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;壊し屋を無意識に待望させる閉塞状況&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小泉純一郎と小沢一郎をTIMEの記事が「The Maverick」（一匹狼）と評していることは興味深い。現在のような閉塞した政治状況にあっては、アウトサイダーであることが権力を奪取する上で逆にプラスになる。何をしでかすかわからない「壊し屋」を人々は無意識に待望しているところがあるからだ。そして、今の政界には「The Maverick」（一匹狼）と呼べる政治家は、残念ながら小沢一郎ぐらいしか見当たらないことが、逆に日本政治の貧困と閉塞状況を端的にあらわしているともいえるだろう。&lt;br /&gt;日本の政治は、慢性化した政治不信とワイドショー化したメディアの頽廃によって「王殺し」の状態にある。指導者に対する信頼は失われ、宰相は、芸能タレントと同様に消費される存在となってしまった。小泉純一郎が、長期政権を維持できたのは、自ら仕掛けた「小泉劇場」と評された政治状況を次々と出現させ続け、逃げ水のように遁走したからだ。小沢一郎も手法は違うが、窮地に立たされた今、「企業、団体からの政治献金の全面禁止」という奇策によって局面を打開するという危うい賭けに出た。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「政権交代」を賭けた危うさ&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小沢の賭けが何故危ういのか？&lt;br /&gt;それは、小沢が今回、賭場に差し出した「賭金」が、「政権交代」であるからだ。巷間いわれているように、つい数週間前までは、このまま総選挙に突入すれば、間違いなく民主党は大勝し、単独過半数を占めることも不可能ではないといわれるほどの勢いがあった。西松建設の献金問題が発覚し状況は一変したが、結果的に秘書が起訴されるような事態になれば、潔く代表を辞任すべきだという声が民主党の内部にもあった。岡田副代表などに党首の座を禅譲すれば、逆に民主党の評価を高めることになるという声が未だに根強く存在している。しかし、小沢は、そうした声を封殺し、逆に検察批判を強め、強引に中央突破を図ろうとしている。壊し屋の小沢らしい判断だが、この賭けに負ければ、政権交代の夢は雲散霧消する。&lt;br /&gt;無脳宰相が、このまま居座るようなことが続けば、間違いなくこの国が壊れることになるだろう。小沢の賭けが危ういのは、この国の命運をも差し出す結果になっているからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-03-24T01:20:03+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/post-9cf6.html">
<title>ハーフ・エコノミーの衝撃、もう米国にも内需にも頼れない</title>
<link>http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/03/post-9cf6.html</link>
<description>経済が縮減し、ついには１／２になってしまう「ハーフ・エコノミー」の恐怖が現実のも...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/03/10/photo.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo&quot; height=&quot;300&quot; alt=&quot;Photo&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/03/10/photo.jpg&quot; width=&quot;300&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 経済が縮減し、ついには１／２になってしまう「ハーフ・エコノミー」の恐怖が現実のものになりつつある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;３月発表された米国の新車販売台数は、約68万台で、DSR（1日当たり販売台数）は前年同月比約38.9％減、17カ月連続のマイナスとなった。中でも米国メーカーの落ち込みがひどい、ゼネラル・モーターズは前年比－５１％という惨憺たる状況だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;自動車市場だけではない、現在、世界を覆いつつある「恐慌」の震源地となった米国の住宅市場も価格の下落と販売減に歯止めがかからない。２００５年７月に米国の新築住宅販売戸数は、年率１４０万戸のピーク値を打った後、ずるずると下がり続け、今年の１月には、年率３０万戸台の水準にまで落ち込み、前年比－５０％という正に壊滅的状況を呈している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;米国経済の主力牽引エンジンである自動車、住宅市場が、前年の半分に縮小するという「ハーフ・エコノミー」化の現実を目の当たりにしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;問題は、こうした米国市場で進行しているハーフ・エコノミー化が、対岸の火事などではなく、直接的に日本経済を襲っていることだ。自動車販売についていえば、日本の自動車メーカーの多くは、現地化を進めており、米国市場で巻き起こっている津波から逃れようもない。あのトヨタも－３７％、日産、ホンダも似たりよったりの状況だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/03/10/photo_3.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Photo_3&quot; height=&quot;130&quot; alt=&quot;Photo_3&quot; src=&quot;http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/images/2009/03/10/photo_3.jpg&quot; width=&quot;300&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 5px 5px&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 米国ビッグ３の経営危機が露呈した際に、彼らが本来のものづくりを忘れ、ウォール街と結託して新手の自動車ローンを開発するなどマネーゲームに走ったところに問題があったというような、日本人が喜びそうな説明がされていた。しかし、現実を直視すれば、日本の自動車メーカーがビッグ３に比べてましな状況にあるというのは大間違いで、数字を見れば一目瞭然のようにトヨタ、日産、ホンダの３社の売上げは、いずれも３０％以上のマイナスで全体平均と全く変わらない形で縮小している。だから、現在、起きている状況は、単なる「市場の失敗」や「バブルの崩壊」ではない、市場が全面的に縮小する「ハーフ・エコノミー」化、もっと耳慣れた言葉でいえば、「恐慌」である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;日本を襲うハーフ・エコノミーの津波&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;時間差をおいて、米国のハーフ・エコノミー化の津波は、日本経済を襲うことになるだろう。世界経済は、既に緊密に繋がっているのであり、誰もその連鎖から逃れることはできないからだ。このブログでも取り上げた中谷巌や他の脳天気な経済学者や政治家が言っているように「グローバル資本主義」や「新自由主義」を悪役に仕立てあげたとしても、それで片づく問題など何一つとしてありはしないのだ。&lt;br /&gt;この国が危機に直面すると必ず出てくるのが、ナイーブな「鎖国主義」である。中谷巌などがその典型だが、彼らは、グローバル資本主義にかぶれて、新自由主義的政策を行ったことが中産階級の崩壊と格差の拡大につながり、「幸福感」の喪失につながったと懺悔してみせる。こうした言い分は、現実を逆さまに見ているだけだ。マルクスが言ったように、そうした頭でっかちな見方を「逆立ち」させなくてはならない。&lt;br /&gt;２１世紀を迎えて、人類が「世界恐慌」にあらためて直面することになった根本的な要因は、資本がグローバル化し、国家の統制を超えて急激な信用膨張が生じたこと、そしてそのことを背景に新興国が台頭し供給力の拡大が生じたことにある。&lt;br /&gt;日本では２００７年まで戦後最長の景気拡大が続いていたことになっていたが、全く実感が伴わなかった。その間、トヨタをはじめ、日本のグローバル大企業の多くはグローバル市場の拡大に乗って過去最高益を更新するなどバブル期を凌ぐ業績を上げた。この背景にあったのは、中国に代表される新興国の台頭と成長である。こうした新興国にグローバル資本が投下され、多くの製造業が移転され、グローバル企業の資本効率を向上させた一方で、安価な工業製品が、先進国に大量に流れ込んだ。先進国で景気拡大の実感が伴わなかったのは、グローバル企業が儲かっても国内の賃金水準が上がらず、製造機能の移転が進んだために雇用も増えなかったからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;最後の買い手、米国市場の崩壊&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;米国は、この間「世界最大の最後の買い手・消費市場」として、金融商品を駆使した「錬金術」によって、かなり無理をしながら下駄を履かせて消費水準の底上げを行ったといえるだろう。製造業の空洞化によって中産階級の基盤が蚕食されていたにも関わらず、飽くことなく「消費」を拡大させ続けた結果が、今般のサブプライムローンの破綻と経済危機につながった。&lt;br /&gt;マルクスが、この時代に生きていて現在の世界情勢を見たとしたら、一国の政治家や経済運営担当者が執った新自由主義的政策が、現状の問題をもたらしたように考えるのは、表面的な見方に過ぎず、資本が国家の枠組みを超えて、グローバル化したことこそが根本原因であることを看破したことであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現代の「鎖国主義者」たちが、ここにきて言い出していることが「内需型経済」への転換である。かつて８０年代の円高不況の時も同じことがいわれた。当時の日本経済の潜在成長力は５～６％あり、人口も増えていたが、現在の日本には、そうした活力はない。最近のメディアの論調を見ていると、「農業」や「介護」が、雇用確保にもつながる内需型産業として関心を集めているようだが、経済規模に関する議論が抜け落ちている。「農業」を例にとれば、昨今の自給率向上の要請や担い手問題が限界にまで行き着いたことによるパラダイムシフトによって、今後、農業が成長産業になることは間違いないと考えられるが、その産業規模は、漁業などを含めても、たかだか１０兆円ほどでしかない。仮に自給率を現在の３９％から５０％へと１０％向上させたとしても、その内需拡大効果は約１兆円程度だ。要するに国を上げて農業の国内自給率の向上に取り組んだとしても、その経済効果は、今年度吹っ飛んだトヨタ１社分の経常利益、あるいは定額給付金の１／２の程度のものでしかなく、現在、進行しているハーフ・エコノミーへの処方箋などにはとてもなりえない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;ハーフ・エコノミー化する国内広告市場&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;内需関連でハーフ・エコノミー化しているのが、広告市場だ。特に現状では、新聞広告の落ち込みが著しい。自動車、不動産といった新聞広告の主要産業が軒並み悪化し、広告出稿が、前年比で４～５割減少というかつて経験したことのない危機的な状況が生まれている。早晩、中央紙の中からも、経営破綻や身売りが出てくるだろう&lt;br /&gt;内需を喚起すべき国内広告市場が、ハーフ・エコノミー化しているということは、もう、誰も国内市場が成長すると考えていないことを示している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ハーフ・エコノミー」が意味するものは、先進諸国が牽引する経済成長が決定的に終わりを告げたということである。米国経済のシュリンクは、いずれどこかで底を打つだろうが、もう、元の時代に戻ることはなく、米国の過剰消費に依存してきた日本経済も大きな痛手を被り、新たな道を模索せざるを得なくなるだろう。&lt;br /&gt;もう、米国にも頼れない、内需にも頼れないとすれば、われわれはどこに向かうべきなのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ソニーやトヨタといった日本のグローバル企業は生き残りをかけて、軸足を成長地域に移していくことだろう。富士フイルムが新興国向けに１万円のデジタルカメラを販売するというニュースが流れていたが、無駄な機能を満載した高機能製品を国内で売ってきた「ガラパゴスの夢」から叩き起こされて、日本のグローバル企業は、本当の意味でトランスナショナルな企業に生まれ変わらないと生き残れない。ドメスティックな中小企業は、二重の意味で厳しい。国内市場がもう成長しないことに加え、日本のグローバル企業が軸足を国外に移すことで、下請け的な仕事がますます無くなる。何らかの形でグローバル化に自分たちの仕事を関係させていくしか、生きる道はないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;つまり、中谷巌のような鎖国主義者が夢想するようなユートピアはもうこの世界のどこにも存在しないことをはっきりと覚悟することから始めなくてはならないのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ハーフ・エコノミー」とは、氷河期にも例えることができる。氷河が地球上を覆い、生物たちの食料が半減した。そうした極限状況の中で、環境に適応した種だけが生き延び、次の進化の担い手となった。唯一の希望は、人間もそうして生き残った種のひとつであったことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ハーフ・エコノミーとは、終わりでななく、進化のはじまりと捉えることが必要だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（カトラー）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>メディア・マスコミ論</dc:subject>
<dc:subject>リスク社会</dc:subject>
<dc:subject>東アジア</dc:subject>
<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>katoler</dc:creator>
<dc:date>2009-03-10T22:24:52+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>
